2013年5月1日水曜日

ラストスタンド

アーノルド・シュワルツェネッガーの「ターミネーター3」以来10年ぶりの主演復帰作。
 それだけで、もうどうであれご祝儀鑑賞だ。映画の日だし。(笑) 

シュワルツェネッガー演じるオーウェンズは元凄腕刑事ながら、多くの仲間を失った刑事生活に疲れて、平和な国境のど田舎で保安官として余生を過ごしている。
そこに脱走した麻薬王と、その手下どもが現れて、孤立無援の田舎町で、頼りない地元の保安官と多勢に無勢の闘いを繰り広げる。

 かつては辣腕だった老保安官が立ち上がるというプロット自体には、何の新鮮さも無いが、まぁ、それはいい。
しかし、その設定に真新しさは無くても、幾らでも面白いアイディアを用いることは出来たはずだ。

 しかしどうだろう、この余りにも大味な内容は。
 誰ひとりとして、魅力を感じられるキャラクターがおらず、シュワルツェネッガーと対峙する麻薬王にも、なんら悪の魅力が無い。
アクションにもまるで新鮮味はないし、FBIの指揮官を演じたフォレスト・ウィテカーなんて、いい役者なのにただの無能なデブでしかない。
決してつまらなくはない。
 退屈ではなかったし、眠くなったりもしなかった。
しかし、二度見たいと思えるような愛せる映画ではなかった。
どうせご祝儀鑑賞だから、たいして期待してなかったというのもあるが、これは、シュワルツェネッガーの復帰作という前振りに助けられただけの小品だ。
 最近の邦画の出来が、以前にも増して上がってきているだけに、見た目だけ派手で大味な作品の見劣り感を半端なく大きなものに感じるのだ。

と、思ったら監督は、キム・ジウンじゃないか。
 彼の作品は、韓国らしい義理人情を感じるものや、韓国製西部劇の「グッド・バッド・ウィアード」みたいに挑戦心にあふれたものが多かった。

しかし、この作品には人情も真新しさも無い。
ただ、どこかで見たような薄っぺらなパーツをかき集めて作ったようなアクション映画だ。
そんな彼の新作が、人生たった一度でもう充分のつまらない暇つぶしにしかならないだなんて、なんだか、余計に残念だ。
 

藁の楯

孫を無残に殺された経済界の大物。
逃亡中のその殺人鬼を殺したら10億円を支払うという新聞広告に殺気立つ人々と、自首してきた彼を警視庁まで移送する任務を受けたSPの息詰まる攻防戦。

 見ているこちらが殺意を抱きたくなるくらい(笑)、何処までも屑の様な殺人鬼 清丸国秀を藤原竜也が熱演。
彼を守る任務にあたるSPに大沢たかお、松たか子。
同行する警視庁の捜査一課刑事に岸谷五朗、永山絢斗。
引渡しもとの福岡県警刑事に伊武雅刀。
孫を殺され、清丸殺害に賞金をかけた経済界の大物を山崎努が怪演。

警察の内部含め、国民の誰もが信用できない状況の中、それぞれ心に傷を持つ刑事やSP達が、守る価値の見い出せない屑のための楯となり、一時も目を逸らせないドラマが展開する。

 この豪華演技陣を纏め上げ、邦画では類を見ない規模の市外ロケを敢行したのは鬼才・三池崇史監督。
 開通前の高速道路を警察車両の護送車列で完全封鎖、新幹線の車内・駅のシーンは台湾ロケで実現。
名古屋市内を封鎖してのラストシーンなど、本物の街と車両を使った逃走攻防劇が演技の火花散るドラマをより一層盛り上げる。
 製作・配給はワーナー。
 まさに世界標準、オリジナリティの強いサスペンスエンタテインメントに、唸らされた。 
誰も信じられない、驚愕と興奮のストーリー。
 さらに、びっくりしたのは、原作があの懐かしい「ビーバップ・ハイスクール」の木内一裕の小説だったということ。
 ネタばれは出来ないので、多くは書けないが、これはこのGWに是非、劇場で見ておくべき映画だ。
 

図書館戦争

国家によるメディア検閲が正当化された日本を舞台に、「知る権利」や「本を読む自由」を守るため図書館が自衛して国家権力と攻防を繰り広げる。

 有川浩のベストセラー小説が原作。
少し前にはアニメ化もされている人気の作品を「GANTZ」を実写化した佐藤信介監督の手で映画化したのがこの作品だ。

 資料収集の自由、資料提供の自由、利用者の秘密保持、全ての検閲への反対。

劇中に登場する宣言は、1954年に図書協会が定めた実際のもので、原作の有川浩はこれを命懸けで図書館が守ったら...という発想でこの物語を生み出したのだという。

 「本を焼く国家はやがて人も焼く」という台詞が出てくるのに代表されるように、全く架空の世界の物語でありながら、人々の無関心がやがて気付かぬうちに当たり前の自由を奪い、権力者の都合のよいような全体主義的な社会になってしまうかもしれないという強烈なメッセージに貫かれたこの作品は、思いの外、見応えがあった。

 原作の有川浩は自衛隊を中心に物語を描く事で有名な若手作家だが、むしろ国家権力の代表ともいえる自衛隊が、図書館を守る「図書隊」という架空組織を描くために映画に全面協力して、ただならぬ迫力をスクリーンに与えていることに少しばかり驚いた。
 しかしこれは、自衛隊が原作者の企画に好意的だという以上に、図書隊の信条が「専守先制」という自衛隊の根幹姿勢と立場を同じくしているからという理由が大きいかもしれない。

 とにかく邦画としてはかなり派手な戦闘シーンが展開され、この架空の世界にリアリティを与えている。 
加えて、主役の笠原を演じる榮倉奈々の健気さというか、図体のでかい体育会系純情乙女っぷりが半端なく可愛い。
 映画の日に見たとはいえ、これだけでもう1,000円の価値はあった(笑)。
 いまやジャニーズきってのアクション俳優 岡田准一の演じる堂上とのコンビは、微笑ましくもあり、「ベタ甘」な世界が見事に映像化されていた。

 終わってみれば、このコンビでの続編を見てみたい気になった。
だって榮倉奈々、可愛いんだもん。
 

舟を編む

この作品、周りが薦めてくれなかったらノーマークのまま見過ごすところだった。
 2012年度の本屋大賞で第1位に輝いた、三浦しをんさんのベストセラーの映画化。
 辞書の編纂に携わる人たちを描いた、和やかで静かな人間ドラマ。
 もちろん、ノーマークだっただけあって原作未読のまま、劇場へ。

意外に思われるかもしれないが俺は昔から辞書が好きだった。
 iPhoneになって、電子辞書として「大辞林」のアプリを入れてから、学生の頃以来、隙間の時間に何気なく辞書を読んだりするようになった。
これが結構面白いんだ。

それでは辞書はどんな風に作られているのだろう?

