2010年3月8日月曜日

ハート・ロッカー/NARIZO映画レビュー

2004年夏、イラクのバグダッド郊外に駐留するアメリカ軍。爆発物処理班のチームリーダーとして赴任したウィリアム・ジェームズ二等軍曹(ジェレミー・レナー)は、まるで死を恐れないかのように無謀な判断を繰り返し、爆弾を解除する任務にあたっていた。彼を補佐するJ・T・サンボーン軍曹(アンソニー・マッキー)とオーウェン・エルドリッジ技術兵(ブライアン・ジェラディ)は、徐々にジェームズへの不安を募らせていく。ブラボー中隊の任務明けまで、あと38日……。果たして彼らは無事に生還できるのだろうか。

 監督のキャスリン・ビグローはジェイムス・キャメロンの元奥さん。
今年のアカデミー賞はキャメロンの「アバター」と、この「ハート・ロッカー」が賞レースで一騎打ちとなり、本作は、作品賞・監督賞など6部門を制す圧勝を収めた。
この結果が明らかになる前日に、俺はなんとか、この話題作を見る機会にありつく事が出来た。

偶然だろうか、賞を争った2作品には大きな共通点があった。
「アバター」が想像の産物である異世界を立体的に描き出した、新しい形の体験型SFファンタジー映画だとしたら、「ハート・ロッカー」もまた、現実に今も誰かが命を落としているイラクの戦場を生々しく描き出した体験型の作品だったのだ。
扱うテーマこそ大きく異なるものの、そこに身を置いているかのような感覚は、この2作品に共通する要素だ。
ただし、視覚的な画面の奥行きで、新しい映像体験をもたらし、史上最も成功した3D映画となった「アバター」に対して、この作品のそれは、死と隣り合わせの緊張感。兵士達の抱えるストレスを観客が共有するカタチで進行する。

この作品で描かれる戦場は、わかり易く敵同士が対峙して、撃ちあってくれる様な世界ではない。たいていそこに広がるのは、一見平穏そうに見える風景で、突如として群衆の中の誰かが発砲したり、足元のゴミ袋が爆発するかもしれないという、一瞬足りと気の抜けない場所に、観客は冒頭から叩き込まれるのだ。

主人公の兵士達は、そこに身を置き、任務として連日、殺傷兵器の爆発解除にあけくれている。
冷静な精神状態を保てという方が無理だろう。気の狂いそうに張り詰め、病んだ世界が、この映画を支配している。
ジェレミー・レナーをはじめ、主要キャストに誰一人有名な役者を配していないところが、リアルさに磨きをかける。誰が死んでもおかしくない。そういう緊張感の持続は、キャスティングの時点から練られていたのかもしれない。
そして、ドキュメンタリー映像の様に、兵士達と一緒に動き回る手持ちカメラで撮影されたシーンの数々。


これは反戦映画なのだろうか。明確にどちらの立場に立つわけでも、誰かを殊更ヒロイックに描いたり、アメリカNo1と、阿呆みたいに叫んだり、説教するわけでもなく、ただただ淡々と、妙に突き放したタッチで、緊張感たっぷりに、しかし誰に感情移入できるでもなく.....これが2時間を越えて続くのだ。

終わって残るのは疲労感と、言いよう無い虚しさだった。



2010年2月28日日曜日

Six cafe Octobre 中延の隠れ家Cafe

朝からの冷たい雨が上がって、日差しが降り注いできた日曜の午後。
地元、品川区 中延の駅前アーケードの中に昨年10月にオープンした隠れ家カフェ「Six Cafe Octobre」へ。



中延アーケード街「スキップロード」の中程。額縁屋の脇にある、油断すると見落としてしまいそうな路地。このアーケードの雑踏とはまるでテンションの違う、洒落た路の先がカフェの入り口だ。
通路にはいろんな写真が額縁に飾られている。

路の行き止まりで階段を昇れというコルクボードの貼り紙。ここで靴を脱ぎ、スリッパに履き替えて二階へ。そう。このカフェは額縁やさんが自宅の一画を改造して造った「おうちカフェ」。まさに隠れ家だ。


