2010年4月29日木曜日

オーケストラ/NARIZO映画レビュー

共産主義時代、ユダヤ系の演奏家たちを守ったためにボリショイの主席識者の座を解雇され、今は劇場清掃員として働く中年男アンドレイ・フィリポフ(アレクセイ・グシュコブ)。
ある日、清掃中にパリのプレイエルへの出演依頼のFAXを見つけた彼は、かつての仲間を集めて偽のオーケストラを結成、ボリショイ交響楽団代表としてパリに乗り込むことを思いつく。
モスクワの片隅でかろうじて生計をたてている元団員のほとんどが、アンドレイの荒唐無稽な誘いを二つ返事で承諾。演奏曲はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、ソリストは若手スター、アンヌ=マリー・ジャケ(メラニー・ロラン)を指名。
パスポートも、ジプシーのヴァイオリン奏者が24時間で全員の偽造品を調達。遂に寄せ集めオーケストラはパリへと旅立った。彼等がジャケを指名した理由...そこには彼女の出生の秘密があった。


 フランスで大ヒットしたクラシック音楽映画が日本に上陸。単館上映ながら。なかなかの評判という事で、劇場へ。
本家ホンモノのボリショイのオーケストラを解雇されたかつての団員が「成りすまし」で、パリに渡り公演を成功させてやろうという、非常に面白そうなストーリーに、コメディだよねと、興味をひかれた俺。

しかし、共産主義下のソビエトで体制に反抗した天才指揮者が、清掃夫に落ちぶれてるあたりとか、笑いがとれそうな不遇の設定は意外にも淡白に描かれ、その「時代」に対する理解が無いと、イマイチ共感できない感じの序盤。
かつての仲間をひとりずつ訪ねて、企みに引き込むシーンも、団員のキャラや背景を描くのに格好の展開に出来そうなはずが、イマイチ活かしきれず、中盤、パリに渡っての彼等オーケストラの自由奔放な、だらだら振りをそれこそ、だらだら見せられて、いったい何を見せたいんだこの映画は...と、その独特のペースに多少、やきもきさせられた。

しかし、若手の天才ソリスト、アンヌ=マリー・ジャケを演じるメラニー・ロランが出てきた辺りで、ぐっと面白くなっていく。とにかく、あまりにも彼女は美しく、続いて、何だかワケありな背景がありそうな展開をみせ、ダメダメだなと思っていた内容にぐっと興味が沸いてくる。
そしてラストの演奏シーンは、ここまでで呆れるくらいに低くなっていた自分のテンションの反動もあって(笑)、クラシックの演奏シーンでありながら泣きそうになるほどのカタルシスを感じさせてくれた。演奏家達が演奏を通じて心を通わせ、語らずとも全てが理解しあえてしまうという究極の演奏シーンが、台詞はなくても愛が語られているシーンが、そこにあった。
ああ..この15分のために俺は2時間を我慢してて良かったと、そう思える、それは素晴らしいシーンだった。

だったら、この手前の部分までのドラマをもっと、上手く作ってくれよと思わずには居られない演奏シーンの後、とってもシアワセに大団円を迎える。
終わってみれば、これってコメディではなかったねという音楽ドラマ(笑)。
「のだめ」も良いけど、クラシックの本場が作ったクラシック映画の凄み、ここにありという演奏シーンは、何度も言うけど必見。



2010年4月25日日曜日

タイタンの戦い/NARIZO映画レビュー

神と人類が共存していた時代。神に対して、人間の王が反旗を翻し、人類の創造主で、神々の王であるゼウス(リーアム・ニーソン)は、激怒。ゼウスの弟でゼウスに恨みを持つ冥界の王ハデス(レイフ・ファインズ)は、この機を逃さず、人間達を恐怖で支配しようとしていた。
一方、ゼウスには、人間であるアルゴス前国王アクリシウスの妻を姦通して生まれた息子ペルセウス(サム・ワーシントン)がいたが、彼はおのれがゼウスの子である事をまだ知らなかった。
ハデスによって育ての親を殺されたペルセウスは、戦士たちとともにハデスと対決するため立ち上がった。

80年代の前半に公開されたオリジナル版の「タイタンの戦い」は、ハリー・ハウゼンによるストップモーションアニメの怪物たちと人間が入り乱れた、なんとも魅力的なファンタジーで、子供の頃は何度もビデオを繰り返してみるほどお気に入りの作品だった。

