監督のキャスリン・ビグローはジェイムス・キャメロンの元奥さん。
今年のアカデミー賞はキャメロンの「アバター」と、この「ハート・ロッカー」が賞レースで一騎打ちとなり、本作は、作品賞・監督賞など6部門を制す圧勝を収めた。
この結果が明らかになる前日に、俺はなんとか、この話題作を見る機会にありつく事が出来た。
偶然だろうか、賞を争った2作品には大きな共通点があった。
「アバター」が想像の産物である異世界を立体的に描き出した、新しい形の体験型SFファンタジー映画だとしたら、「ハート・ロッカー」もまた、現実に今も誰かが命を落としているイラクの戦場を生々しく描き出した体験型の作品だったのだ。
扱うテーマこそ大きく異なるものの、そこに身を置いているかのような感覚は、この2作品に共通する要素だ。
ただし、視覚的な画面の奥行きで、新しい映像体験をもたらし、史上最も成功した3D映画となった「アバター」に対して、この作品のそれは、死と隣り合わせの緊張感。兵士達の抱えるストレスを観客が共有するカタチで進行する。
この作品で描かれる戦場は、わかり易く敵同士が対峙して、撃ちあってくれる様な世界ではない。たいていそこに広がるのは、一見平穏そうに見える風景で、突如として群衆の中の誰かが発砲したり、足元のゴミ袋が爆発するかもしれないという、一瞬足りと気の抜けない場所に、観客は冒頭から叩き込まれるのだ。
主人公の兵士達は、そこに身を置き、任務として連日、殺傷兵器の爆発解除にあけくれている。
冷静な精神状態を保てという方が無理だろう。気の狂いそうに張り詰め、病んだ世界が、この映画を支配している。
ジェレミー・レナーをはじめ、主要キャストに誰一人有名な役者を配していないところが、リアルさに磨きをかける。誰が死んでもおかしくない。そういう緊張感の持続は、キャスティングの時点から練られていたのかもしれない。
そして、ドキュメンタリー映像の様に、兵士達と一緒に動き回る手持ちカメラで撮影されたシーンの数々。
これは反戦映画なのだろうか。明確にどちらの立場に立つわけでも、誰かを殊更ヒロイックに描いたり、アメリカNo1と、阿呆みたいに叫んだり、説教するわけでもなく、ただただ淡々と、妙に突き放したタッチで、緊張感たっぷりに、しかし誰に感情移入できるでもなく.....これが2時間を越えて続くのだ。
終わって残るのは疲労感と、言いよう無い虚しさだった。
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