うあっ、なんともお洒落で気持ちの良い空間が、そこには開けていた。
特に陽光降り注ぐ窓際席は心地よく、ちょっとした天国。

牛肉のワイン煮500円。ビール(ナッツ付)600円、200円でパンを付けてみた。




いつまでも居られそうな、気持ちの良い空間。

営業時間

[日・月・木]
11:30~20:30
[金・土]
11:30~23:30  火曜日、水曜日定休

詳細ページ


2010年2月21日日曜日

インビクタス/NARIZO映画レビュー

反アパルトヘイト運動により27年を監獄で過ごしたネルソン・マンデラ(モーガン・フリーマン)は、釈放後の1994年、遂に南アフリカ共和国初の黒人大統領となった。だが南アフリカは、依然として少数の白人に富と権力が独占され、人種差別と経済格差は深刻な問題だった。そして、1995年。南アフリカで開催される事が決まっていたラクビーワールドカップを機に、スポーツで国民を一つにまとめられると信じたマンデラとチームキャプテンのフランソワ・ピナール(マット・デイモン)は、弱小だった南アフリカ代表ラグビーチームの再建を決意、不可能といわれた優勝を目指すのだった。

弱小スポーツチームが不可能と思われた挑戦で勝利を掴む。
非常にありがちな内容に見えそうだが、実はこの作品、ありがちスポ根ドラマとは大きく異なっていると思う。
なぜなら、この作品が描いているのはあくまで「ラクビー」を通じて見た「南アフリカ」であり、ラクビーチームではなく、南アフリカが起こした奇跡とも言えそうな実話を題材にしているからだ。

時に実話は、よく出来たフィクションを超えてしまう。それ程にドラマチックな題材を扱っているからこそ、淡々としているくらいに抑えられたクリント・イーストウッド監督の演出は、必要以上に登場人物たちをヒロイックに描いたりはしない。しかし、エピソードと役者の強さはそれでも強烈なメッセージ性とインパクトを放っているので、ラクビーのことはよく判らない俺であっても、魂が震えてしまうのである。

トイレも、バスも、住む場所も別。富と権力を独占し、抑圧していた人種と、抑圧されていた人種が、あるとき、平等になったと言われて、簡単に一つにまとまれるものだろうか。
消費税が導入されたとか、自民党が野党に転落したとか、そういう変化とは比較にならない程の大きな転換が突如やってきて、しかも抑圧されていた側の囚人だった男が、大統領になってしまった。これは南アフリカの人たちにとって明治維新ぐらいのインパクトだったに違いない。理解は出来ても当事者で無い限り、イメージも付かない様な、混乱と歓喜の中で映画は始まる。

マンデラの唱える理想は、頭では理解できても、感情で納得できるもので無かったであろう事は想像に難くない。マンデラのスタッフ達の混乱を描くことで、イーストウッドはそんな状況を上手く説明してみせる。人種的に自分たちを抑圧していた側とともに働くのも、抑圧していた相手の政権で働くこともそこに居た人間達にとって簡単に許容できることではなかったはずだ。

しかしながら、マンデラ政権のスタッフ達も、選手たちも、そして国民の多くも、困難に打ち勝つチームの姿に夢を求め、人種ではなく「国」を意識しはじめる。

一つの国が再生し、一丸となるための最初の小さな、しかし、確かな切っ掛けを追ったこの作品は、技術の進歩や、コミュニケーションの多様化だけで、解決されない普遍的な問題を問いかけているように感じた。
それだけに、これは今、選ばれるべくして選ばれ、作られるべくして作られた作品なのだと思う。
流石は、イーストウッドだ。




2010年2月3日水曜日

No Man’s Land 【ノーマンズ ランド】解体前のフランス大使館旧庁舎を見る唯一のチャンス!

