2010年12月23日木曜日

トロン:レガシー/NARIZO映画レビュー

1989年。ゲーム業界のカリスマ的存在だったエンコム社のCEO、ケヴィン・フリンは7歳の息子サムを残して失踪した。20年後。ケヴィンの共同経営者だったアラン(ブルース・ボックスレイトナー)に謎のメッセージが届く。アランに促されて発信源のゲームセンターに向かったサムは、その地下に秘密の研究所を発見する。
そこはゲームの世界への入口だった。
果たしてその先に、父の失踪の謎は隠されているのか!
!


世界で初めて全面的にコCGを導入した映画として、記憶されている名作「トロン」の続編。
しかし、オールドファンには不満かもしれないが、前作との整合性は、あまり無いので(笑)、初めてこの作品から鑑賞しても充分楽しめるだろう。
ストーリーは、まぁ、退屈しない程度の内容。とは言え、「アバター」以来、久し振りに3D前提で撮影された大作SFだ。素直にディズニー製の130分のアトラクションを楽しもう!理屈抜きに!と言うのが、この作品の正しい楽しみ方だと思う。

とにかく、ダフト・パンクの新作にもなっているサウンドトラックはクールだし、コンピューターの世界のデザインは、スーツからバイク、フリスビーのようなアイデンティティ・ディスクに至るまで、いちいちどれも、思わず欲しくなるほどカッコいい。
しかし、デザインの基本は1982年の前作のもので、これを進化させたのが、今回の美術であることを考えても、いかに30年近く前の前作が当時、イケてたかってのが、窺い知れる。

まぁ、タイトルにまでなってる「トロン」がもう少し、活躍してくれても良かったんじゃネ、とは思ったけどネ(笑)。


2010年12月13日月曜日

ロビン・フッド/ NARIZO映画レビュー 

12世紀末。十字軍の兵士としてフランスで戦っていたロビン(ラッセル・クロウ)は、騎士ロバート・ロクスリーの遺言を聞き入れ、彼の形見の剣を故郷ノティンガムに届ける。
跡継ぎを失った領主のウォルターは、領地没収を恐れ、ロビンを息子の身代わりとする事を提案。
ロバートの妻マリアン(ケイト・ブランシェット)も渋々これに従った。
一方、ジョン王(オスカー・アイザック)の重臣でありながらフランスの手先として内乱を画策していたゴドフリー(マーク・ストロング)の策略は、戦争と過酷な税金、教会の搾取に荒廃するイングランドを混乱に陥れ、その隙を突くようにフランスの艦隊が、侵略のためにイングランドへと上陸しつつあった。



リドリー・スコット監督とラッセル・クロウが再びタッグを組んで「グラディエーター」以来の史劇に挑戦。
それを聞いただけで興味と興奮が掻き立てられた。
確かに見応えはあったし、期待した様な内容ではあったのだが、全てが想像の範囲内。目新しさはまるで無かったといってよい。
今回のロビン・フッドは、伝説的義賊になる前のストーリー。言うなれば、義賊が誕生するまでのエピソードが紡がれる。140分もの長尺でありながらも決して飽きさせないテンポと躍動感あふれる戦闘シーン。この辺りのクオリティはさすがリドリー・スコットだ。

しかし、その一方で名作「グラディエーター」と比べると、時間を掛けた割には個々のキャラクターが全然描けて居ない。
これが最期まで尾をひいて、重厚でリアリティに溢れたドラマを残念な印象にしてしまった。

それでも勿論、続きがあるなら見て見たいけどね。

2010年12月11日土曜日

SPACE BATTLESHIP ヤマト/NRIZO映画レビュー

2194年、外宇宙に現れた正体不明の敵ガミラスが、地球に向けて遊星爆弾を投下。人類の大半は死滅。大気は放射能に覆われ、地球は赤茶けた星と化し、僅かに生き残った人類は地下都市へ避難して生活していた。
最後の地球防衛艦隊が、冥王星空域でのガミラス宇宙艦隊との交戦で壊滅し、地球の希望は絶たれたかに見えたが、14万8千光年先にある惑星イスカンダルからの通信カプセルが地球に落下。そのカプセルから、イスカンダルの高い科学技術が産み出した波動エンジンの設計書を手に入れた人類は、その星に放射能除去装置があると確信。最期に残された宇宙戦艦ヤマトに波動エンジンを搭載し、イスカンダルを目指して地球を出発するのだった。





監督は、「リターナー」や「ALWAYS」の山崎 貴。という事は、VFXは彼が所属する白組で、制作プロダクションはROBOT。彼らが本格的にSF映画に戻ってくるというのは、非常に楽しみなことではあったし、それが事もあろうに「ヤマト」なわけだから、かなり前から俺の周りでも話題に上っていた。
気になるキャスティングが古代進=木村拓哉で、森雪=黒木メイサだと知ったときは、ちょっとした不安を覚えつつ、その一方、予告編を見て沖田艦長(山崎努)がイメージ通りに見えたりもして、色んな意味で気にならずにはいられない作品だった。

これだけの名作を実写化したわけだから、どう転んでも批判する人は出てくるだろうが、これはもう、アニメとは完全に別物と考えて鑑賞すべき作品だと思う。
事実、宿敵ガミラスは帝国でもないし、あの青い顔のデスラー総統も出てこないあたりで、子供の頃再放送を夢中になってみていた記憶のある、あの「ヤマト」ではない。
オトナの映画にしようとしたのか、現代風にするための手段だったのか、えらく概念的な存在としてガミラスやイスカンダルを再定義してしまったために、ヤマトが対峙しているものの存在を判り辛く、ぼんやりしたものにしてしまった脚本が不満だった俺。ちなみに、脚本は山崎監督の奥さんで映画監督の佐藤嗣麻子氏。
もっと、別の人だったらどんな風に描いただろうと、思わずには居られない(笑)。
明確な敵、目的、そこに向かって突き進む、ヤマトと乗員たちの物語を期待して見ると、物足りない作品だった。

