2011年10月23日日曜日

ホント、タイトルそのまんま/カウボーイ&エイリアン

荒野で目を覚ました男(ダニエル・クレイグ)は、記憶を失っていた。片腕には、メカニカルな腕輪。
ダラーハイド(ハリソン・フォード)という男に支配された町に辿り着いた男は、自分がお尋ね者であったことを知る。身柄を拘束されたその晩、町は空から未知の敵によって攻撃され、多くの人が空へ吊り上げられて連れ去られた。そのとき、片腕の腕輪が突如として動き出し、空からの敵に反撃を繰り出した。
いったい、男は何処から来た何者なのか、そして未知の敵の正体は!!



記憶を失ったならず者と、彼からカネを強奪された町の支配者、そしてインディアン。反目するものどうしが強大な敵を前にして団結。戦いを繰り広げる。
グラフィックのベルを原案に、内容はタイトルそのまま。しょうも無いほどシンプルなアイディアだし、エイリアンは砂漠がよく似合う爬虫類系でデザイン的にも然程の魅力は無い。
でも、エイリアンが戦闘機から、ワイヤーみたいなもので人間を引っ掛けて捕獲していくという演出は、これまでに無いもので、西部劇っぽいね。(笑)

「007」ではジェイムズ・ボンドを演じているダニエル・クレイグが主演。台詞が無いシーンも佇まいだけで持ってしまうキャスティングにホント、救われている作品。そのうえ無駄に豪華にハリソン・フォードを脇役に配し、しょうもない企画をそうとばかり感じさせないレベルにまで押し上げたジョン・ファヴロー監督(代表作と言えば「アイアンマン」シリーズ)は、流石。

あんなにハイテクなのに、裸同然で動き回り、槍で突かれるエイリアンには突っ込みどころ満載で、ある意味、史上最弱の宇宙からの侵略者のような気がしないでもないが、そうでなければカウボーイやらインディアンがエイリアンと戦うなんてどだい無理な話。笑って許してあげよう。

ちょっと中だるみするところもあるし、宇宙船を爆破するくだりで、またこの手のパターンかと、思わせる展開になったりもするが、そんなのも全部まとめて愛すべき馬鹿映画だと思う。

ま、普通の人にとっては、深夜、退屈しのぎにたまたまつけたチャンネルで、ついつい最後まで見ちゃった程度の出会いが、この作品との付き合い方としては理想だと思うけどね(笑)。


2011年10月16日日曜日

やはり62年の名作「切腹」は凄かった/一命

太平の世が続く江戸時代。貧窮した浪人が大名屋敷に押し掛け、庭先で切腹させてほしいと願い出て、面倒を避けたい屋敷側から職や金銭を受け取ろうとする狂言切腹が流行していた。
ある日、名門・井伊家の門前に一人の侍が、切腹を願い出た。名は津雲半四郎(市川海老蔵)。
家老・斎藤勘解由(役所広司)は、数ヶ月前にも同じように訪ねてきた若浪人・千々岩求女(瑛太)の、狂言切腹の顛末を語り始め、半四郎を思い止まらせようとする。
求女は武士の命である刀を売り、竹光に変え、狂言切腹をしに井伊家を訪れたのだという。これ以上、厄介な浪人が押し掛けることを嫌った井伊家は見せしめとしてその竹光の脇差しで腹を切ることを命じ、その最期は壮絶なものとなった。
これを聞いた半四郎は、なおも動じることなく切腹したい旨を申し入れ、介錯人として3名の武士を指名する。しかし、指名された3人は奇怪なことに全員病欠であった。
それを聞いた半四郎は、静かに驚くべき真実を語り出すのだった……。


1962年小林正樹監督の傑作時代劇「切腹」は、武家社会の見栄、虚飾、矛盾と残酷性を描いた人間ドラマの大傑作で、今見ても鮮烈なインパクトは色褪せない。

同じ「異聞浪人記」を原作にして監督・三池崇史、音楽・坂本龍一、主演・市川海老蔵の3D映画でこれをリメイクすると聞けば、興味津々。

四季の移ろい、蝋燭の薄明かりに浮かび上がる屋敷の光景3D撮影されたシーンは美しく、坂本龍一の音楽も陰惨な物語を物哀しく彩る。

少し頬がこけ、眼光鋭い市川海老蔵の迫力もなかなかのものなのだが、現代の最新技術を集めて作ったこの作品を見てしまうと、尚更、62年の「切腹」で半四郎を演じた仲代達矢の得体の知れない凄みと鬼気迫る演技、家老を演じた三国連太郎とのやり取りや、丹波哲郎ら当時の役者陣の熱演。
殺陣のシーンの迫力。陰影深く想像を掻き立てられるモノクロの世界で語られたドラマの高い完成度を再認識させられる結果になった。実際、「一命」は「切腹」を超えるべく、相当、旧作を研究したのではないだろうか。