 おそらく大変な作業なのだろうという想像までは何となくつくものの、そこで何が行われているのかを詳しく知る機会はこれまでになかった。
 いや、正確に言うと、便利で当たり前にある「辞書」の作り方がどんなものであるのか、知ろうという気にさえなっていなかったのかもしれない。

この映画は実に静かで緩やかな語り口の中で、そこに携わる人々と辞書作りの過程を魅力的なドラマとして魅せてくれる。
 石井裕也監督の演出はゆったりした時間の流れを作りながらも、決して退屈させない魅力にあふれている。
そして辞書一冊の完成に15年もの歳月が掛かるということ、それは編集者にとって半生を賭けたビッグプロジェクトであることを観客の多くはおそらくそこで知ることになる。 

月日の中で、どこか頼りなげでぶっきらぼうの馬締光也(松田龍平)は、立派な編集者に成長する。
そして15年の歳月の中で変わったもの変わらないものが描かれる。
かぐや(宮崎あおい)との出会いと、結婚、全くタイプの違う西岡(オダギリジョー)との親交。そして大切な人の死。


この作品は、ぶっきらぼうで言葉数が少ない松田龍平よりも、根に熱い想いを隠しながら軽妙な台詞回しで軽いキャラを熱演したオダギリジョーの果たした役割が大きかった。

完成へ向けていよいよ一体感を増す編集室。

 全く地味。全く地味な話なのに、胸が熱くなる。
辞書編纂がカッコよく思える。
日本語の美しさ、難しさ、そして何より言葉はどんどん進化を遂げていくという現実を再認識させてくれる作品になっている。

 

2013年4月27日土曜日

アイアンマン3

“アベンジャーズ”の戦いから1年。
アイアンマン・アーマーを身にまとい、世界平和のために戦う、億万長者にして天才発明家のトニー・スターク(ロバート・ダウニー・Jr.)は、突如 史上最悪のテロリスト“マンダリン”からの襲撃を受ける。 

アイアンマン」の魅力。
それはなんと言っても、おとなげないオヤジが主人公で、しかもハイテクのアーマーを着なければ、俊敏に動けるものの限りなく生身のオッサンだというところだ。

 トニー・スタークには才能はあるが、超能力はない。
傷つくし、間違うし、不道徳なこともする。
 しかも本作では激しい戦いの末、ストレス障害に陥っていて、精神不安定。
そんな、とにかく人間臭いオヤジキャラは、いまや、ロバート・ダウニー・Jr.を代表する当たり役になっている。 

本作ではトニー・スタークが全てを失い、悪態をつきながら再び立ち上がる姿が描かれる。
その背景にあるのは、過去の因縁。
テロや戦争がメディア化したり、劇場化している現代社会を強烈に皮肉ったストーリーが展開される。

今回、屈折した悪役をガイ・ピアースやベン・キングズレーが好演。
シリーズを通してトニーの恋人ペッパーを演じるグウィネス・パルトロウは、歳を重ねるごとにチャーミングになって行ってる気がするし、ドン・チードルはもしかして、少し痩せた?

 派手で馬鹿なノリ、夥しい数のアーマーが登場する派手なラストまで、一気にぶっ飛べるゴールデンウイークには最良のエンタテインメント。
もちろん、マーベル映画のお約束、エンドロール後にも1シーンあるので、劇場では焦って席を立たないように。
 映画会社のキャッチコピーは「さらばアイアンマン」。
そんな馬鹿な!!と突っ込みいれつつ、すっかり夢中にさせられた1作目のテンションが俺の中で再び蘇ってきた。
 ホントにこれでシリーズが終わることは無いと思うが、一つの節目の作品になることは間違いないだろうね。
 

2013年4月20日土曜日

リンカーン

リンカーンと言えば奴隷解放を実現させたアメリカの自由を象徴する存在。

 暗殺されたんだよな、子供のころにお気に入りだった東京タワーの蝋人形館は何故かリンカーンの暗殺シーンが再現されてたから、子供心にインパクト絶大だった。
あれ、まだあるのかな?

南北戦争ね...アメリカの内戦でしょ?
 改めて考えると、リンカーンの名前は知っていても、当時のアメリカについては知ってるようで、意外と知らないことに気付かされる。
 しばらく見たい映画がなくて、劇場から足が遠ざかっていた間に、自宅に届いていたBlue-layで「リンカーン秘密の書」を見返して、この作品の公開に備えてはみたものの、リンカーンがヴァンパイアハンターだったなんて設定の作品が、当時についての理解を深める助けになるはずもなく。(笑)
不勉強のまま久しぶりに硬派な新作と向かい合う事になった。

 この作品は、スティーブン・スピルバーグ監督によるアメリカ第16代大統領、エイブラハム・リンカーンの伝記映画だ。
 と言っても、「貧しい家の男が苦学の末、アメリカ大統領になった」なんていうありがちな説教臭い偉人伝にはなっていない。
 奴隷制度を廃止する法律、米国憲法修正第十三条を可決させるまでの苦悩の日々を中心に、政治家たちの思惑が交錯する政治劇としてそれは描かれる。

 ちょっと想像すれば理解できる話だが、イマイチ、ピンと来ていなかった当時の事実をこの映画は、現代の観客に突きつける。
 例えば、当時の黒人奴隷は、立派な財産だったと言う事実。
 奴隷解放は、ある意味、奴隷の持ち主から財産を取り上げるという政治運動だった。
そして大規模農園の安価な労働力として黒人奴隷を大量に働かせていた南部の政財界にとって、それは許されるものではなかった...なんてコトが政治家たちの背景に見え隠れする。
 奴隷制度は好ましくないと、腹では理解していても、自らの政治基盤や経済基盤が、その制度のうえに成り立っている政治家たちの葛藤も描かれる。
 それから解放された黒人たちが、街にあふれたら大変だと言うような、漠然とした恐怖。

