2010年2月21日日曜日

インビクタス/NARIZO映画レビュー

反アパルトヘイト運動により27年を監獄で過ごしたネルソン・マンデラ(モーガン・フリーマン)は、釈放後の1994年、遂に南アフリカ共和国初の黒人大統領となった。だが南アフリカは、依然として少数の白人に富と権力が独占され、人種差別と経済格差は深刻な問題だった。そして、1995年。南アフリカで開催される事が決まっていたラクビーワールドカップを機に、スポーツで国民を一つにまとめられると信じたマンデラとチームキャプテンのフランソワ・ピナール(マット・デイモン)は、弱小だった南アフリカ代表ラグビーチームの再建を決意、不可能といわれた優勝を目指すのだった。

弱小スポーツチームが不可能と思われた挑戦で勝利を掴む。
非常にありがちな内容に見えそうだが、実はこの作品、ありがちスポ根ドラマとは大きく異なっていると思う。
なぜなら、この作品が描いているのはあくまで「ラクビー」を通じて見た「南アフリカ」であり、ラクビーチームではなく、南アフリカが起こした奇跡とも言えそうな実話を題材にしているからだ。

時に実話は、よく出来たフィクションを超えてしまう。それ程にドラマチックな題材を扱っているからこそ、淡々としているくらいに抑えられたクリント・イーストウッド監督の演出は、必要以上に登場人物たちをヒロイックに描いたりはしない。しかし、エピソードと役者の強さはそれでも強烈なメッセージ性とインパクトを放っているので、ラクビーのことはよく判らない俺であっても、魂が震えてしまうのである。

トイレも、バスも、住む場所も別。富と権力を独占し、抑圧していた人種と、抑圧されていた人種が、あるとき、平等になったと言われて、簡単に一つにまとまれるものだろうか。
消費税が導入されたとか、自民党が野党に転落したとか、そういう変化とは比較にならない程の大きな転換が突如やってきて、しかも抑圧されていた側の囚人だった男が、大統領になってしまった。これは南アフリカの人たちにとって明治維新ぐらいのインパクトだったに違いない。理解は出来ても当事者で無い限り、イメージも付かない様な、混乱と歓喜の中で映画は始まる。

マンデラの唱える理想は、頭では理解できても、感情で納得できるもので無かったであろう事は想像に難くない。マンデラのスタッフ達の混乱を描くことで、イーストウッドはそんな状況を上手く説明してみせる。人種的に自分たちを抑圧していた側とともに働くのも、抑圧していた相手の政権で働くこともそこに居た人間達にとって簡単に許容できることではなかったはずだ。

しかしながら、マンデラ政権のスタッフ達も、選手たちも、そして国民の多くも、困難に打ち勝つチームの姿に夢を求め、人種ではなく「国」を意識しはじめる。

一つの国が再生し、一丸となるための最初の小さな、しかし、確かな切っ掛けを追ったこの作品は、技術の進歩や、コミュニケーションの多様化だけで、解決されない普遍的な問題を問いかけているように感じた。
それだけに、これは今、選ばれるべくして選ばれ、作られるべくして作られた作品なのだと思う。
流石は、イーストウッドだ。




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