武家社会のルールや美徳とされてきた概念が、いかに暴虐極まりない上辺だけを取り繕った、見せかけのものにすぎないかをテーマにしたこの作品には、その実、時代を超越した普遍的なテーマが隠されている。
権力が重んじてきた体面や体裁は、大きな危機に瀕したとき、もろくもその実態が露呈する。
それはそのまま、今、日本で進行している事態にも重なって映るように感じられるのだ。


変態的タイツ姿の古典ヒーローをマーベルがリデザイン!!/ キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー

古典愛国心と正義感にあふれてはいるものの病弱なため兵士として不適格とされたスティーブ(クリス・エヴァンズ)は、軍の極秘計画でパワー、スピード、身長等あらゆる身体能力を高められ、別人のような姿に生まれ変わった。
しかし、星条旗デザインのタイツ姿の軍公式マスコット“キャプテン・アメリカ”に仕立てられた彼は不遇の生活を送ることに。
一方、ナチス化学部門ヒドラ党のレッド・スカル(ヒューゴ・ウィーヴィング)は、ヒトラーをも裏切り世界制服を目論んでいた。親友の部隊がレッドスカルの捕虜になったことを知ったスティーブは、無断で仲間の救出に向かう


マーベル・コミックを代表し、最初のアメコミヒーローとも言われる(と、言っても普通の日本人は殆ど知らない気がするけどネ)キャプテン・アメリカの実写映画。
貧弱な体格の主人公が、身体能力を高められて超人に...とは言ってもあくまで生身の人間。空を飛んだり鋼の肉体が銃弾を跳ね返すようなことも無い。ようやく、生まれ変わった身体で自分を認めてもらえるかと思いきや、タイツを着せられて客寄せパンダのような扱いを受けて失意に沈むとか...そういう展開は、なかなかに人間臭くて、俺好みだった。
そんな客寄せタイツ野郎が親友の危機に、実戦経験も無いのに独り敵地に乗り込むなんて展開に、全くリアリティなんてものは無いのだが、序盤の主人公の情けない扱われ方に、そろそろ痺れを切らしてきた観客の心理としては、その反動で大盛り上がりである。(笑)
メカも兵器も、デザインこそクラシカルだが、性能は現代兵器以上じゃないかとか、そういう突っ込みはこの際、置いておこう。
序盤からマーベルヒーローがジャンプ祭り張りに作品を超えて大集結する映画「アベンジャーズ」への繋がりを意識した作りになっていて、キャプテン・アメリカに兵器を提供する企業も、「アイアンマン」のスターク社だったり、トニー・スタークの父ハワード・スターク(ドミニク・クーパー)が大活躍するのも、楽しい。

この手の作品は敵キャラのインパクトやカリスマ性の有無で、成否が決まると思うのだが、レッド・スカルを演じるのは「マトリックス」シリーズで敵役エージェント・スミスとして増殖しまくってたヒューゴ・ウィーヴィング。邪悪かつ陰険度合いで考えて不足なしの布陣だが、なぜか迫力の形相ながら少しばかり間抜けで、まるで東映戦隊ものを見ているようなキモチになってくる。
それから監督が、ジョー•ジョンストンだけに、レッドスカルが世界征服を果すために利用しようとするパワーを秘めた伝説のキューブは、まるで「レイダース」の聖櫃(アーク)みたいで、ニヤニヤ出来る。

原作漫画の変態的なタイツ姿を現代のセンスで、レザー製のミリタリーウェアに変換したコスチュームデザインも、アイディアとして非常にイケてたのではなかろうか。

で、ここんところのマーベル映画は、揃って「アベンジャーズ」への布石を最後の最後でもしっかり入れてくるわけだが、ここまで来ると、あらゆるヒーローを勢揃いさせた馬鹿映画に違いないと知りつつも、見たくなってくるね。
「アベンジャーズ」を。


2011年10月9日日曜日

CGI技術の進化のひとつの到達点/猿の惑星 創世記

SF史上に輝く名作『猿の惑星』の序章とも言える作品。
なぜ、猿はヒトを支配し、高度な知能を有するようになったのか。その謎の一端が描かれる。


この作品の主人公は猿というか、類人猿のシーザー。
研究中のアルツハイマー特効薬の効果で、知能レベルが極めて高いものに進化する。
ところで、シーザーはじめ、この作品に出てくる猿はことごとくCG。「アバター」の様に想像の世界の生き物ではなく、みんなが知っている「猿」たちを表情豊かに、長篇の主役がはれるほどのクオリティでCG化して、見事に人間の役者と競演させている。
ある意味、CGI技術の進化のひとつの到達点みたいな作品になっている。