 リンカーンが法の下での人種平等をなんとか法律の下に宣言しても、人間としての平等は認めることが出来ない社会。
彼らの参政権はおろか、女性に参政権を与えるなんてことは、輪を掛けてとんでもないと言うような価値観の時代の物語なのだ。
 それだけに可能であれば、ほんの少しでも「南北戦争」について知識を仕入れてから作品と向き合ってみるコトをお奨めしたい。
 それだけで数倍、この作品は興味深いものになるはずだ。 
物語の中に南北戦争のシーンもあるにはあるのだが、しかし、殆どの時間は議会とホワイトハウスの中だけで繰り広げられる。
スピルバーグの作品としては、極めて地味だが、派手なVFXの代わりにトミー・リー・ジョーンズやデヴィッド・ストラザーンといった円熟の俳優人の演技が、緊迫感あるドラマに華を添える。

 そして何より誰より、リンカーンを演じたダニエル・デイ=ルイスだ。
 この作品の演技でアカデミー主演男優賞に輝いた彼はもう、リンカーンそのものにしか見えない。
 華奢で物静かで、見た目は疲れきった男が、信念の前に別人の様な烈しさと強さを見せる。

 ひとりの父親であり、弱さや葛藤する姿も見せる、人間リンカーンをこの作品は描いている。
 そして、その信念のためには大きな声で言えないような汚い手も使ってみせる。

 作品で描かれた当時と、現代はまるで環境が違う。
 しかし、不思議と変わらないのは、どうやら保身や目的のために手段を選ばない「政治家」という職業の生態なのかもしれない。
 傾いた経済や、震災からの復興、憲法の改正論議と領土問題、決して明るくないニュースが続く中で、現代の政治家達が、どんな汚い手を使っても実現させたい信念があるとすれば、なんだろう?

 それが私利私欲と保身を約束するものばかりではない事を祈るばかりだ。

 

2013年3月21日木曜日

オズ はじまりの戦い

夢と野望にあふれているが自堕落でいい加減な生活を送っているカンザスのサーカス奇術師オズ(ジェームズ・フランコ)が、気球ごと竜巻に巻き込まれて美しい魔法の国・オズに降り立たち、伝説の魔術師として、オズを救う。

アメリカ童話のマスターピース「オズの魔法使い」の前日譚。
童話に出てくる魔法使い「オズ」が、どのようにしてやってきたのかをサム・ライミ監督×ディズニーで映画化した作品だ。

 自堕落なオズのカンザスでの暮らしぶりを4:3のモノクロで、オズの世界へ吹き飛ばされてからをカラーワイドで描き分ける演出は、その色彩的ギャップが非常に大きいこともあって美しくも怪しい極彩色の魔法の国を強く観客に印象付ける。

 美術が素晴らしいことに加えて3Dを強く意識した演出が全編に貫かれ、視覚的に非常に楽しい。
ところが、どういうわけか、3Dで見られる劇場が少ない気がする。
ここはケチらずに強く3Dでの鑑賞をお奨めしたい。
 世界の広さを感じられる立体感は「アリス・イン・ワンダーランド」のそれをはるかに超えているように俺は感じた。
 3Dで見ること、良くも悪くもディズニーランドのアトラクションが130分続いているような内容なので、これは絶対だ。

 喋る猿とか、奇妙な種族、かかしやライオンがちょっと出てきたりと、原作を知っていると楽しめそうなキャラクターや設定が、ちょこちょこ出てくる。
 オズで出会う魔女たちも、「テッド」でヒロインをやっていたミラ・クニスやレイチェル・ワイズ、ミシェル・ウィリアムズなどいずれも美人揃いで楽しい。
しかし、子供向けのファンタジーでありながら、この作品をより一層ユニークにしているのは、主人公がオズで、演じるのが、ジェームズ・フランコだという点だと思う。
 つまり、「オズの魔法使い」の主人公ドロシーが童話らしく少女だったのに対して、本作は、駄目で嘘つきな大人、いやオヤジが主人公なのだ。

 子供の様な感性を持ち、大人としては到底褒められた者ではないオヤジが、彼の住んでいた現実世界とはかけ離れた場所へ放り出され、人々から頼られてしまうことで、成長していく。
 この作品が描くのは、駄目オヤジが立派な大人になって、世の中の役に立つという、何気に大人も笑わせつつ楽しめる内容だ。

 力ではなく、知恵とオズが奇術師として磨いてきたトリックを駆使した「マジック」で、人々と協力し、悪辣な本物の魔女と対決する。

 リアルに見せる為にCG感を感じさせないコトに腐心して創られた大作とは全くアプローチを別として、この作品では非常にファンタジックにCGとセット撮影、ライブアクションの融合によってオズの戦いを描き出す。
 夢があり、遊びを感じさせるフィナーレだ。

 ところで、よく考えて見れば、ディズニーランドという場所は、それそのものが、オズの繰り出すマジックみたいなものだよね。
 ディズニーの製作者たちが、嬉々としてこの作品に取り組みたい理由が、ちょっと判るような気がした。
久々にディズニーの王道を行く、実写映画だと思う。
 

2013年3月16日土曜日

クラウドアトラス

俺は、客席で静かに感動し、しばらく余韻に浸っていた。

3時間近い大作だが、まるで時間の長さを感じさせなかった。
 紡がれたその壮大なストーリーがクライマックスを迎えたとき、その驚愕の構成力と、計算し尽くされたシナリオに圧倒された。

 こんな気持ちになる作品に出会ったのは、いつぶりだろう。

 1849 年、南太平洋。 
奴隷売買を任された若き青年ユーイング(ジム・スタージェス)に訪れる試練と瀕死の航海の物語。

 1936 年、スコットランド。
若き作曲家フロビッシャー(ベン・ウィショー)による幻の名曲「クラウド アトラス六重奏」創作秘話。

 1973 年、サンフランシスコ。
殺し屋に命を狙われながらも無数の人命に関わる原子力発電所での企業汚職を暴こうとするジャーナリストのルイサ・レイ(ハル・ベリー)の物語。