あれから30年。
現在の映像技術を活かし、3D対応して、かつて大好きだった「タイタンの戦い」が帰ってくると聞いて、期待するなという方が無理だろう。

しかし、アクション畑のルイ・レテリエ監督と、アバターの主演で一躍有名になったサム・ワーシントンの「タイタンの戦い」は、映像が派手な一方、残念なくらい内容が薄く、せめて3D版を鑑賞して大スクリーンから飛び出してくるのを見なければ、本当に何の記憶にも残りそうに無かった。

ところどころ、オリジナル版のファンを喜ばせるようなオマージュシーンも登場するにはしたのだが、なんか、手応え無かったんだよなぁ....。

2010年4月19日月曜日

アリス・イン・ワンダーランド/NARIZO映画レビュー

婚約者のプロポーズから逃げ出したアリス(ミア・ワシコウスカ)は、懐中時計を持った白ウサギの後を追って穴に転がり落ちアンダーランドと呼ばれる不思議の国へ。
アリスはすっかり忘れてしまっていたが、そこは、幼い頃彼女が訪れた事のある不思議の国だった。
しかし、いまやアンダーランドは独裁者、赤の女王(ヘレナ・ボナム=カーター)が君臨する暗黒時代。
そこに伝わる“預言の書”には、なんと、救世主アリスが現れてこの暗黒時代を終わらせると書かれているのだった....。


 ディズニーで製作されたティム・バートン監督の最新作は、あの「不思議な国のアリス」の続編として構成されたオリジナルストーリー。
ティム・バートンといえば、無邪気な悪趣味。笑えるブラックさと、可愛さ、妖艶さと不思議さが同居するなんとも魅力的な名作の数々を産み出してきた鬼才。
今回も、彼の作品では欠かすことの出来ないジョニー・デップをマッドハッター役に起用して、果たしてどんなアリスが見られるのかと大きな話題を呼んでいた。

しかし、この作品は、良くも悪くもディズニーだった。
立体メガネを装着し、冒頭の3Dになって輝くシンデレラ城のディズニーロゴから先、まさにその108分は3Dで体験するディズニーのアトラクションそのものだった様に思う。
キャラクターの造形、美術、あらゆるビジュアルにティム・バートンらしさは感じられた。
チョッとした毒や、不気味だがどこか可愛い雰囲気ももちろん、あった。
しかし、それはどこまでもお子様にも安心してお楽しみいただけるレベルのディズニーアトラクションの枠の中にちょこんと収まっているようにしか見えなかった。
ストーリーも、判り易いがいつものバートンを期待していると肩透かしを食らった気になってしまう。
禁忌的なものに挑戦するような冒険なんて当然無い。
なにせディズニー製作で、あの有名な「アリス」を借りてきて作ったストーリーなのだ。
自ずと、限界はあったのかもしれない。

それでも、誤解なきように言っておくと、これは3Dメガネで見る立体映像アトラクションとして、文句ない出来栄えの作品だった。
ディズニーランドの延長線上的に、とにかく子供が見ても安心で、コドモに飽きられるほど長尺じゃなく、興奮したり、笑顔になれたりする話題の立体映像映画を1本、今、薦めろといわれれば、俺は「アバター」ではなく、こちらを薦めるだろう。


しかし、アトラクション的過ぎる楽しいだけの立体映画には、客単価の高い立体映像作品が、またしても単なる一過性ブームに終わりかねない匂い、ちょっとした残念さを感じてしまったりもするのだ。
特にそれが、大好きな監督の最新作だったりすると。





2010年4月13日火曜日

1/6スケールフィギュア アイアンマン・マーク3(バトルダメージ版)/ HOT TOYS

今日は、オタクネタ。
俺の好きな馬鹿メカアクション大作「アイアンマン」シリーズから、スゲェ豪華じゃん!!これ。と、予約して楽しみにしていたHOT TOYS製のアイアンマン・マーク3(バトルダメージ版)1/6スケールフィギュアがとうとう先日、自宅に届いた。
そこで、早速、ブログで見せびらかしてみようと思う。(笑)




目や胸部のアーク・リアクター、両手のリパルサー光線発射部はライトアップ機能を搭載。
なかなかのプロポーションで、見ていて飽きない。胸部のライトアップスイッチは、場所を探すのに一苦労だった。正解は右肩後ろの羽の部分。ここにスイッチがある。



部屋を暗くしてみると、発光部分の明るさが際立つ。うーん。実にSFな感じじゃないか。w

肩の部分のエアフラップを開いたところ。劇中のギミックはかなり細かいところまで再現されている。細かくて薄い部品が多いため、うっかり転倒して割れたり折れたりしないか、心配になってしまうほど精巧。