ストーリーはと言えば、もう、この予告編が全てのような内容なので、驚きも無ければ、落胆するほどのコトも無かったが、このクオリティで再構成された現代の「猿の惑星」シリーズを見てみたい!!
続きが早く見たい!!と思わせるだけの内容にはなっていたと思う。

しかし、CGIとは言え、モーションキャプチャで猿の動きに演技を付けた役者さんたち、凄いなぁ、その形態模写っぷり。



無性に、ほっこりと日向ぼっこがしたくなった/ツレがうつになりまして。

高崎晴子(宮崎あおい)の家族は、夫・幹男(堺雅人)、そしてイグアナのイグ。幹男は仕事をバリバリこなし、毎朝お弁当まで作る超几帳面なサラリーマン。
そんな幹男がある朝、真顔で「死にたい」と呟く。病院での診断結果は、仕事の激務とストレスを原因とした、うつ病(心因性うつ病)。
幹男の変化に気付かなかった晴子は、幹男に謝りながら、「会社を辞めないなら離婚する」と告げる。


これ、正直なところ宮崎あおいが主演してなかったら見ることは無かったであろう作品。

だって、暗くなりそうだし...と題材だけでイメージすると考えてしまいそうなんだけど、凄く可愛い(宮崎あおいがね。)予告編を見て、俄然、見たくなった次第。
完全に、宣伝の思惑通りにチケットを買ってしまった。

しかし、スクリーンの前に身を置くことになった理由がどうであれ、うつ病に対する世間の過剰にネガティヴなイメージにこの作品は、一石を投じる力を持っている。
欝であることを認め、情けないキモチや何も出来ないもどかしさも、笑いに変えて夫婦としての成長を遂げる「ほのぼの」ドラマは、家族や結婚の理想のカタチを見せてくれた。
ずっと自分を支えてくれた幹夫のピンチに、家計を支え幹夫を支えようと一年発起する春子の姿が、可愛くも逞しい。

頑張り過ぎない。...良いコトバだ。
それから映画を見て、無性に、ほっこりと日向ぼっこがしたくなった。



女優陣を捉えるカメラワークは、まんまオトコの視線の動きを踏襲(爆)/映画「モテキ」

金なし夢なし彼女なし。31歳の藤本幸世(森山未來)は、キュートな雑誌編集者・みゆき(長澤まさみ)、清楚で素朴な年上OLるみ子(麻生久美子)、ガールズバーの美人店員・愛(仲里依紗)、Sキャラ先輩社員・素子(真木よう子)の中で翻弄される。

草食系男子が様々なタイプの女性の間で揺れ動くという題材で、比較的最近の曲から30代の観客が聴いて育ったような懐かしの曲をサウンドトラックに入れて心象風景をJ-POPに載せて見せ、サブカルチャーに彩られ、タイアップだらけ、嵐のようなプロダクトプレイスメントによるマーケティングの薫りを漂わせつつも、この作品は、それだけで終わらない。情けなくて痛くて面白い恋愛エンタテインメント映画だ。

テレビ版で話題になったPerfumeの「Baby cruising Love」を使用した長回しのダンスに始まり、カラオケのシーンまでもをミュージカル的に演出してみせたり、Youtube+Web調のデザインでエンドロールを作ってみたり。単に流行のエッセンスを追いかけただけのスカスカな印象に堕ちないように、そこかしこにアイディアを盛り込んでコミックを原案としながらも映画としての「オリジナル」を追求。

それから、カメラワークが良い。
女優陣を捉えるカメラワークは、まんまオトコの視線の動きを踏襲している(爆)。
あんなに願望や欲求に素直なカメラワーク。笑ったわ。


ポップさと、映画だから可能となったシモネタ表現も含めて、これこそ漫画原作、テレビドラマ発映画企画の王道なんじゃネ?とか、思わず小躍りして勘違いしちゃいそうなパワフルさにあふれている。

キャスティングも素晴らしい。ヒジョーにイケてた。
キャスティングの妙で、かなりこの作品の魅力度は上がっていると思う。

森山未來は顔立ちは綺麗だけど、相変わらずちゃんと、イケてない感が全開で演じているし、女優陣がそれぞれ持ち味を発揮して、全員魅力的。

長澤まさみは、この作品、代表作のひとつになるんじゃないかなぁ。
オトナ代表としてはリリー・フランキーの演じる人でなしな編集長も、スゲェいい味だしね。

ひとつ不満を言うならば、俺としては、仲里依紗の出番がもっと欲しかった。いや、単純にもっと見たかっただけだけど。(笑)

最期に、あれは「モテキ」って言う状況なのか?
いや、根本的な話で申し訳ないけど(笑)。