 2012 年、イングランド。
不当に老人施設に監禁された三流の編集者ティモシー・カベンディッシュ(ジム・ブロードベント)が仲間の老人たちと施設から脱出する物話。

 2144 年、ネオ・ソウル 。
自我を持ったクローン人間ソンミ 451(ペ・ドゥナ)がクローンを解放する革命に身を投じていく物語。

 2321 年、現代文明崩壊後のハワイ。
ヤギ飼いのザックリー(トム・ハンクス)が地球を救う旅に出る物語。

 6つの時代を生きる箒星のあざを持つ6人の主人公。

 時代を隔てた物語が交互に語られるが、注意するとそれは、巧妙に繋がりをもって動いている。
 各時代に登場する人物たちは、同じ魂を持って別の時代のエピソードへと輪廻する。
 性別や国籍を超え、その魂は別の姿で、業を背負いながら生き続けている。
 過去の人物やエピソードが、様々な形で後の時代に影響を与える。
そして、物語が進むに連れ、それぞれの物語が壮大なひとつのテーマをもっていることに観客は気付かされる。
 例えばトム・ハンクスは、1849年には青年の財産を狙う悪徳医師として登場し、1936年のストーリーでは、若き作曲家の弱みに付け込むホテルの支配人。
 1973年には、記者に極秘書類を渡す原発の研究者、2012年には自分の作品をこき下ろした書評家をパーティ会場から突き落とす作家、2321年には地球を救う男に転生する。

 時代と肉体は変わるが、魂はそれを超えてストーリーの中で次の時代へと旅を続けているのだ。

 主要キャストが各エピソードでどのキャラクターを演じていたかが、明かされるエンドロールは、必見だ。
 その役をやっていたのが、誰だかまるで判らないケースが幾つもあって、メイクアップ技術の物凄さに驚愕させられる。
それを理解したうえで、もう一度、それぞれのキャラクターに注意しながらこの作品と向き合ってみると、もしかしてまた違った「クラウドアトラス」に出会えるかもしれない。

 「マトリックス」のウォシャウスキー姉弟がプロデュース。
 「ラン・ローラ・ラン」のティム・ティクヴァが監督したこの作品は、1億ドルを超える制作費を投じたものだという。
 輪廻転生、業、といった仏教的な観念が根底に流れ、ドイツ、アメリカ、香港、シンガポールの4カ国が製作に名を連ねる一大プロジェクト。
この作品をSF超大作映画などという使い古された陳腐な表現に押しはめて語るのは勿体無いし、未見の人に不幸な思い込みを植えつけてしまいそうで嫌だ。
 この作品が素晴らしいのは、メカやVFXやアクションではなく、人間の営み、生き様を描いたドラマ演出と、その構成力なのだ。

後世に残る記念碑的な存在になることは間違いない作品だ。
 

2013年3月2日土曜日

ジャンゴ 繋がれざる者

これは間違いなくクエンティン・タランティーノの最高傑作だ。
 正統派かどうかなんてのはどうでも良い。
 この30年間に公開された西部劇の中で一番面白いかもしれない。俺はそう思った。

 キャラクターは全員くせもので悪辣かつ残忍、血煙上がるガンファイトは冴え渡り、ストーリーは痛快でシニカル、惹き込まれる魅力をもった娯楽作品だ。

 インターナショナルなマーケティングに明け暮れた末、ハリウッドの大作はオリジナリティを失った。
 キャラクターの内面を表現するドラマよりも、派手で判りやすい画をひたすら追求し、中身がスカスカの空虚なアクション大作を量産した。
 この作品にはそんなハリウッドが、アクション娯楽作品を作るうえで何処かに忘れてきた大切なものが、いろいろ詰まっている。

 簡単に言えば黒人の奴隷が、賞金稼ぎになって、白人の悪人どもを皆殺しににしながら悪趣味な農園主の元で虐待されている生き別れの妻を救いに行く話しだ。

 ストーリーの根底に流れているのは義理人情、純愛であり、そこに描かれる怒りは、ながい我慢と忍耐の末に爆発する感情の発砲だ。
 アメリカ映画界でも屈指の映画オタク、タランティーノが愛しているブラックムービーや、日本の仁侠映画、時代劇の価値観が、この西部劇の中には息衝いている。
それを感じ取れる俺たちは、一触即発のメキシカンスタンドオフで、キング・シュルツ(クリストフ・ヴァルツ)やジャンゴ(ジェイミー・フォックス)の怒りが爆発する展開に、思わず喝采を贈ってしまう。
人種差別の歴史が影を落とすアメリカ人よりも、客観的にストーリーを楽しめる日本人のほうが、純粋に娯楽として作品を楽しめるかもしれない。
 日本人が愛するヒーロー像にジャンゴやシュルツは重なるのだ。
つまり過激な手法も交えつつ、タランティーノはコマーシャルになり過ぎたハリウッドの大作が切り捨ててしまった泥臭さを現代風に演出して、皿の上に並べて見せたのだ。

 とにかくジェイミー・フォックスのジャンゴは最高にクール。
ちょっと肥えて、いけすかない悪役が板に付くようになったレオナルド・ディカプリオの農園主や、農園の奴隷頭を不気味に演じるサミュエル・L・ジャクソンなど、脇を固めるビッグネームの使い方も、実に良い。
 そして想像を裏切りつつも、怒りに繋がる伏線の張り方が上手い、素晴らしい脚本。
 これだけ挑戦的な娯楽作品に、今年のアカデミーは脚本賞を贈った。
それもまた痛快じゃないか。
 何度も言うけど、奴隷だった賞金稼ぎが、悪い白人を皆殺しにして妻を救う話だかんね。(笑)
 「どうだ、アカデミーを牛耳ってる白人のジジイども!」って、タランティーノが悪戯っぽく舌を出してそうな気がする。

 アクションの演出は、タランティーノのやりたい放題。 まさにキャリアの集大成。
 いろんな意味でタランティーノが爆発している。
いや、 ホントに、爆発してるんだ。(笑)
 これは、何度でも見たい映画の一本になった。
 長いはずなのに全く長さを感じさせない165分。
アクション映画が好きなら、タランティーノが好きだったら、 西部劇だぁ...とかって食わず嫌いは言わずに黙って、客席に座っておくべきだ。
大きなスクリーンで見ておかないと、絶対、後悔する。


