2012年1月31日火曜日

DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る

正直に言うと俺は、AKB48について、大島優子と前田敦子の見分けがつかないレベルの知識しか持っていない。

 昔、音楽ソフト流通の末端で飯を食べていた事もあってか、一人のファンからの売り上げ最大化を目指すキャバクラ的商法にはあまりよいイメージが無かったし、「おニャン子」以来代わり映えしないようにも見える秋元康のビジネスモデルが盛り上がっていく様子をこれまで、興味なく斜めから見ているのが常だった。
しかし、ここに来てこの「AKB」のフォーマットは、他地域展開し、とうとう海外へまで進出を果たした。
アイドルビジネスとしての「AKB」、それはどんなものなのだろう?
ドキュメンタリー映画の公開を知って、その一端に触れてみたい興味を掻き立てられ、俺は劇場のシートに腰を下ろしてみる事にした。

 秋葉原の小さな専用劇場から「会いにいけるアイドル」のコンセプトで結成された彼女たち。
映し出されたのは、今度は被災地に「会いに行く」アイドルの姿。
そしてオトナ達が次々と仕掛ける「売るため」のスキームに翻弄されつつ、夢や熱意、向上心、そういう想いを、ときに笑い、ときに涙を流し、プレッシャーで過呼吸になったり、熱中症で倒れたりしながら、まさに満身創痍で走り続ける「ふつうの女の子達」の姿だった。

この作品が暴いたのは、そんなショウアップされたステージの裏側だ。
ステージで可能な限り完璧な姿でパフォーマンスしようとする、「プロ意識」と「ふつうの女の子」の狭間で、もがき苦しみながら上へ行こうとする「熱」と「気迫」。
それはオトナ達の作ったビジネスフォーマットの上で、冷たい言い方をすれば「消費されていく」だけかもしれない現代のアイドルビジネスを淡々と追い掛けたドキュメンタリーだった。

作品を見終えて、良くも悪くも、今の邦楽シーンを席巻する「AKB」フォーマットの強さの一端を俺は少しだけ理解できたような気がする。
AKBのファンならずとも現代のエンタテインメントの裏側を描いた作品として、非常に興味深い一本。
フィルムを通じて、ファンとは最も遠いところにいたであろう俺にも生々しい彼女たちの頑張りが伝わったし、少しばかり応援したくもなった。

とは言え、やっぱり俺は今でも、大島優子と前田敦子の見分けがつかないし、あのビジネススキームは嫌いなわけだけど(笑)。


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