脚部のフラップも開けて立たせてみた。スペックでは全身36箇所稼動。リボルテック程とはいわないが、かなり自由度が高い関節部分により、様々なポージングが可能。ただし、腕の部分が、中々イメージどおり動かなくてイライラ。しかし、写真の様な自立は全く問題なくこなせる。

ダメージ版のパーツに変更。胸と頭の部分を取り替える。肩のミサイルランチャーは肩を開閉してセッティングする。
「メガネ、メガネ...」とよたよた歩き回るイメージでポーズを付けてみた。
マスク部分を外すと、なにやら不服そうなロバート・ダウニーJrが現れる。


ロバートダウニーJrにコマネチをやってもらった。「コマネチっ!」「コマネチ!」.

2010年4月11日日曜日

第9地区 /NARIZO映画レビュー

28年前、正体不明の巨大宇宙船が突如、南アフリカ共和国に飛来。
宇宙船に乗っていたのは不衛生で弱り果てたエイリアンの難民だった。
彼らはヨハネスブルグにある第9地区の難民キャンプに隔離されたが、言葉も通じず、野蛮で不潔なエイリアンたちと一般市民との対立は激化する一方だった。
エイリアンの管理事業の委託を受けた軍需企業マルチ・ナショナル・ユナイテッド社(MNU)は彼らの強制移住を決定。ヴィカス・ヴァン・ダー・マーウィ(シャルト・コプリー)を現場責任者に指名する。
しかし、第9地区内の小屋を調査している際に、ヴィカスは謎のウィルスに感染。変容を遂げて行く彼の身体に、高い価値を見出したMNUは、ヴィガスを人体実験にかけるために追跡する。


 SF映画でありながら、今年のアカデミー賞は「アバター」が美味しいところをさらった。そのイマジネーションに溢れた世界観と、3Dで眼前に広がった異世界の映像に世界中の観客は圧倒され、賞賛の拍手をおくった。作品の内容には、他人の生活に土足で踏み込み、争い続けて来た人類の歴史を彷彿とさせるところがあって、風刺的な要素が含まれてはいた。しかし、「第9地区」と比較すると「アバター」は甘い印象のSFファンタジーにしか見えてこない。

 つまり、今、作品として俺が是非見て欲しいと他人に薦めたいSFは、作品賞にノミネートされながら、賞に届かなかったこの「第9地区」の方だ。
3DやVFXの技術進化の到達点として、「アバター」は今後も語り継がれるかもしれないが、この「第9地区」は、痛烈な社会風刺をSF映画の形を借りてエンタテインメントにする事に成功した作品として、その衝撃的な内容が、長く語り継がれる事になると思う。

監督は南アフリカ出身のニール・ブロンカンプ。
長く人種隔離政策が続いていたこの国の出身監督が、描くドラマは、まるでアパルトヘイトの再来のようだ。
世界に溢れる難民問題や、そこから生じる、摩擦、犯罪の数々、そして時として流血の惨事に発展する衝突。こういった、今、ニュースで目にする、デリケートな様々な問題を「エイリアン」が難民として飛来する話に置き換えて、この作品は問題提起している。

手持ちカメラを多用した、ドキュメンタリータッチの映像は、SF映画であるコトを忘れそうなリアリティを持っている。作品冒頭で、エイリアンについてのインタビューに答えているのは、実際のヨハネスブルクの住民達。彼らに難民や、不法入国者(エイリアン)について語らせた映像をそのまま挿入して、飛来したエイリアンたちについてのインタビューシーンを作ってしまうなど、風刺や皮肉を利かせながらもリアルにテーマを追求した強烈な演出が全編で炸裂。3D映画の様に飛び出しはしないが、画面に釘付けになる緊迫感に溢れている。

 中盤以降は、何か得体の知れないものに感染するというアクシデントにより、追うものから追われるものとなった主人公を通じて、汚くて野蛮だが正直な「異星人」よりも、醜悪な存在としての「人間」が描かれる。
失った全てを元通りに取り戻すため、つまりあくまで自分のために、決心をして困難に立ち向かうヴィガスが、やがてエイリアンとココロを通わせていく。

この映画には、全てを綺麗に解決させてくれるようなハッピーエンドは無い。
これは「ファンタジー」よりも「現実」に近い21世紀版の「E.T」であり、「未知との遭遇」なのだ。