2013年2月17日日曜日

ゼロ・ダーク・サーティ

アメリカ特殊部隊によるテロ組織アルカイダのオサマ・ビンラディン急襲、殺害。
9.11アメリカ同時多発テロ事件から、その日まで。
 ビンラディンを追い詰めたのは一人のCIA女性分析官だった。

 「ハート・ロッカー」でアカデミー賞作品賞&監督賞に輝いたキャスリン・ビグローと脚本のマーク・ボールが再びタッグを組んで、綿密な取材の末、再現したテロとの戦争。
制作にCIAが全面協力し、それが国家機密漏洩になるのではないかと議会が調査を始めたほどの作品だ。
 多くの犠牲を払い、国家の威信を掛けてテロとの戦いに挑むアメリカ側から描かれてはいるが、この作品には強烈な政治的主張も、ナショナリズムを煽るようなヒーローも登場しない。
描かれたのは恐怖と憎しみの連鎖。起きた事実をドキュメンタリーの様に淡々と描く。
「ハート・ロッカー」で爆発物の処理に命を懸ける兵士たちを描いたときと同様のあの視点、絶妙なバランス感覚で、誰の主張に加担するでもなくこのテーマに挑んだキャスリン・ビグロー。
やってくれるぜ、流石である。

とにかくこの作品で描かれる容疑者への拷問、爆弾テロ、自爆テロ、そして特殊部隊による作戦は、いずれも圧倒的にリアルだ。

主人公の女性分析官マヤ(ジェシカ・チャスティン)は、マッチョではないが、強靭な精神力でボロボロになりながらデスクワークをこなす女性だ。
過酷な現実や、同僚の死と向かい合っていくうちに、冷静かつ冷徹に成長していく。
狂気の世界に身をおき、命がけの神経戦を闘う。

敵の姿がはっきり見えないという点では、スパイサスペンスを見ているようだが、派手なアクションシーンや華々しく戦う超人的な主人公が拝める作品ではない。
現実世界の諜報戦で、派手な何かが起きるとき、それは確実に多くの命が奪われるときであり、場合によっては同僚もしくは自分の死を意味する。
難解なパズルのピースを埋めていくように、執念深く彼女は手掛かりを追う。
観客としてもスクリーンから目を離すと、置いてけぼりを食らいそうだ。
神経が参りそうな日々の末に、どのようにCIAはビンラディンの居場所を特定し、必ずしも高いとは言えなかったその確率に懸けたのか。

真実を基にしているだけに、この作品が描くストーリーの結末は、ニュースとして誰もが知っているものだ。
しかし、それでも終始画面から漂う緊張感が、観客を疲労させる。
勝利の余韻やカタルシスは一切、そこには無く、底が見えないほどの深い闇を覗いたような気持ちにさせる。

最後に残るのは、そんな深い闇と虚しさ。
本作は、間もなく発表のアカデミー賞に5部門ノミネートされている。
かつて見たことのないこの挑戦的作品を映画界はどう評価するのだろう。





2013年2月16日土曜日

ダイ・ハード ラスト・デイ

こう言っちゃ申し訳ないが、この作品を見る気になったのは全くの惰性だった。
俺に言わせれば、回を重ねるごとに酷い作品になっていった「ダイ・ハード」は、完全に終わったシリーズだった。
最後の作品は馬鹿映画なんて呼ばれ方で愛してもらえるレベルではなく、間違いなく糞映画だった。
だから全く何の期待もしていなかった。

完全に好みの問題ではあるが、そもそも「ダイ・ハード」は、地味で冴えない男が、不運を悪態つきながら乗り越えつつ、知恵と機転で絶体絶命のピンチから大逆転するような作品だった。
予算は少ないが、アイディアはあった。

この作品には、そういうよさは微塵もない。

しかし、今回は力技で楽しませてくれる。
アメリカから舞台をロシアに移し、ロシアの大物の悪事と抗争に巻き込まれたマクレーン親子が、過去のわだかまりを乗り越え、危機を乗り切るバディ・ムービーとなってシリーズを再生させた。

ジョン・マクレーン(ブルース・ウィリス)の息子ジャック役は新鋭のジェイ・コートニー。
可もなく不可もなく、特に華のある役者ではなかったけど、少なくとも、過去のシリーズに漂っていたマンネリ感の外にある作品にはなっている。

とは言え行き当たりばったり感の強い脚本は三流だし、ブルース・ウィリスはもう高齢。
感動できる要素も、感慨にふける要素も勿論ない。

だが、この作品を見終えた後の俺は、高揚していた。

メガホンを取ったのは「マックス・ペイン」のジョン・ムーア監督。
派手な馬鹿アクション映画としては最高レベルで楽しませてくれるし、予算も掛けまくっている。
笑っちゃうくらい滅茶苦茶に、破壊しまくるカーチェイスのシーンや、軍用ヘリを使ったアクションシーンは、実に素敵。テンポも最高。
暇つぶしには最適だ。

でも、この親子のアクション映画で続きが見たいかといわれれば、もう結構。
この手のアイディアが使えるのは、今回の一回が限界だろう。

頑張ったが、マクレーン刑事は、企画的にもう定年だ。
そろそろ、新しいキャラクターとアイディアのあるアクション・ヒーローが欲しい。


2013年2月9日土曜日

ゴーストライダー2

父親を死から救うため悪魔と契約した男、ジョニー・ブレイズ(ニコラス・ケイジ)。 
その代償は、憎しみや怒りに呼応して、悪を焼き尽くす復讐の妖精=ゴーストライダーを自らの中に宿すことだった。
 引き篭もって苦しむジョニーの元にある日現れた僧侶モロー(イドリス・エルバ)は魔界の王メフィスト(キアラン・ハインズ)が自らの新たな体として狙っている運命の少年ダニー(ファーガス・リオーダン)を悪魔の手から護って欲しいとジョニーに依頼する。
その成功報酬は、、悪魔との契約を解除すること。
ジョニーは、誘拐されたダニーを奪還するため再びゴーストライダーを解放する。


 失礼な話なのだが、俺にとって名優ニコラス・ケイジは、常に笑いのツボだ。
あのちょっと情けないというか、間抜けなオジサン顔を見ていると、それがシリアスな話であっても、どこかユーモラスに感じてしまう。