キャスティングは端役も含めて豪華。柳葉敏郎や緒形直人、池内博之、高島礼子、西田敏行...。時間の問題もあるんだろうが、乗員たちの物語もあまり描けて居ないので、いまいち、活かしきれず宝の持ち腐れのように終わってしまった。
いつも一升瓶を抱えてる軍医の佐渡先生が高島礼子とか、意外性の部分も含めて面白かったのにホント、残念。

138分はこの手の映画としてはかなり、長い尺だけど、見ている限り時計が気になったりはしなかった。
しかし、ストーリーやキャラクターに関心が深まらず、ぺらっぺらに薄い作品になってしまった辺り、なんだかもどかしい。
それでも、常にカッコいいと思った映画にオマージュを捧げるように自作にエッセンスを借りてくる山崎監督の遊びココロは健在で、アナライザーがR2-D2の様に活躍したり、挙句、巨大ロボ化したり、ラストは「アルマゲドン」だったりで、突っ込み甲斐は満載。
実はキムタクが黒木メイサに破動砲を撃っていた...とか、シモネタ的にも、もう堪らないね。
終映後も尽きない話題を提供してくれる作品であることは確か(爆)。

2010年11月23日火曜日

ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1/NARIZO映画レビュー

ヴォルデモート卿の復活が現実のものとなった今、魔法界は、闇の勢力に支配されつつあった。ハリー(ダニエル・ラドクリフ)、ロン(ルパート・グリント)、ハーマイオニー(エマ・ワトソン)は、ヴォルデモート卿の「分霊箱」を探すうちに、「死の秘宝」についての伝説に出会う。その秘宝の強大な力を求めて、ヴォルデモートもまさに動き出そうとしていた。

第一作から10年。キャストともに成長した子供のファンタジーは、今や大人向けのダークファンタジーとして最終章を迎えた。
来年のPART2に向けたこれは序章に過ぎない本作では、のっけから圧倒的な闇の勢力の支配、裏切り、そして絶望が物語を支配していく。
原作は未見。
それでも、前作は予習しておかないと、誰が誰だか付いていけないし、辛い作品になっている。
原作ファンは言いたいことが沢山あるかもしれないが、140分を超えてくる本作は、正直、映画で語ろうとした内容に対して長すぎた。途中でダレるのだ。

しかしながら、VFXで描き出される、それこそ魔法的なシーンの数々や、ハリーを追い詰めていく闇の勢力の描写は素晴らしく、続きが気になって仕方ない。
それに今回は、屋敷妖精トビーが大活躍である。
そしてこれがまた、CGキャラなのに泣かせる奴なのだ。
もうここまで来たら、これは敢えて原作には手を出さず、最後までスクリーンで最終章に付き合おうじゃないか。
最終作には、もう少しテンポが欲しいけどね。w



2010年11月21日日曜日

ラスト・ソルジャー/NARIZO映画レビュー

紀元前227年、戦国時代の中国。衛の軍は粱の待ち伏せを受け、両軍ともに全滅。死んだふりをして粱で唯一生き残った兵士(ジャッキー・チェン)は、負傷した衛の将軍(ワン・リーホン)を捕虜にする。敵の将軍を捕虜にする大手柄を土産に、報酬の畑と金を当てにした兵士の故郷まで、事あるごとに対立を繰り返す二人の奇妙な旅が始まる。

ジャッキー・チェンが構想に20年を費やし、原案、主演、製作、武術指導を務めた中国製作のアクション映画。
戦場での名誉を重んじる将軍役に、甘いマスクの台湾人歌手ワン・リーホン。農家から徴兵されて、ひたすら平和を願う、抜け目無い兵士がジャッキー・チェン。
幾つもの苦難や裏切りを乗り越えて、やがて友情が芽生えるバディ・ムービーになっていくのは、想像の範疇だったが、ラストまで一貫して、一介の民が願う平和についてのメッセージに貫かれた良作だった。

先日も年老いてきた往年のアクションスター大集結の筋肉馬鹿アクション「エクスペンダブルズ」を見たばかりなワケだが(笑)、CGに頼ることなくあくまで肉体がぶつかり合うアクションで魅せる企画は同じでも、スピード感、テクニック、ストーリーの構成力、コミカルさと悲哀が同居する独特の味わい、全てにおいて、この作品は輝きを放っていた。



2010年11月6日土曜日

エクスペンダブルズ/NARIZO映画レビュー

自らを消耗品と名乗る“エクスペンダブルズ”は最強無敵の傭兵軍団。そんな彼らに依頼されたのは、南米のヴィレーナという島国で麻薬栽培を主な収入源にしている軍事独裁政権の壊滅だった

監督はシルヴェスター・スタローン。
脇を固める傭兵軍団が、スタローンに加えてジェイソン・ステイサム、ジェット・リー、ミッキー・ローク、ドルフ・ラングレン...特別出演でシュワルツツェネッガーやブルース・ウィリスまで顔を出す、金を掛けた悪ふざけとしか思えないほどの筋肉オールスターキャスト。
ひたすら撃ちまくり爆発音が鳴り響くのであろうというイメージ通り、爆発後の地面のように見終わった後、見事に何も残らない。キャストの顔ぶれ以上には残念なほど、意外性の無いアクション・エンタテインメントだ。