東京港区のフランス大使館。
新庁舎オープンに伴い、旧庁舎では日仏のアーティスト70人が参加するアートイベント『No Man’s Land』が開催中だ。
早速、行ってきたわけだけど、国際的に有名な、あるいは頭角を現し始めた、フランスおよび日本の多くのアーティストが参加して、事務室、廊下、資料室、階段、地下室、中庭など、これまでは決して自由に立ち入るコトが出来なかった大使館の旧館の屋内外ありとあらゆる空間を解放して作品を展示するというかつてない試みだけに大盛況だった。

1月末までだった会期は、2月18日まで延長。
ただし2月以降の開館時間は、木・金・土・日の午前10時から午後6時までで、月・火・水は休館ということなのでご注意を。

場所:在日フランス大使館旧庁舎
〒106-8514 東京都港区南麻布4-11-44



























2010年2月1日月曜日

ゴールデンスランバー/NARIZO映画レビュー

仙台の気の優しい宅配便ドライバー・青柳雅春(堺雅人)は、どこか落ち着かない様子の大学の旧友・森田森吾(吉岡秀隆)と数年来の再会を果たしていた。後ろの大通りでは、首相がパレード中に暗殺。驚く青柳に「逃げろ、お前はオズワルドにされるぞ」と言い遺して森田も爆死してしまう。青柳は身に覚えのない証拠とともに見えない力によって無実の暗殺犯に仕立てられていく。青柳は、彼の無実を信じる大学時代の後輩カズ(劇団ひとり)や、元恋人の樋口晴子(竹内結子)、仕事仲間らに助けられ、次々と窮地を切り抜けていくのだが.....


原作は、井坂幸太郎原作のベストセラー。監督は、伊坂作品の映画化では、すっかりお馴染みになった中村義洋。

伊坂作品の映像化といえば、当たりハズレが非常に激しく、そのせいで見る前にはいつも心配になってしまう俺。しかし、今回は独特のテンポやキャラクター、ストーリーに散りばめられた仕掛けの数々が特徴の伊坂作品を魅力的に映像化することに成功していると思う。
ホント、これは中村監督の演出とキャスティングの勝利だ。

何処か抜けてる優しい逃亡者の役に境雅人は、ぴったりとハマっている。
そのほかも、脇を固める竹内結子や劇団ひとり等のメインキャラだけでなく、運送会社の同僚を演じた渋川清彦や、青柳の父親を演じた伊藤四郎、花火屋のオヤジのベンガル、無表情のターミネーターみたいな刑事に永島敏行、それから青柳を追い詰める警察庁の官僚 佐々木を演じた香川照之など、大勢の豪華キャストが登場。かなりの数のキャラクターが登場し、それぞれの出演シーンはいずれもたいして多くないのだが、全員が強烈な印象。
ニホンらしからぬ、首相暗殺という大きなストーリーを絶妙なユルさと、それでいて2時間越える尺を長いと感じさせないテンポで展開させ、最後には心の中でガッツポーズしたくなるような優しいオチをつけて...何だか幸せな気持ちに包まれてしまう作品だ。

そしてもうひとつ。伊坂作品といえば舞台は仙台である。
今まで以上に、スケールの大きな本作では、仙台市が撮影に全面協力。
だから、なんと定禅寺通りを封鎖して、パレードシーンを大規模に撮影したり、そのほか、見覚えのある交差点や路地を縦横無尽に青柳が逃げ回る。こういう撮影を日本でも出来るようになってきたんだなぁ...と思わせるようなシーンが色々登場。映像から匂い立つ、仙台というこじんまりと集約された街の魅力も、もう一つの見所だと思う。

実は俺にとって仙台は最高に仲の良かった同世代の仲間たちと、10年前、働き、呑み、遊んだ想い出の街。
主人公達が学生時代に花火を見上げる素敵な回想シーンを見て、忘れ掛けていた自分にとっての特別な時間、今は亡き仲間達のコトなんかを映画に思い出させてもらった気がした。


2010年1月29日金曜日

ソラニン/NARIZO映画レビュー

OL2年目で会社を辞めた芽衣子(宮崎あおい)。 音楽への夢をあきらめきれないフリーターの種田(高良健吾)。不確かな未来に不安を抱えながら、二人は、お互いに寄り添い、東京の片隅で暮らしていた。ある日、唐突に訪れた種田の事故死。喪失感に打ちのめされた芽衣子は、愛する人を「忘れない」ため、「現実」を受け止めるために彼が残した曲「ソラニン」を歌うことを決める。

累計60万部の浅野いにおの傑作コミック「ソラニン」をPV出身の三木孝浩が初監督。

危なっかしいまでのキャラクターの繊細さ、青臭さい展開に、少しばかり乗り切れない感じだった前半から一転、中盤以降は切なく、最愛の恋人、友人を失ってしまった登場人物たちが、それを乗り越え、前に進むために、音楽を通じて一体となり、その想いが昇華していく様を熱っぽく魅せてくれる。
バンドのメンバーを演じたサンボマスターの近藤洋一や、桐谷健太の存在もよい。ちょっと過剰テンションだけど。それも含めて。

しかし、この作品の魅力の大部分は、何と言っても愛くるしい表情で、純粋なヒロインを熱演した宮崎あおいの演技に寄るところが大きい。自分に自信がもてず、彼氏の夢に自分の夢を重ねて刹那的に生きていた芽衣子が、遺された楽曲を通して前に進み、成長していこうとするその姿は美しく、力強く、しかしどこか儚げだ。
そんな危ういバランスを要求される役柄を嘘を感じさせず演じきり、ラストのグルーヴ感に溢れたライヴシーンまで、一気に駆け抜ける。妥協なく音楽と向き合って演奏し、歌い上げたリアリティと熱がスクリーンのこっち側にまでガンガン伝わってくる、あれは名シーンだった。

もうひとり、気になったのはオトナな雰囲気に成長した伊藤歩。
この二人の女優が魅力的に作品を引っ張って、線の細い、繊細な印象の高良健吾と絶妙なコントラストを醸しだしている。

「ソラニン」は、誰にでも多少は思い当たるであろう、青臭いけど瑞々しく、ちょっとイタかったあの頃の感情を呼び起こさせてくれる、そんな青春映画だ。


2010年1月17日日曜日

かいじゅうたちのいるところ/NARIZO映画レビュー

お姉ちゃんも、オトナも分かってくれない!
純粋だけど癇癪もちの8歳の少年マックスが家を飛び出し、船で向った先には、「かいじゅう」たちの棲む島があった


3歳の姪っ子が夢中になっていた名作絵本「かいじゅうたちのいるところ」。

改めて読んでも、ユニークな挿絵の力が強くて、ストーリーらしきストーリーもないこの絵本をスパイク・ジョーンズが映画化だって?マジで、出来るのかよ...と、半信半疑な好奇心でシートへ座った。

スパイク・ジョーンズといえば「マルコビッチの穴」みたいな、捻ってて奇妙で、哲学的コメディのイメージが俺の中では強い監督なのだが、今回も、実に奇妙な題材を選んだもんだ。w

内容はといえば、子供の様に無邪気で、純粋で、傷付き易い「かいじゅう」と少年の心の触れ合いを描いた不思議な魅力をもった作品になっていた。

挿絵の雰囲気そのままに、えらくリアルな表情を見せるかいじゅうたちが、見てると意外なほど凄いアクションを繰り広げたりするので、そこは俺の中ではかなり笑いのツボだったんだけど、見ているうちに、どんどん、忘れ掛けていた子供の頃の感情が蘇ってくるような気になった。

癇癪を起こして、相手に当り散らした後、「ごめんね」って反省したり、大好きなトモダチと駆けずり回って楽しかったり、ひとりぼっちになるのが寂しかったり、喧嘩したり。
きっと今も心の根底にはあるかもしれないけど、オトナになったせいでなかなか表には出てこない、子供の頃の豊かな感情を思い出させてくれる。

この映画は子供の絵本をむしろ、オトナ向けに映像化した..そういう作品になっていた。
そのせいで、すっかりかいじゅうの島で一緒に遊んだ気になっていた俺は、別れのシーンでちょっとだけ哀しくなったりしたのだった。

コドモの心に少しだけ戻れる不思議な映画。