そのニコラス・ケイジがだよ。
 燃え盛るドクロ頭のダークヒーローに変身するって展開、こんな馬鹿っぽくて大好物の匂いがする映画、放っておけるはずが無かった。
 一部の馬鹿映画ファンに大喜びされながらも、これは続編は無理かな...って位、一般の人には相手にされてなかった気がする前作から6年(笑)。

 まさかの「2」公開。
 予告編では、期待通り、またしても、オッサンが燃え盛っている。
 面白くて儲かる映画が数多公開されている昨今、こんな馬鹿臭が漂う洋画、いつ終わっちまうかわからねぇぜ!!と、俺はライダーさながら、初日の劇場へひた走った。

 今回も、より一層後退した生え際が、地獄の業火に包まれて、前回よりも数段派手にカッコよく、カネを掛けているのに敢えてチープに馬鹿っぽく....燃えドクロに変身したニコラス・ケイジが、悪を燃やし尽くしていく。

 ああニコラス・ケイジ。
なんと期待を裏切らない男よ。
 既視感の強い、戦闘シーンとかアクションシーンばかりだけど、良いんだ。
ニコラス・ケイジが出てるだけで味が違うんで。
そして、唖然のラストの展開。
 ここでは絶対ネタばれは書かないけど、そうか。
これは相当前向きにシリーズ化するつもりなのねと、俺の期待も燃え上がった。

 ここまで読んで「ビビっ」と来たB級大好きな映画ファンは、なるたけ早く劇場へ。
 これはデカいスクリーンでやってるうちに見ておかないと!!(笑)
 

2013年2月7日木曜日

DOCUMENTARY of AKB48 No flower without rain 少女たちは涙の後に何を見る?

タイトル長ぎるよね(笑)。
本作は、AKB48を追い掛けたドキュメンタリーフィルムの三作目。
AKB48という今や巨大化したビジネスの仕組みの中で生きる様々な立場の人々にスポットを当てて見せた、ドキュメンタリーである。
この数年、音楽業界にとっては話題、セールス共に中心的存在のグループであり、テレビを点ければ彼女たちを目にしない日はない。
 地方はおろか、海外にまで姉妹グループを展開し、巨大ビジネスと化したAKB。

前田敦子の突然の卒業宣言、総選挙で1位に帰り咲いた大島優子、結成以来の目標だった東京ドーム公演の実現。
華やかな面と表裏一体の葛藤、苦しみ、悔しさ、センターポジションへの憧れと、恐怖、プレッシャー、さらにはスキャンダルを発端に去ることになったメンバーたちの姿までも、容赦なく、舞台裏も含め、淡々と...。
彼女たちと彼女たちのビジネスをカメラは追っていく。

 映画公開直前には、初期メンバーの峯岸みなみが、「お泊り愛」を報じられて坊主頭で謝罪すると言う衝撃ニュースが駆け巡った。
批判するのは簡単だ。
だが、ここまで巨大化したAKBとは何なのか?

 この映画に映し出されたAKB。
それは、少女たちのスターダムへの憧れを燃料に、フル回転する巨大な収益エンジンと化した「組織」の姿だった。
 自己実現と後輩の育成、チームワーク。
各チームリーダーが抱える苦悩や葛藤は、アイドルの一員でありながら会社組織の中間管理職そのものに見えた。
 彼女たちが「組閣」と呼んでいるのは、テコ入れのための人事異動や組織変更で、国内で芽が出なかったメンバーは、ジャカルタや上海の姉妹グループへ移籍を命じられると共に、AKBビジネスのノウハウを海外にまで広める役割を担っている。

2012年100万枚を超えるセールス記録のシングル5枚は全てAKB48だった。
 かつて俺がレコード店から全てのメーカーのオーダーを取る仕事をしていた90年代後半から2000年代前半頃、ミリオンセラーとは世代を超えて支持された商品のみが残せる大きな結果だった。
しかし、AKBビジネスでは握手会に沢山参加したいために、一人のファンが沢山同じCDを購入するのだと言う。
 総選挙で一位を競わせる仕掛けもふくめ、キャバクラシステムとも呼ばれるAKB商法だが、彼女たち自身の目的は「カネを稼ぐ」事ではなく、「スターダム」であり、最近忘れかけていたハングリー精神を思い出させる存在であったりもする。
 彼女たちのファンはおそらく、単に楽曲を買っているのではなく、応援するアイドルと会うための時間を買っている。
 時には親心の様に成長や躍進を見守り、時には擬似恋愛の対象としてそこにお金をつぎ込んでいる。
そこで、そのビジネスモデルと、それを支える組織を維持するための掟がおそらく「恋愛禁止」なのだ。
それ故に、スキャンダルを起こしたメンバーは、涙ながらに辞めていった。
 初期メンバーの謝罪と脱退スピーチに、舞台裏で号泣するAKB48グループ総支配人戸賀崎氏の姿は、情を棄てざる得なかったビジネスマンの涙に見えた。 

先日、CNNが峰岸の坊主頭を侍の切腹になぞらえて報道して話題になった。
それはある意味、当たっているかもしれない。
法度を破った者の存在を許せば、おそらく「ファンの妄想」で成り立っているビジネスモデルは崩壊するのだ。
 かつて、単なるご当地アイドルの「はしり」に過ぎなかったAKBは、気付けば音楽業界の景気を背負ってしまう位の存在に巨大化してしまった。
 彼女たちの賞味期限が切れ、ビジネスモデルが終わることをいまや多くのオトナが恐れる事態となった。
よもや、「恋愛禁止」の法度は、個人をはるかに超えた責任の重圧となってのしかかっているのだ。

 峰岸は、映画の中でスキャンダル報道を機にAKBを去っていった三名の様に、ただ謝罪して辞める事もできた。
しかし、ビジネスを揺るがす法度破りをおかしてまでそこに残りたいからには、自らそうせざる得なかったのだろうと、映画を見た今は、理解できる気がする。

 映画のインタビューの中で初めて、板野友美が引退の決意を口にしたとき、そこからはそんなAKBに居続ける事の限界、そのシステムや制約からの解放を求めて出た結論であることが窺い知れた。
 2010年前後の音楽シーンを語る上で、後世に残る興味深いドキュメンタリーフィルムになっている。
 