そう。
かつてアクション映画で主役を張ってた連中が、勢揃いした以上には、ホント驚きが無かったんだ。シュワルツツェネッガーやブルース・ウィリスに至っては、ほぼ出落ちだし(爆)。
みんな、歳取ったよね。
これだけのキャストが集まったのに、まぁ、何とも退屈なストーリーで途中、眠くなった。
だって、ホント、ストーリーは2行で説明出来ちゃう内容だからね。
敵役には悪の魅力というかカリスマ性も皆無で、出てきた瞬間から筋肉傭兵軍団と到底、強敵として渡り合えそうには見えない有様。
結果、南米の田舎に居る不良軍人を、圧倒的に強い筋肉馬鹿たちが一方的に叩きのめしに行ってるだけの映画になっている。
ヒロインも特に美人じゃないし。
どうせなら、凄い美貌のヒロインを用意して、筋肉オヤジどもが彼女を奪い合うような展開にした方が、よっぽど面白く見れた気がする。
そんなしょうも無い映画なのに、筋肉オヤヂ達は真剣そのもの。馬鹿映画だとは思っていない様子で、トホホと笑ってあげることも出来なかった。だから半端でイタイ映画だった。

スタローンはご満悦で、続編を作る気満々らしい。
ホント、脳まで筋肉なんだろうな。
こんな映画作って、脳の中の筋肉は筋肉痛にならないのだろうか?

2010年10月13日水曜日

アイルトン・セナ 音速の彼方へ/ NARIZO映画レビュー

3度のワールドチャンピオンに輝いたF1ドライバーのカリスマ、アイルトン・セナ。1994年のサンマリノGPは、予選、決勝を通じて死傷者が出る呪われた大会となった。5月1日、7週目に入ったセナのマシンはコンクリート・ウォールに激突。音速の貴公子と呼ばれた彼は、その短い生涯を終えた。
セナが追い続けてたものはなんだったのか。レース映像だけでなくプライベート映像、さらにライバル、アラン・プロストらの証言を交えて構成されたドキュメンタリー。



思えば日本のF1ブームは、彼、アイルトン・セナによるところが多かった。
このドキュメンタリーはF1ファンは勿論、然程モータースポーツに詳しくない俺をも惹きこんでしまう魅力と興味にあふれている。
天才的F1ドライバーの活躍、やがて見え隠れし始める政治とカネのパワーゲーム。
チームメイトでありながら確執を生み対立が深まっていくライバル、アラン・プロストの存在。
直向に勝利することにこだわり続けた孤高のドライバーの姿と、国家的英雄としての期待を背負う重圧。
ドキュメンタリーで描かれたその全てが実に興味深い。
そして後半は、結末を知ってしまっているせいもあるが、死を予兆させるようなエピソードが重なっていく。
レースへの漠然とした不安、それでも逃げ出すわけに行かなかった天才ドライバーの最期は、あまりにも唐突
だった。
最後にセナ財団の管財人としてプロストの名前がクレジットされる。二人だけにしか判らないドラマの存在。
決して憎しみあっていただけではない二人のライバル関係に心が熱くなった。

2010年9月26日日曜日

TSUNAMI ツナミ/NARIZO映画レビュー

韓流ドラマでディザスター・ムービー!!

韓国屈指のビーチリゾートとして知られるプサン近郊のヘウンデ。
ここに日本の対馬沈下に伴ってメガ津波が発生。100万人の行楽客、カップルや家族が平和に暮らすこの街に時速800キロの猛スピードで津波は迫っていた





ハリウッド映画なら「デイ・アフター・トゥモロー」だとか、邦画なら「日本沈没」みたいな、自然災害に襲われた大都市とそこに生きる人間たちを題材にした荒唐無稽な大作映画は、これまでも沢山見てきた。
本作は、それの韓国版。
しかし、ハリウッドや日本映画と比較して、パニックシーンのリアリティがどうとか、この映画の場合、そんなところを比較したってつまらないだろう。
この映画の個性は、どの国が作ろうといまや代わり映えしないCGIの津波シーンなんかではなく、災害に翻弄される人間たちのトホホなドラマにある。
言わば、オバちゃんたちがハマリまくっている韓流ドラマお得意の恥ずかしいくらいコテコテな人間模様で描かれる三者三様の濃すぎる人生が、一気に津波に飲み込まれる...ここに尽きる。
よって、このドラマ部分をニヤニヤ楽しめなければ、スカスカのパニック映画に感じるに違いないのだ。

そこで俺はどう思ったか。
ドラマ部分のどこか間抜けな登場人物と、ベタベタなストーリー。俺は結構楽しめた。

加えて、主人公のマンシク(ソル・ギョング)が大泉洋に似すぎているという理由から、変な親近感が湧いてくるのは俺だけだろうか?

十三人の刺客/NARIZO映画レビュー

オールスターキャストが狙う暴君の首。圧倒的リアリティで描かれるラスト50分間の死闘。
稲垣吾郎の冷酷演技は、おそらく過去最大のハマり役か!!


弘化元年(1844年)、明石藩江戸家老間宮図書は、筆頭老中土井利位(平幹二朗)邸の門前で藩主松平斉韶(稲垣吾郎)の異常性格と暴虐を諌める訴状と共に自決。
しかし、腹違いとは言え将軍徳川家慶の弟である斉韶には、将軍より来年、老中に抜擢するとの内示が出ており、家中のみならず幕府首脳にも事件の動揺が広がっていた。
暴君が国の政の要職につくことに大きな危機感をもった老中土井は、斉韶の密かなる排除を決意。
利位の命を受けた旗本島田新左衛門(役所広司)は13人の暗殺部隊を編成し、参勤交代により帰国途上の斉韶一行を中山道落合宿で待ち構え、襲撃する計画を立てる。
一方、剣術の腕をかつては新左衛門と磨きあった斉韶の腹心・鬼頭半兵衛(市村正親)は暗殺の予兆を掴んで備えていた。襲う側と守る側で対峙した両雄の頭脳戦。そして、ついに要塞と化した落合宿を舞台に300人対13人の死闘の幕が切って落とされた。



 暴君に支配された藩の苦悩。斉韶の暴君振り、残虐振りを描く衝撃的で痛々しいまでの描写。藩主暗殺を決定するにあたっての苦渋の決断。これらドラマ部分のリアリティや緊迫感が積み重ねられて、なぜに暗殺者となった男たちは、無謀な戦いに身を投じたのか、その意味が描かれる前半戦。
そして知略を駆使して、圧倒的不利を克服しようとする中盤、かつてのライバルが攻守で対峙する構図とラスト50分間の死闘。2時間をゆうに越える作品でありながら、それを感じさせずに一気に見せた監督、三池崇史の演出は男くささと血生臭さの漂う、彼が得意とする題材を得て、60年代の集団抗争時代劇の名作を世界に通用するエンタテインメントとして蘇らせた。

オリジナルの13人対53人、30分間の死闘を13人対300人、50分間の死闘に大げさにスケールアップさせるにあたって、最大の見所はこだわりぬかれたライブアクションシーンだ。広大な宿場町のオープンセットを建造。落合宿全体に張り巡らされた罠や仕掛けの数々、平和な時代、真剣で斬り合ったことの無い侍達が、死に物狂いで刀を振るう様は、手段を選ばず、様式的な殺陣にはないリアルさで、鬼気迫るものがある。

そして、この手の作品、対峙する悪が魅力的であることは欠かせない要素だ。
当初、顔立ちは端整でも表情が無くて演技が出来るイメージが無い稲垣吾郎の名前を見て、正直、首をかしげていた俺。
しかし、無表情に無抵抗の人間を殺しまくる暴君に彼は、恐ろしいほどピタリとはまり、何を考えているのか、何をしでかすか分からない狂気が最後までスクリーンを支配した。
また、そんな暴君であれ、命懸けで守ろうとする腹心の鬼頭を演じた市村正親と、刺客のリーダーを演じる役所広司との静かだが火花散る対峙の構図は、派手なアクションシーンとは別の迫力で観客を魅了。
山田孝之、伊原剛志、松方弘樹、沢村一樹、高岡蒼甫、六角精児、波岡一喜、石垣佑磨、近藤公園、窪田正孝ら若手から大御所までの刺客たちもそれぞれが個性的で、今回、山の民という設定で登場し、刺客に加わることになった木賀小弥太を演じる伊勢谷友介に至っては、「七人の侍」の三船敏郎をイメージしたんだろうなぁとニヤニヤ出来るようなキャラ設定になっていたりもする。

色んな意味でヌルいエンタテインメントではなく、衝撃的描写と権力闘争する組織を描き、かつて挑戦的だった頃の日本の時代劇をスケールアップして再生させた、とんでもない野心作。
気弱な彼女やSMAPの稲垣ファンが劇場でトラウマを作るような、そんな作品。
NARIZO的には大絶賛なので、是非、見ていただきたい。

2010年9月20日月曜日

THE LAST MESSAGE 海猿/NARIZO映画レビュー

2010年10月、巨大天然ガスプラント施設“レガリア”にドリルシップが激突し炎上する事故が発生。しかも現場海域には台風が近づいていた。海上保安庁による大規模な救助作戦が展開される中には、第十管区海上保安本部機動救難隊の仙崎大輔(伊藤英明)の姿もあった。
避難活動が終了しかけていた頃、突然の爆発で仙崎、第七管区海上保安本部機動救難隊の服部拓也(三浦翔平)、レガリアの設計主任である桜木浩一郎(加藤雅也)、医師の西沢夏(吹石一恵)、作業員の木嶋久米夫(濱田岳)はレガリア内に取り残され、逃げ場を失ってしまう。
一方、海上保安庁は台風の直撃を逃れるため、一時、撤退を余儀なくされ、5人には危機が迫っていた。





帰ってきた直情熱血筋肉馬鹿救難救命シリーズの最新作にして、一応、映画完結編。監督は今回も、羽住英一郎。
前作はフェリーの湾内沈没という、邦画でギリギリ嘘っぽく見えない規模の話をスケールいっぱいに展開して、かなりご都合主義なラストはともかく、見所満載だった事もあり、さらにスケールアップして描かれる今回の「海猿」にも、興味深々だった俺。
しかも、2Dで撮っていた作品をわざわざポストプロダクションで3D化して上映するというので、品川の旧iMAXの巨大スクリーンに3D版を見に行ってきた。

CXのドラマ、映画展開における公務員モノ(笑)のヒット作としては、「踊る大捜査線」が有名だが、映画らしい題材とストーリー展開という意味においては、はるかに「海猿」のシリーズの方が優れていると思う。
海上保安庁が全面的に協力した本物の艦船や、ヘリが飛び交うリアリティも良いのだが、勿論それだけではない。

シリーズを通してシナリオを書いているのは福田靖。
今年、大評判のNHK「龍馬伝」の脚本家は、同窓会的なお茶の濁し方ではなく、成長した仙崎に降り掛かる試練をこの1本だけでも理解可能な形の人間ドラマとしてきちんと、仕上げている。

ただ、スケールは上がったものの、今回は完全にパターンにはまった感があって、ドラマとしての面白さや、組織映画としての面白さは、前作の方が良かった気がする。

3Dの方も、覚悟はしていたものの、そもそも2Dで撮られた映像だから、その立体感たるや飛び出す絵本が動いているような平面的な奥行き感になってしまっていて、ちょっと残念だった。
どうせなら、3Dカメラで撮影された「海猿」を見たかった。

それでも、ここ最近のテレビ局主導の大作邦画の中においては、群を抜いて面白い。
筋肉胸板が大好きな女子は、是非、3D版を鑑賞あれ。(爆)

2010年9月18日土曜日

東京ゲームショウのお姉さん集

ビジネスデーとは言え、ゲームのデモプレイに25分待ちとか言われると、普通に疲れます。
最後は、そんな疲れをチョッとだけ癒してくれる存在。なんとなく撮ってきた各社のコンパニオンのお姉さま特集。

バンダイナムコ

D3パブリッシャーズ
D3パブリッシャーズ

カプコン

カプコン

コナミ

コナミ
セガ
コーエーテクモ

セガ 「龍が如く OF THE END」/東京ゲームショウ

色んな意味で、今回の東京ゲームショウの話題作になった 「龍が如く OF THE END」。
現実の歌舞伎町そっくりの街で繰り広げられる、ヤクザなゲームとして人気の同シリーズがここにきて、ご覧のとおりバイオハザード化。ゾンビVSヤクザとキャバ嬢、女性自衛官みたいな凄いことになってます。
キャストは相変わらず超豪華。
的場浩司、杉本哲太、栗山千明、石橋蓮司、ピーター....顔までそっくりです。



ブースではキャバ嬢とゾンビが写真撮影に応えてくれます。




KOEIブース「トロイ無双」/東京ゲームショウ

コーエーテクモさんは、弟の会社ってコトで、新作「トロイ無双」を紹介。
これ、とうとう無双シリーズが東洋の外へ飛び出して、伝説のトロイ神話の世界でバッタバッタと斬りまくります。



ビデオクリップでもイメージしてもらえると思いますが、映画「300」の世界で無双を遊んでる感じです。




コーエーはお姉さんが数あるメーカーの中でも綺麗系でした。

ゲームクリエイター剝製展

東京ゲームショウ2010に行ってきた。
今回、ある意味会場内より強いインパクトで俺の脳裏に焼きついたのは、JR海浜幕張駅構内をジャックする形で登場したカプコンの「ゲームクリエイター剝製展」だった。


全員、人間の役者さんが、あたかも人形のように微動だにしない。横のボタンを押すと、苦悩に満ちた演技をする。


これはプランナーの姿。
こっちはプロジェクトマネージャー。


こんな風に台詞と一緒に、全身で苦悩を表現。


カプコンはゲームクリエイターに優しい会社ですってコトが言いたい展示らしい。「SAVE CREATORS」って書いてあるグリーンバンドも配布中。

2010年8月29日日曜日

特攻野郎Aチーム THE MOVIE/NARIZO映画レビュー

米軍レンジャー部隊のメンバーから結成されたAチームの面々は、数々の作戦を成功させてきた。
ところが、CIA捜査官リンチ(パトリック・ウィルソン)の情報からイラクでの偽ドル紙幣の原版奪回作戦を展開している最中、謀略により無実の罪で逮捕されてしまう。
名誉挽回と無実を証明するため、リーダーのハンニバル(リーアム・ニーソン)は、刑務所から脱獄、部下のフェイス(ブラッドリー・クーパー)、B.A.(クイントン・“ランペイジ”・ジャクソン)、マードック(シャルト・コプリー)も相次いで脱獄させ、黒幕に迫っていく


小学生時代に、ハマっていたアメリカのテレビドラマ「特攻野郎Aチーム」が設定を現代に置き換えて映画になって帰って来た。
元々荒唐無稽でユーモアにあふれたシリーズだったが、プロデュースするのがリドリー・スコットとトニー・スコットの兄弟タッグ。キャスティングも、奇想天外な作戦を立案するハンニバル大佐がリーアム・ニーソンだなんて、どうなっちゃうのか気になってしょうがなかった。

内容は、当然の馬鹿仕様。

監督・脚本のジョー・カーナハンの演出は、素晴らしいテンションと最新技術による悪ノリのアクションシーンに溢れていて、頭を空っぽにして楽しめる荒唐無稽な映画シリーズの1作目として申し分の無い完成度。

80年代のオリジナルを知らない新しい観客を魅了しつつ、B.A(日本の吹き替えドラマ版だと「コング」って愛称だったよね)が飛行機嫌いになる理由を盛り込むなど、随所でオールドファンの笑いもきっちり取って来るシナリオからは、オリジナル版への愛情やリスペクトが感じられ、「何でこんな映画になったんだ!」なんて悲しい思いをすることは、おそらくないだろう。

逆境でもポジティヴなメインキャラクターたちが画面狭しと暴れまわりながら、ほとんど漫画のあり得ないアクションの連続で大活躍。その一方、正しいことをしても正当に評価が得られない。

正義とアメリカを愛しているにもかかわらず、国から追われ続ける...これがドラマ版にも映画版にも共通する「Aチーム」の設定だ。
単純明快に正義や悪が色分けし辛く、自信に満ち溢れた能天気なマッチョが「アメリカ万歳」と叫んでれば、課客が満足してくれるような、そんな時代ではないからこそ、今、この作品がリメイクされ、蘇ったチームの面々が再び愛されるのかもしれない。

ラストでスカッと解決を見せつつ、当然これは序章と言わんがばかりのエンディング。
新しいAチームの続き、勿論、期待大だ。

2010年8月8日日曜日

横須賀米海軍基地 ネイビーフレンドシップデー2010 レポート

2010年8月7日(土)

今年はまだ花火を見ていない事に、ふと気付いた俺は横須賀の開国祭で米軍基地が開放され、横須賀花火大会もそこから見られるらしいよ(しかも花火大会は神奈川最大規模らしい)という情報と、お誘いに飛びついてみた。

前日は、いつものごとく明け方まで飲んでしまい、当日は午後12時に京急横須賀中央駅に集合。
花火が19時30分からであることを考えると、余裕の到着....のつもりだった。
これが、大きな誤算の始まりである。

駅に着けば、そこは既に人の波でごった返していた。
門が開放されている三笠ゲートまで行ったものの入場待ちの列は、幾重にも折り重なり三笠公園まで続いて、なんと三笠ゲートに入るまでに1時間30分も掛かってしまった
完璧な誤算である。

荷物と金属探知機のチェックを受けて基地に入ると、流暢な日本語を喋るインフォメーションの兵隊さんに、今日はもう、艦船見学は出来ないかも...ゴメンネ。などと言われてしまう。
14時最終受付けで、15時までが見学時間。あまりに広い横須賀基地、ドッグまでたどり着いた時、既に時間は13時30分。目の前には絶望的とも思える長蛇の列が出来ていた。

この日、見学可能だった艦船は、米海軍のアーレイバーク級ミサイル駆逐艦 「ラッセン」と海上自衛隊護衛艦 「はるさめ」(下の写真は「はるさめ」)。

時間は限られている上に、ここは米軍基地。どうせならばと、護衛艦は華麗にスルーして、米海軍の「ラッセン」の最後尾に並ぶことにした。

ミサイル駆逐艦「ラッセン」

パノラマ写真でドッグを望む。気温は35度近いが、空軍基地と違って容赦なく太陽に照り付けられても海風を感じられるのが、せめてもの救い。左側に見えるのが「はるさめ」で右が「ラッセン」。

クリックして大きな画像で是非ごらんあれ↑

ここでも、1時間以上並ぶことに。
背後では、自衛艦「はるさめ」の見学が打ち切りになっていた。本当にこれに並び続けていて、見学できるのだろうかとチョッと不安になりつつも、暇なので大きなクレーン等の港湾設備をカメラに収める。

とにかく、この日は空が綺麗だった。

自衛艦がガンガン見学者を船に乗せて船内に人があふれているのが外からも分かるような状態だったのに対して、長蛇の列が出来ていようとも米軍の方は常に一定数の見学者しか乗船させない方針のようで、列は驚くほど進まないのだが、一度中に入ってしまうと、のんびり見学出来そうな雰囲気。


ようやく乗船できた甲板から下を見下ろすと、まだまだおびただしい人の列が乗船を待っていた。


俺たちが乗船した段階で、15時近かったのだが、どうやらその時点で列を作っていた見学者は、見学させてもらえたっぽい。

とは言え、半端じゃない暑さで、屋台で売られていた「あり得ない色のゲータレード」を大量消費する羽目になった。






船内の通路は、思っていたほど狭くなかったのだが、外との対比でえらく暗い気がした。
陽射しが遮られるだけで、「涼しい」とか感じられてしまう罠。



艦橋と夏空。
艦首にはためく旗の向こうには、見学者が居なくなった自衛艦の「はるさめ」が見える。

防火服姿の兵士と2ショット。防火服がとてつもなく重くて暑いことを知っている俺としては、この炎天下で見学者とニコヤカに写真に納まっている彼の根性に拍手を送りたいキモチ。
最後に握手したら、彼はあり得ない手汗をかいていた。そりゅそうだ。(爆)

機関銃を構えちゃったりしている。
通常は、据え付けて使うタイプの銃だと思うんだけど、これ、半端なく重かったです。
訓練用の銃も、おそらく重さは本物と同じ。かなり、ずっしりしていた。

ドッグ脇には戦闘機も展示されていた。
いや、柵も何も設けられていなかったので、展示というより置いてあった感じだったんだけど(笑)。
軍港と、艦船と、戦闘機と夏空。日本じゃないね。この風景。

日本とアメリカ国旗のあしらわれた鯉のグラフィックデザインが面白かったので、購入したフレンドシップデーのTシャツ。1800円。オマケで星条旗のピンズを付けてくれたのだが、使い道ないなぁ...(笑)。

ようやく食べ物を口にして花火までの数時間を過ごす。
あまりにも巨大なピザ。しかも、大味。3人がかりでも結局、食べきれず。途中で飽きた。
物凄く分厚い生地は、パン生地に近かった。
遊ぶ、食べる、そして寝る。花火大会までの2時間、もう横にならずには居られない状態。


そして、花火大会へ。米軍基地から望む花火は中々、よい見晴らし。
海面に反射する花火って綺麗だなぁ....と、久々の海でやる花火大会に来て見て改めて感想。
ちなみに、iPhone3GSでも、頑張ればこの程度には撮れます。
最後は、横須賀基地から撮った「よこすか開国花火」のクライマックスをハイデフ動画でどうぞ。


2010年8月1日日曜日

ソルト/NARIZO映画レビュー

CIAに投降してきたロシアの諜報部員オルロフがもたらしたのは、訪米中のロシア大統領を暗殺するために、ロシアからスパイが送り込まれるという情報だった。告げられたそのスパイの名は“ソルト”。
オルロフの尋問を担当していたCIA女性職員イヴリン・ソルト(アンジェリーナ・ジョリー)は、オルロフからスパイとして名指しされ、嫌疑をかけられて逃走。一方、オルロフもCIA職員を殺害して逃亡した。
果たして、真実は何処にあるのか!!


何とも面白そうな予告編を見せられたせいもあって、過剰に期待してしまった部分大だった。

真の敵の姿や目的が中々見えないところ、種明かしされる人間関係が強引なところ、政府機関の中枢が理不尽なほどスパイだらけ、挙句の果てにちゃんと完結しない。
そう書いたところで、お気付きかもしれないが、この作品は、一言で言うとアンジェリーナ・ジョリー版「24 Twenty-Four」みたいな話だ。

最も残念なのは、複雑な背景を持った主人公のソルトを突き動かしている「愛」や「信頼関係」に強い説得力を持たせる演出が非常に弱く、説明不足だった上に、大事な脇役もいまひとつだったため、ストーリーとしての背骨が弱くなってしまったこと。
その上、彼女に感情移入したり、続編に対する興味を抱かせるにあたって、重要になったであろう子供時代のロシアのエピソードが、ほとんど意味不明だったせいもあり、彼女の苦悩なり、しがらみなりに共感できるものがまるで無く、キャラクターに対する魅力や興味が深まり辛かったというのも痛い点だ。

続編へ続ける気満々のラストにしても、彼女が追っている「敵」の存在を何ら観客に提示することなく終わってしまったので、次の展開や目的を観客が期待できる要素が、まるでない。
そういう意味で、発想がよかっただけに非常に惜しい、残念な映画に感じてしまった。

それでも、もちろん見所が無いわけではない。
アンジェリーナ・ジョリーは、間違いなく今、アクションが一番画になる女優の一人で、下品じゃないセクシーさは好感が持てるし、正直、彼女の魅力に映画は大いに助けられている。

アクションシーンも、何処かで見たような内容ではあるものの、スピード感があって中々よかったし、ロシア大統領相手にそりゃ無いだろという様な「8時だよ!全員集合」の大仕掛けのセット落ちみたいな爆笑爆破シーンなんて、思わず「ドリフかよ!」と膝を叩きたくなる馬鹿っぽさで、笑えるものがある。

そうなんだよ。
社会派っぽいテーマでドラマを撮るのが好きな監督のフィリップ・ノイスは、今回もっと、思い切って「馬鹿」に徹するべきだったんだと思う。結果として、この作品はドラマなんてトンと弱くて、単なる馬鹿映画になっちゃったんだから。

アンジェリーナ・ジョリーのファンと、「24 Twenty-Four」のシリーズが大好きって類の人にのみお奨めしておきます。







2010年7月25日日曜日

インセプション/NARIZO映画レビュー

国際指名手配犯のドム・コブ(レオナルド・ディカプリオ)はターゲットが夢の中に居る間に、その潜在意識の奥底に潜り込み、他人のアイデアを盗み出す犯罪のスペシャリストだった。
そんな彼に、実業家のサイトー(渡辺謙)が仕事を持ちかけてくる。報酬は、彼に掛かった容疑を白紙にして、もう一度、最愛の子供たちとの生活を取り戻すこと。
困難を極めるそのミッションは、「インセプション」。
サイトーのライバル企業グループの御曹司の潜在意識に入り込み、別の考えを植え付けて、その企業が崩壊する引き金を引かせようというものだった。


 こんなアイディアがあったのか!! 映画作品としての強いオリジナリティを持って、観客を荒唐無稽な世界観に一気に引き込み、あらゆる仕掛けで観客を翻弄し、煙に巻く。
映像が驚異的なだけではなく、綿密に計算され、見る側の解釈で幾つもの違った結論が導き出されるような素晴らしい脚本。
あれだけ複雑で多重構造の展開なのに、そこに混乱はまったく無く、150分の長さを忘れるエンターテインメントで、終わってすぐ、もう一度見たくなる中毒性を持った、久しぶりに衝撃的な作品の登場だった。

原案、脚本、監督、製作と常にマルチに作品に関わり続けているクリストファー・ノーラン監督(「ダークナイト」「バットマン・ビギンズ」)にとって、間違いなくひとつの到達点であり、代表作になるに違いない強烈な映像体験が、そこにあった。

加えて、キャストも曲者そろい。
渡辺謙は文字通りの準主役級で、太りすぎてて危うく気付かなかったトム・ベレンジャーや、アカデミー賞女優のマリオン・コティヤール、最初は大作映えせずに地味に見えたエレン・ペイジ(「ジュノ」の主役の女の子だよ)も話が進むにつれ、どんどん印象を強め、最後は何かとても可愛く見えてきた(笑)。そのほかノーラン作品常連の顔ぶれも含めて登場人物は多いけど、誰も彼もが魅力的だ。

言ってしまえば、「夢」の中に侵入する、「夢」版「マトリックス」の様な設定ではある。
しかし、誰もが夢を見たときに知っている「感覚」をリアルに細かい設定の中に散りばめる事で、荒唐無稽なストーリーに真実味を持たせることに成功している。
CG全盛の昨今においてライヴアクションにこだわり、超現実的な映像で夢の感覚が再現される。

どんな解釈でラストシーンを見たか、終映後に感想を交換するだけでも、1時間は盛り上がれる、そういう類の映画なので、とにもかくにも、この作品は映画好きな友達と、大人数で見に行くことをお奨めしたい。
誰かの感想を聞くことで、見逃していたかもしれない別の視点や解釈が生まれる。
それ自体、どう解釈するかで180度結末の意味が変わってしまうような、意味深なラストシーン含めて、ノーラン監督は映画を通じて観客への「インセプション」に成功しているのだ。



2010年7月17日土曜日

トイストーリー3/NARIZO映画レビュー

アンディはすでに17歳。大学進学のために家を出て行こうとしていた。そんな中、手違いから「サニーサイド」という名の保育園に寄付されてしまう「おもちゃ」たち。
アンディに最も気に入られていたカウボーイ人形のウッディは、家へ帰ろうとみんなを説得するが、他のおもちゃたちは保育園での新しい子供たちとの出会いに心を膨らませて、誰も彼の声に聞く耳を持とうとしない。
だが、この「サニーサイド」は、おもちゃを破壊する凶暴な幼児たちばかりが集まった、おもちゃたちにとっての地獄だったのだ。果たして、おもちゃたちの運命は....。



 アニメーションスタジオ「ピクサー」が「トイストーリー」を世に送り出した1995年から、スタジオの成長とともに看板作品として愛され続けてきたシリーズが遂にエンディングを迎えた。

このシリーズがこんなにも愛されたのは、1作目が世界で初めてフル3DCGで制作した長編アニメーションだなんて理由ではなく、玩具の視点から見た世界を、愛情たっぷりに生き生きと描いて見せたユニークな作品だったからに他ならない。

いつかは壊れ、または飽きられ、忘れられ、捨てられてしまう玩具の「楽園」として登場する「保育園」の真実という、サスペンス的(笑)要素が散りばめられ、ロッツォやビックベビー、ケンと言った新キャラクターも、とてつもなく曲者。中古の玩具しか出てこないこの作品では、それぞれが元の持ち主の思い出を背負って動いていて、まるで引退した企業戦士たちのようでもあり、とてつもなく人間くさい。

繰り広げられる冒険は、3D映像になって、その迫力を大きく増し、テンポよく、一気にエンディングへと駆け抜ける。

1作目が世に出てから15年。
製作者たちの子供が成長して巣立っていく様に、この作品では遂に、玩具たちの持ち主、アンディも大人として巣立っていこうとしている。
そこには「おもちゃ」たちとの別れが待っている。
この作品が貫いたルール通り、玩具は人間と会話をすることは無いが、アンディとおもちゃ達のココロが通じ合ったかのようなそのシーンのために、まるでこのシリーズは計算されて来たんじゃないかとさえ思ってしまうような。
それは切なくもポジティヴで、実にディズニー/ピクサーらしい物語の終焉になっていた。
そして、あたかもピクサースタジオが看板キャラクターとして愛し、愛され続けてきたウッディとバズから卒業し、次の発展を遂げていくために永遠の命を与えたように見えるような....素晴らしいエンディングだった。

つまり「トイストーリー3」は、単にキッズ向けのCGアニメではなく、かつて、「こども」だった全ての「大人」が楽しめ、名作として長く記憶されることになるに違いないファミリーエンタテインメントなのだ。








2010年7月4日日曜日

踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ!/NARIZO映画レビュー

強行犯係係長に昇進した青島俊作(織田裕二)は、新湾岸署の開署式まであと3日と迫る中、高度なセキュリティシステムが導入された新湾岸署への引越しで陣頭指揮をとっていた。その引越しの真っ最中に、湾岸署内で次々と事件が発生。引越しのどさくさに紛れて、青島や恩田すみれ(深津絵里)らの拳銃が3丁盗まれ、連続殺人事件へと発展していく。
湾岸署には特別捜査本部が設置され、管理補佐官の鳥飼誠一(小栗旬)とともに青島は捜査を開始。しかし、ついには、高度なセキュリティシステムをクラッキングされ、犯人の手によって多くの署員が新湾岸署に閉じ込められてしまう。犯人の要求は、かつて青島が逮捕した犯罪者9人の釈放だった。



テレビシリーズが大好きだったこともあって、内容の酷さは覚悟していても、ついつい見に行ってしまった7年振りの最新作。
結論から言うと、覚悟通りの出来栄えだった。魅力的なキャラクターを動かすだけで、何とか無駄に思えるほど長い尺の興味をギリギリのところで持続させる、いつもの手も、いかりや長介の亡き後は、もはや限界だ。

例え背骨になるストーリーに魅力がなく、延々とどうでも良い話につき合わされたとしても、これまでは最後にヒロイックな青島と室井(柳葉敏郎)の立場を超えた友情なり、事件解決に向けて、一気に盛り上げて得られるカタルシスなりが「映画」として許せるギリギリの結果をもたらしてきたと思うのだが、本作にはそれすら感じられない。
過去三作の中で、最もノレない作品だったと言って良いだろう。

つまるところ、どこまでも観客は単にスタッフとキャストが織り成す「同窓会」的内容に付き合わされるだけだった。
人気に乗っかれば、安易な企画でも映画化出来てしまうテレビ局主導のキラーコンテンツが、ファンを相手に胡坐をかいている。意地悪く言えば、これはそのレベルの映画だと思う。もちろん、多かれ少なかれ、過去の2作もそうだった。それでも、繰り返し言うが、ここまで酷くはなかった。
だから、これを2度見たいとか、DVDを買おうなんて気には、全くなりそうにない。

新キャラクターとして登場する和久伸次郎(伊藤淳史)や鳥飼誠一(小栗旬)は頑張っているし、久々に見た篠原夏美(内田有紀)も魅力的だったが、活かしきれなかったのは残念。
唯一、面白かったのは署長、副署長、刑事課長のスリー・アミーゴス(北村総一朗、斉藤暁、小野武彦)によるお馴染みのサラリーマン的コントシーン位のものだ。

そんなわけで、別に映画じゃなくても良いジャンというファン向け映画。それでも、「踊る大捜査線」は好きだからと言う方は是非。


2010年6月13日日曜日

アイアンマン2/NARIZO映画レビュー

 自らが“アイアンマン”であることを明かしたトニー・スターク(ロバート・ダウニー・Jr.)だったが、胸のリアクターは彼の身体を徐々に蝕んでいた。政府は彼の勝手なヒーロー行為を問題視し、パワードスーツをなんとか取り上げようと画策。一方、スターク家に恨みを持つ天才ロシア人“ウィップラッシュ”(ミッキー・ローク)は、一撃で金属を真っ二つにするスーツを身に付けて復讐を誓う。その頭脳と破壊力に目をつけた、軍需産業大手のハマー社は、ウィップラッシュと手を組んで、トニーを追い詰めようとしていた。
そんな中、トニーの許に現れる謎の美女“ブラック・ウィドー”(スカーレット・ヨハンソン)。
そしてアイアンマンとウィップラッシュの対決が空前のスケールで展開する。



前作で「傑作だ、アメコミ原作だけど、マジおもしれえ!!」と俺を大興奮させた「アイアンマン」。
男の子心をくすぐるメカメカしい、パワードスーツ。主人公は金持ちでナルシストで天才だけど自己中心的で、素直になれない駄目オヤジ。既存のