2013年2月7日木曜日

DOCUMENTARY of AKB48 No flower without rain 少女たちは涙の後に何を見る?

タイトル長ぎるよね(笑)。
本作は、AKB48を追い掛けたドキュメンタリーフィルムの三作目。
AKB48という今や巨大化したビジネスの仕組みの中で生きる様々な立場の人々にスポットを当てて見せた、ドキュメンタリーである。
この数年、音楽業界にとっては話題、セールス共に中心的存在のグループであり、テレビを点ければ彼女たちを目にしない日はない。
 地方はおろか、海外にまで姉妹グループを展開し、巨大ビジネスと化したAKB。

前田敦子の突然の卒業宣言、総選挙で1位に帰り咲いた大島優子、結成以来の目標だった東京ドーム公演の実現。
華やかな面と表裏一体の葛藤、苦しみ、悔しさ、センターポジションへの憧れと、恐怖、プレッシャー、さらにはスキャンダルを発端に去ることになったメンバーたちの姿までも、容赦なく、舞台裏も含め、淡々と...。
彼女たちと彼女たちのビジネスをカメラは追っていく。

 映画公開直前には、初期メンバーの峯岸みなみが、「お泊り愛」を報じられて坊主頭で謝罪すると言う衝撃ニュースが駆け巡った。
批判するのは簡単だ。
だが、ここまで巨大化したAKBとは何なのか?

 この映画に映し出されたAKB。
それは、少女たちのスターダムへの憧れを燃料に、フル回転する巨大な収益エンジンと化した「組織」の姿だった。
 自己実現と後輩の育成、チームワーク。
各チームリーダーが抱える苦悩や葛藤は、アイドルの一員でありながら会社組織の中間管理職そのものに見えた。
 彼女たちが「組閣」と呼んでいるのは、テコ入れのための人事異動や組織変更で、国内で芽が出なかったメンバーは、ジャカルタや上海の姉妹グループへ移籍を命じられると共に、AKBビジネスのノウハウを海外にまで広める役割を担っている。

2012年100万枚を超えるセールス記録のシングル5枚は全てAKB48だった。
 かつて俺がレコード店から全てのメーカーのオーダーを取る仕事をしていた90年代後半から2000年代前半頃、ミリオンセラーとは世代を超えて支持された商品のみが残せる大きな結果だった。
しかし、AKBビジネスでは握手会に沢山参加したいために、一人のファンが沢山同じCDを購入するのだと言う。
 総選挙で一位を競わせる仕掛けもふくめ、キャバクラシステムとも呼ばれるAKB商法だが、彼女たち自身の目的は「カネを稼ぐ」事ではなく、「スターダム」であり、最近忘れかけていたハングリー精神を思い出させる存在であったりもする。
 彼女たちのファンはおそらく、単に楽曲を買っているのではなく、応援するアイドルと会うための時間を買っている。
 時には親心の様に成長や躍進を見守り、時には擬似恋愛の対象としてそこにお金をつぎ込んでいる。
そこで、そのビジネスモデルと、それを支える組織を維持するための掟がおそらく「恋愛禁止」なのだ。
それ故に、スキャンダルを起こしたメンバーは、涙ながらに辞めていった。
 初期メンバーの謝罪と脱退スピーチに、舞台裏で号泣するAKB48グループ総支配人戸賀崎氏の姿は、情を棄てざる得なかったビジネスマンの涙に見えた。 

先日、CNNが峰岸の坊主頭を侍の切腹になぞらえて報道して話題になった。
それはある意味、当たっているかもしれない。
法度を破った者の存在を許せば、おそらく「ファンの妄想」で成り立っているビジネスモデルは崩壊するのだ。
 かつて、単なるご当地アイドルの「はしり」に過ぎなかったAKBは、気付けば音楽業界の景気を背負ってしまう位の存在に巨大化してしまった。
 彼女たちの賞味期限が切れ、ビジネスモデルが終わることをいまや多くのオトナが恐れる事態となった。
よもや、「恋愛禁止」の法度は、個人をはるかに超えた責任の重圧となってのしかかっているのだ。

 峰岸は、映画の中でスキャンダル報道を機にAKBを去っていった三名の様に、ただ謝罪して辞める事もできた。
しかし、ビジネスを揺るがす法度破りをおかしてまでそこに残りたいからには、自らそうせざる得なかったのだろうと、映画を見た今は、理解できる気がする。

 映画のインタビューの中で初めて、板野友美が引退の決意を口にしたとき、そこからはそんなAKBに居続ける事の限界、そのシステムや制約からの解放を求めて出た結論であることが窺い知れた。
 2010年前後の音楽シーンを語る上で、後世に残る興味深いドキュメンタリーフィルムになっている。
 

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