2013年2月2日土曜日

アウトロー

白昼に発射された6発の銃弾、5人が殺害。 
僅か1時間後に逮捕された元軍人の狙撃手、ジェームズ・バー(ジョセフ・シコラ)。
 だがバーは殺人容疑を否認し、彼がかつて軍で最も恐れていた男、ジャック・リーチャー(トム・クルーズ)への連絡を要求する。

 トム・クルーズは、どうやらまた一つ新しい当たり役を手に入れた様だ。
 もっとも自らプロデューサーとして作品の開発に参加し、「ユージュアル・サスペクツ」の脚本家、クリストファー・マッカリーにメガホンを取らせて作った作品だ。
 それなりの思い入れと気合が感じられる新しいダークヒーローになっている。

 ジャック・リーチャーは自らの信念に従い、真実と正義を追求する男。
常識やルールには一切とらわれないキャラクターで、状況証拠としては完全に不利な容疑者の潔白を徐々に確信し始める。
 はっきり言って、サスペンスとしてもエンタテインメントとしても、抜群の出来の作品ではない。
良い意味で、トム・クルーズの主演作としては地味。
 相手役の女性弁護士は、「タイタンの逆襲」でアンドロメダ女王をやってたけど、どうにも華がなかったロザムンド・パイク。
演技はそこそこだけど、やっぱり地味。
 脚本的にも、最後まで展開が読めないようなスリリングで抜き差しならないストーリーでは無いし、根底に流れる銃よりも拳で決着を付けたがる美学とか、突っ込みどころ満載だったりもするのだが、年齢を感じさせないトム・クルーズのアクションのキレと、人間くさく、痛みを感じる新しい主人公の魅力で、最後まで飽きさせない。

 やや強引に感じる展開もあるものの、軍人らしい洞察力と着眼点で、完璧に思える状況証拠の不可解な点を明らかにしていく過程は、中々面白い。
 助っ人として後半に登場するキャラクターの存在も含め、随所に散りばめられた笑いの要素も、結構ツボだった。ネタ的にかなり好き。

 トム・クルーズ主演作でありながら、チマチマと、こじんまりまとまっている流れ者の話で、CGではなくライヴなアクションにこだわった演出。
 トムをはじめに作ってる側が好きなんだろうね。こういうテーマ。
事件を解決した流れ者は、またどこかへ姿を消す。
そうか、懐かしいこの感じの理由は、西部劇を現代でやっているみたいだからだ(笑)。
それで、結果として、実にいい味が出ている。
 上手くすれば、シリーズの回を重ねるごとに面白くなるかもしれない。
もちろん、考えてるんだよね?続編。(笑)
 

ストロベリーナイト

左目が縦に切り裂かれた4件の殺人事件。
各事件の被害者はすべて広域指定暴力団・龍崎組の構成員だった事から連続殺人事件と見た警察は、中野東署に合同特別捜査本部を設置。
 しかし、匿名電話で捜査線上に「柳井健斗」の名前があがったとき、その名前には一切触れないよう警察上層部から現場に圧力が掛かる。
 納得できない警視庁捜査一課・姫川(竹内結子)は、密かに単独捜査を開始する。 


猟奇的な殺人事件などを題材に、しばしば登場する地上波としてはおそらくギリギリのショッキングな事件現場の描写、捜査する側、される側の心の内面に潜む闇や、葛藤。
警察組織をリアルに描いた警察小説を豪華キャストを配して映像化した「ストロベリーナイト」は、画としても豪華で、久しぶりに毎週目が離せないドラマだった。
 テレビドラマの水準を超えて、映画的だった「ストロベリーナイト」を締めくくる最後の事件いうのがこの作品のふれこみ。

 管理官の橋爪(渡辺いっけい)や上司の今泉(髙嶋政宏)、「天敵」のガンテツこと勝俣(武田鉄矢)や、日下(遠藤憲一)もちろん姫川班の菊田(西島秀俊)をはじめ石倉(宇梶剛志)、葉山(小出恵介)、湯田(丸山隆平)らドラマを盛り立ててきたキャストはそのままに、本作では姫川と禁断の恋仲に発展する龍崎組若頭補佐の牧田役に大沢たかおを迎えて、殆どのシーンが「雨」の「インビジブルレイン」。

時に冷たくときに哀しくスクリーンに降り注ぐ「雨」は、映画ならではの美しさ。
謎めいた連続殺人とそこに隠された幾つもの思惑、警察組織の腐敗。
せつな過ぎる菊田の純情。そして、強さを秘めた竹内結子の美貌。
 映画として、ひとつのシリーズの締めくくりとして、非常に潔い結末を迎えるわけだが、あまりに魅力的なシリーズだっただけに、このドラマの続きをもっと見てみたいと思わずには居られなかった。

 敢えて難を言うなら、少しふくよかになった印象の大沢たかおは、少々、映りが好青年すぎたかもしれない。
本作の要である見た目は紳士的で人望がありながら、凶暴さを秘めた野生的二面性が、時としてギラギラと垣間見えるような「牧田」というキャラクター。
この役をもっと活かせるキャスティングだったら、もう一段二段、この話は面白くなっていた気がする。

2013年1月20日日曜日

テッド

どうしようもなく下品で低俗で、でも可愛くて、愛せるコメディ映画の登場だ。

1985年、ボストン郊外。
 誰にも相手にされない孤独な少年・ジョンは、クリスマスプレゼントでもらったテディベアと、本当の友人になれるよう天に祈りを捧げる。

 「本当に、君とおしゃべり出来たらいいのに」

 そんなジョンに奇跡が起きて、ティディベアに命が宿ると言う馬鹿馬鹿しくも美しいファンタジーは冒頭だけ。
27年後。
 ジョン(マーク・ウォールバーグ)は、中学生的ノリの抜けないダメ男に成長、テッドも下品なジョークと女の事で頭がいっぱいの中年テディベアに成り下がり、4年間付き合っている彼女ローリー(ミラ・クニス)から、自分かテッドのどちらかを選ぶよう迫られてしまう。 

設定を考え、監督とテッドの声の吹き替えまでこなしたのは、テレビ業界のバラエティ番組の製作出身のセス・マクファーレン。
中学生的なノリがいつまでも抜けない、主人公に彼と同世代のマーク・ウォールバーグを起用したのも、絶妙のキャスティングだ。
なんせ、彼は今でこそ俳優として成功しているけど、俺が高校生の頃は、白人系の不良少年ラッパー「マーキー・マーク」として、ヒットを飛ばしていた、ちょっとイタいアイドルだった。
 今や封印している過去のそのキャリアについても、さりげなく作中でネタにしつつ、やや全体的にタルみの気になる駄目独身中年を演じる彼に、これまでにない親近感を覚えた、彼らとほぼ同世代でかつ独身の俺(笑)。

 「これは、もしかして俺達の映画なんじゃないか?」 完全に女子から呆れられる方向感のお馬鹿で中学生的なノリに、不覚にも俺は同じ匂いを感じてしまった(笑)。
 つまりこの作品、監督、主演、そしてテッドと同じ現在30代の男性観客なら、オタクな部分も含め、大受け出来るネタが散りばめられている。
一般的に女子は実年齢より精神年齢高いと思うけど、脳内が恒常的にパーティーなダメダメ30代の所業を「しょうがないわねぇ」と許容してくれる精神的にオトナな女子の存在は、実に大きいぞ。
 生きてるティディベアが居たとして、それ以上に大きいぞ!!とこの作品は、俺達を諭す(笑)。

 しゃべるティディベアの「テッド」は、男が多かれ少なかれ持っている、中学生的な部分やオタクな部分のメタファーだけど、それを自分の個性としてちゃんと認めつつ、責任あるオトナとして成長しようとするジョン。
これは、ある意味、第二の青春映画なんだ。(爆)

 「テッド」は、ビジュアルが可愛いから、結構、女性の観客も多かったけど、下ネタ満載だし、人によって笑いの許容範囲は違うから、デートムービーとしては微妙かもしれない。
 (これを一緒に馬鹿笑いしてくれる彼女ってのが居るなら、素敵だと思うけどね)
 出来れば30代の酔っ払いな仲間たちと、酒を片手にワイワイギャハギャハ、楽しみたい作品だ。
 

2013年1月14日月曜日

ゲキ×シネ 髑髏城の七人

芝居を劇場のスクリーンでという趣向の「ゲキ×シネ」初体験。
 正直なところ衛星放送なんかでやってる「演劇」の収録プログラムを劇場で見るだけだよね?
的な認識しかなかった俺。

 たまたま今回公開されるのが興味があった劇団☆新感線の2011年版「髑髏城の七人」で、しかも元iMAXシアターだった品川プリンスシネマのシアターZEROでのスクリーン上映だったから興味が湧いた...だけ。

 だが、俺はこの「ゲキ×シネ」ってフォーマットをナメてた。 

お茶の間で、ゴロゴロしながら見られる録画された「演劇」とそれは一線を画している。
そもそも照明の落ちた空間で、集中して一つの作品に向き合うと言う環境はお気楽な茶の間スタイルとは異なる。
多数のカメラで劇場では不可能なアングルから撮影された映像は、観劇とはまたちがった価値を提供している。
リテイクの利かない演劇ならではの一発収録。
 しかしながら、映画を見ているかのようなスピーディーで、ダイナミックに繰り広げられる殺陣。

 演劇でありながら映画的演出に長けた「劇団☆新感線」の代表作を映画でありながら「演劇」的に鑑賞する面白さ。
浮き上がる血管、飛び散る汗、血糊、ライブ感、緊張感が漂う上映時間179分。
インターミッションが15分。
つまり... 気軽には見られない。
これは芝居を見に行くのと同じ覚悟と姿勢で楽しむフォーマットなのだ。

 映画やドラマと言った映像でのイメージが強い人にとっては小栗旬や森山未來の舞台役者としての凄みを感じて、彼らに対する印象が変わるかもしれない。
 若手の女形役者 早乙女太一の妖艶さ。このメイン3人に加えて、小池栄子や仲里依紗が、舞台空間を彩る。

 映画だとか演劇だとかと言うつまらない制約を超えて、これは一級のエンタテインメント。
 今なら言える、「ゲキ×シネ 髑髏城の七人」。
そこには劇場で鑑賞するのとは別物の興奮が待っている。
 見られるうちに、大スクリーンで見なくちゃ、これは損だ。

飛び出すわけでもないのに当日料金2000円超えるけど(笑)、五感爆発のキャッチコピーは伊達じゃなかった。
 

96時間 リベンジ

かつて拉致された娘を救うべく、アルバニア系犯罪組織に単身戦いに挑んだ元CIA工作員ブライアン・ミルズ(リーアム・ニーソン)は、休暇で家族の絆を取り戻そうとしていた。
 しかし休暇先のイスタンブールでは、復讐を誓うアルバニア系犯罪組織が待ち構えていた。
 元妻と娘の両方を捕らわれたブライアンは、再び単身で犯罪組織に立ち向かう。 

心配のあまり、娘にGPSを付けてしまう様な元工作員の父親をリーアム・ニーソンが熱演。
 リュック・べッソンがプロデュースと脚本、監督はオリヴィエ・メガトンという「いつも」の組み合わせで「いつも」通りのちょっと大味なアクション映画。
 さらわれる娘も奥さんも美人ではないが、観客はリーアム・ニーソンに釘付けだ。
この映画でのリーアム・ニーソンの強さと行動力は、スター・ウォーズで演じたジェダイの騎士をも上回る。
 まさに家族のためになら法律もルールも手段も選ばない、最強にして最凶パパ。
 肉体派アクションスターではない、見た目、落ち着いていそうな普通のおじさんリーアム・ニーソンが、工作員仕込みの物凄いスキルやテクニックで単身、敵を追い詰めていくというところが最大の面白さなのだ。
そういう意味では、地味だけど企画の勝利なんだよな、このシリーズは(笑)。
美しい市街でのカーチェイスや格闘シーン。
ゲリラ的に撮影されたスピード感。
 舞台となったイスタンブールの魅力が荒唐無稽な作品の価値を2割くらい上げてくれている気がする。
 このあたり、アメリカ映画だけど、主要な製作メンバーがヨーロッパ組ってだけのことはある。
 92分と言う尺も、この手の何も考えずに楽しむ映画としてはちょうど良い。
 なんか久しぶりにベッソンのプロダクション「ヨーロッパコープ」絡みで、面白いと思える映画を見た気がする。

 ただし「大味」だけどね。