2013年2月17日日曜日

ゼロ・ダーク・サーティ

アメリカ特殊部隊によるテロ組織アルカイダのオサマ・ビンラディン急襲、殺害。
9.11アメリカ同時多発テロ事件から、その日まで。
 ビンラディンを追い詰めたのは一人のCIA女性分析官だった。

 「ハート・ロッカー」でアカデミー賞作品賞&監督賞に輝いたキャスリン・ビグローと脚本のマーク・ボールが再びタッグを組んで、綿密な取材の末、再現したテロとの戦争。
制作にCIAが全面協力し、それが国家機密漏洩になるのではないかと議会が調査を始めたほどの作品だ。
 多くの犠牲を払い、国家の威信を掛けてテロとの戦いに挑むアメリカ側から描かれてはいるが、この作品には強烈な政治的主張も、ナショナリズムを煽るようなヒーローも登場しない。
描かれたのは恐怖と憎しみの連鎖。起きた事実をドキュメンタリーの様に淡々と描く。
「ハート・ロッカー」で爆発物の処理に命を懸ける兵士たちを描いたときと同様のあの視点、絶妙なバランス感覚で、誰の主張に加担するでもなくこのテーマに挑んだキャスリン・ビグロー。
やってくれるぜ、流石である。

とにかくこの作品で描かれる容疑者への拷問、爆弾テロ、自爆テロ、そして特殊部隊による作戦は、いずれも圧倒的にリアルだ。

主人公の女性分析官マヤ(ジェシカ・チャスティン)は、マッチョではないが、強靭な精神力でボロボロになりながらデスクワークをこなす女性だ。
過酷な現実や、同僚の死と向かい合っていくうちに、冷静かつ冷徹に成長していく。
狂気の世界に身をおき、命がけの神経戦を闘う。

敵の姿がはっきり見えないという点では、スパイサスペンスを見ているようだが、派手なアクションシーンや華々しく戦う超人的な主人公が拝める作品ではない。
現実世界の諜報戦で、派手な何かが起きるとき、それは確実に多くの命が奪われるときであり、場合によっては同僚もしくは自分の死を意味する。
難解なパズルのピースを埋めていくように、執念深く彼女は手掛かりを追う。
観客としてもスクリーンから目を離すと、置いてけぼりを食らいそうだ。
神経が参りそうな日々の末に、どのようにCIAはビンラディンの居場所を特定し、必ずしも高いとは言えなかったその確率に懸けたのか。

真実を基にしているだけに、この作品が描くストーリーの結末は、ニュースとして誰もが知っているものだ。
しかし、それでも終始画面から漂う緊張感が、観客を疲労させる。
勝利の余韻やカタルシスは一切、そこには無く、底が見えないほどの深い闇を覗いたような気持ちにさせる。

最後に残るのは、そんな深い闇と虚しさ。
本作は、間もなく発表のアカデミー賞に5部門ノミネートされている。
かつて見たことのないこの挑戦的作品を映画界はどう評価するのだろう。





2013年2月16日土曜日

ダイ・ハード ラスト・デイ

こう言っちゃ申し訳ないが、この作品を見る気になったのは全くの惰性だった。
俺に言わせれば、回を重ねるごとに酷い作品になっていった「ダイ・ハード」は、完全に終わったシリーズだった。
最後の作品は馬鹿映画なんて呼ばれ方で愛してもらえるレベルではなく、間違いなく糞映画だった。
だから全く何の期待もしていなかった。

完全に好みの問題ではあるが、そもそも「ダイ・ハード」は、地味で冴えない男が、不運を悪態つきながら乗り越えつつ、知恵と機転で絶体絶命のピンチから大逆転するような作品だった。
予算は少ないが、アイディアはあった。

この作品には、そういうよさは微塵もない。

しかし、今回は力技で楽しませてくれる。
アメリカから舞台をロシアに移し、ロシアの大物の悪事と抗争に巻き込まれたマクレーン親子が、過去のわだかまりを乗り越え、危機を乗り切るバディ・ムービーとなってシリーズを再生させた。

ジョン・マクレーン(ブルース・ウィリス)の息子ジャック役は新鋭のジェイ・コートニー。
可もなく不可もなく、特に華のある役者ではなかったけど、少なくとも、過去のシリーズに漂っていたマンネリ感の外にある作品にはなっている。

とは言え行き当たりばったり感の強い脚本は三流だし、ブルース・ウィリスはもう高齢。
感動できる要素も、感慨にふける要素も勿論ない。

だが、この作品を見終えた後の俺は、高揚していた。

メガホンを取ったのは「マックス・ペイン」のジョン・ムーア監督。
派手な馬鹿アクション映画としては最高レベルで楽しませてくれるし、予算も掛けまくっている。
笑っちゃうくらい滅茶苦茶に、破壊しまくるカーチェイスのシーンや、軍用ヘリを使ったアクションシーンは、実に素敵。テンポも最高。
暇つぶしには最適だ。

でも、この親子のアクション映画で続きが見たいかといわれれば、もう結構。
この手のアイディアが使えるのは、今回の一回が限界だろう。

頑張ったが、マクレーン刑事は、企画的にもう定年だ。
そろそろ、新しいキャラクターとアイディアのあるアクション・ヒーローが欲しい。


2013年2月9日土曜日

ゴーストライダー2

父親を死から救うため悪魔と契約した男、ジョニー・ブレイズ(ニコラス・ケイジ)。 
その代償は、憎しみや怒りに呼応して、悪を焼き尽くす復讐の妖精=ゴーストライダーを自らの中に宿すことだった。
 引き篭もって苦しむジョニーの元にある日現れた僧侶モロー(イドリス・エルバ)は魔界の王メフィスト(キアラン・ハインズ)が自らの新たな体として狙っている運命の少年ダニー(ファーガス・リオーダン)を悪魔の手から護って欲しいとジョニーに依頼する。
その成功報酬は、、悪魔との契約を解除すること。
ジョニーは、誘拐されたダニーを奪還するため再びゴーストライダーを解放する。


 失礼な話なのだが、俺にとって名優ニコラス・ケイジは、常に笑いのツボだ。
あのちょっと情けないというか、間抜けなオジサン顔を見ていると、それがシリアスな話であっても、どこかユーモラスに感じてしまう。

そのニコラス・ケイジがだよ。
 燃え盛るドクロ頭のダークヒーローに変身するって展開、こんな馬鹿っぽくて大好物の匂いがする映画、放っておけるはずが無かった。
 一部の馬鹿映画ファンに大喜びされながらも、これは続編は無理かな...って位、一般の人には相手にされてなかった気がする前作から6年(笑)。

 まさかの「2」公開。
 予告編では、期待通り、またしても、オッサンが燃え盛っている。
 面白くて儲かる映画が数多公開されている昨今、こんな馬鹿臭が漂う洋画、いつ終わっちまうかわからねぇぜ!!と、俺はライダーさながら、初日の劇場へひた走った。

 今回も、より一層後退した生え際が、地獄の業火に包まれて、前回よりも数段派手にカッコよく、カネを掛けているのに敢えてチープに馬鹿っぽく....燃えドクロに変身したニコラス・ケイジが、悪を燃やし尽くしていく。

 ああニコラス・ケイジ。
なんと期待を裏切らない男よ。
 既視感の強い、戦闘シーンとかアクションシーンばかりだけど、良いんだ。
ニコラス・ケイジが出てるだけで味が違うんで。
そして、唖然のラストの展開。
 ここでは絶対ネタばれは書かないけど、そうか。
これは相当前向きにシリーズ化するつもりなのねと、俺の期待も燃え上がった。

 ここまで読んで「ビビっ」と来たB級大好きな映画ファンは、なるたけ早く劇場へ。
 これはデカいスクリーンでやってるうちに見ておかないと!!(笑)
 

2013年2月7日木曜日

DOCUMENTARY of AKB48 No flower without rain 少女たちは涙の後に何を見る?

タイトル長ぎるよね(笑)。
本作は、AKB48を追い掛けたドキュメンタリーフィルムの三作目。
AKB48という今や巨大化したビジネスの仕組みの中で生きる様々な立場の人々にスポットを当てて見せた、ドキュメンタリーである。
この数年、音楽業界にとっては話題、セールス共に中心的存在のグループであり、テレビを点ければ彼女たちを目にしない日はない。
 地方はおろか、海外にまで姉妹グループを展開し、巨大ビジネスと化したAKB。

前田敦子の突然の卒業宣言、総選挙で1位に帰り咲いた大島優子、結成以来の目標だった東京ドーム公演の実現。
華やかな面と表裏一体の葛藤、苦しみ、悔しさ、センターポジションへの憧れと、恐怖、プレッシャー、さらにはスキャンダルを発端に去ることになったメンバーたちの姿までも、容赦なく、舞台裏も含め、淡々と...。
彼女たちと彼女たちのビジネスをカメラは追っていく。

 映画公開直前には、初期メンバーの峯岸みなみが、「お泊り愛」を報じられて坊主頭で謝罪すると言う衝撃ニュースが駆け巡った。
批判するのは簡単だ。
だが、ここまで巨大化したAKBとは何なのか?

 この映画に映し出されたAKB。
それは、少女たちのスターダムへの憧れを燃料に、フル回転する巨大な収益エンジンと化した「組織」の姿だった。
 自己実現と後輩の育成、チームワーク。
各チームリーダーが抱える苦悩や葛藤は、アイドルの一員でありながら会社組織の中間管理職そのものに見えた。
 彼女たちが「組閣」と呼んでいるのは、テコ入れのための人事異動や組織変更で、国内で芽が出なかったメンバーは、ジャカルタや上海の姉妹グループへ移籍を命じられると共に、AKBビジネスのノウハウを海外にまで広める役割を担っている。

2012年100万枚を超えるセールス記録のシングル5枚は全てAKB48だった。
 かつて俺がレコード店から全てのメーカーのオーダーを取る仕事をしていた90年代後半から2000年代前半頃、ミリオンセラーとは世代を超えて支持された商品のみが残せる大きな結果だった。
しかし、AKBビジネスでは握手会に沢山参加したいために、一人のファンが沢山同じCDを購入するのだと言う。
 総選挙で一位を競わせる仕掛けもふくめ、キャバクラシステムとも呼ばれるAKB商法だが、彼女たち自身の目的は「カネを稼ぐ」事ではなく、「スターダム」であり、最近忘れかけていたハングリー精神を思い出させる存在であったりもする。
 彼女たちのファンはおそらく、単に楽曲を買っているのではなく、応援するアイドルと会うための時間を買っている。
 時には親心の様に成長や躍進を見守り、時には擬似恋愛の対象としてそこにお金をつぎ込んでいる。
そこで、そのビジネスモデルと、それを支える組織を維持するための掟がおそらく「恋愛禁止」なのだ。
それ故に、スキャンダルを起こしたメンバーは、涙ながらに辞めていった。
 初期メンバーの謝罪と脱退スピーチに、舞台裏で号泣するAKB48グループ総支配人戸賀崎氏の姿は、情を棄てざる得なかったビジネスマンの涙に見えた。 

先日、CNNが峰岸の坊主頭を侍の切腹になぞらえて報道して話題になった。
それはある意味、当たっているかもしれない。
法度を破った者の存在を許せば、おそらく「ファンの妄想」で成り立っているビジネスモデルは崩壊するのだ。
 かつて、単なるご当地アイドルの「はしり」に過ぎなかったAKBは、気付けば音楽業界の景気を背負ってしまう位の存在に巨大化してしまった。
 彼女たちの賞味期限が切れ、ビジネスモデルが終わることをいまや多くのオトナが恐れる事態となった。
よもや、「恋愛禁止」の法度は、個人をはるかに超えた責任の重圧となってのしかかっているのだ。

 峰岸は、映画の中でスキャンダル報道を機にAKBを去っていった三名の様に、ただ謝罪して辞める事もできた。
しかし、ビジネスを揺るがす法度破りをおかしてまでそこに残りたいからには、自らそうせざる得なかったのだろうと、映画を見た今は、理解できる気がする。

 映画のインタビューの中で初めて、板野友美が引退の決意を口にしたとき、そこからはそんなAKBに居続ける事の限界、そのシステムや制約からの解放を求めて出た結論であることが窺い知れた。
 2010年前後の音楽シーンを語る上で、後世に残る興味深いドキュメンタリーフィルムになっている。
 

2013年2月2日土曜日

アウトロー

白昼に発射された6発の銃弾、5人が殺害。 
僅か1時間後に逮捕された元軍人の狙撃手、ジェームズ・バー(ジョセフ・シコラ)。
 だがバーは殺人容疑を否認し、彼がかつて軍で最も恐れていた男、ジャック・リーチャー(トム・クルーズ)への連絡を要求する。

 トム・クルーズは、どうやらまた一つ新しい当たり役を手に入れた様だ。
 もっとも自らプロデューサーとして作品の開発に参加し、「ユージュアル・サスペクツ」の脚本家、クリストファー・マッカリーにメガホンを取らせて作った作品だ。
 それなりの思い入れと気合が感じられる新しいダークヒーローになっている。

 ジャック・リーチャーは自らの信念に従い、真実と正義を追求する男。
常識やルールには一切とらわれないキャラクターで、状況証拠としては完全に不利な容疑者の潔白を徐々に確信し始める。
 はっきり言って、サスペンスとしてもエンタテインメントとしても、抜群の出来の作品ではない。
良い意味で、トム・クルーズの主演作としては地味。
 相手役の女性弁護士は、「タイタンの逆襲」でアンドロメダ女王をやってたけど、どうにも華がなかったロザムンド・パイク。
演技はそこそこだけど、やっぱり地味。
 脚本的にも、最後まで展開が読めないようなスリリングで抜き差しならないストーリーでは無いし、根底に流れる銃よりも拳で決着を付けたがる美学とか、突っ込みどころ満載だったりもするのだが、年齢を感じさせないトム・クルーズのアクションのキレと、人間くさく、痛みを感じる新しい主人公の魅力で、最後まで飽きさせない。

 やや強引に感じる展開もあるものの、軍人らしい洞察力と着眼点で、完璧に思える状況証拠の不可解な点を明らかにしていく過程は、中々面白い。
 助っ人として後半に登場するキャラクターの存在も含め、随所に散りばめられた笑いの要素も、結構ツボだった。ネタ的にかなり好き。

 トム・クルーズ主演作でありながら、チマチマと、こじんまりまとまっている流れ者の話で、CGではなくライヴなアクションにこだわった演出。
 トムをはじめに作ってる側が好きなんだろうね。こういうテーマ。
事件を解決した流れ者は、またどこかへ姿を消す。
そうか、懐かしいこの感じの理由は、西部劇を現代でやっているみたいだからだ(笑)。
それで、結果として、実にいい味が出ている。
 上手くすれば、シリーズの回を重ねるごとに面白くなるかもしれない。
もちろん、考えてるんだよね?続編。(笑)
 

ストロベリーナイト

左目が縦に切り裂かれた4件の殺人事件。
各事件の被害者はすべて広域指定暴力団・龍崎組の構成員だった事から連続殺人事件と見た警察は、中野東署に合同特別捜査本部を設置。
 しかし、匿名電話で捜査線上に「柳井健斗」の名前があがったとき、その名前には一切触れないよう警察上層部から現場に圧力が掛かる。
 納得できない警視庁捜査一課・姫川(竹内結子)は、密かに単独捜査を開始する。 


猟奇的な殺人事件などを題材に、しばしば登場する地上波としてはおそらくギリギリのショッキングな事件現場の描写、捜査する側、される側の心の内面に潜む闇や、葛藤。
警察組織をリアルに描いた警察小説を豪華キャストを配して映像化した「ストロベリーナイト」は、画としても豪華で、久しぶりに毎週目が離せないドラマだった。
 テレビドラマの水準を超えて、映画的だった「ストロベリーナイト」を締めくくる最後の事件いうのがこの作品のふれこみ。

 管理官の橋爪(渡辺いっけい)や上司の今泉(髙嶋政宏)、「天敵」のガンテツこと勝俣(武田鉄矢)や、日下(遠藤憲一)もちろん姫川班の菊田(西島秀俊)をはじめ石倉(宇梶剛志)、葉山(小出恵介)、湯田(丸山隆平)らドラマを盛り立ててきたキャストはそのままに、本作では姫川と禁断の恋仲に発展する龍崎組若頭補佐の牧田役に大沢たかおを迎えて、殆どのシーンが「雨」の「インビジブルレイン」。

時に冷たくときに哀しくスクリーンに降り注ぐ「雨」は、映画ならではの美しさ。
謎めいた連続殺人とそこに隠された幾つもの思惑、警察組織の腐敗。
せつな過ぎる菊田の純情。そして、強さを秘めた竹内結子の美貌。
 映画として、ひとつのシリーズの締めくくりとして、非常に潔い結末を迎えるわけだが、あまりに魅力的なシリーズだっただけに、このドラマの続きをもっと見てみたいと思わずには居られなかった。

 敢えて難を言うなら、少しふくよかになった印象の大沢たかおは、少々、映りが好青年すぎたかもしれない。
本作の要である見た目は紳士的で人望がありながら、凶暴さを秘めた野生的二面性が、時としてギラギラと垣間見えるような「牧田」というキャラクター。
この役をもっと活かせるキャスティングだったら、もう一段二段、この話は面白くなっていた気がする。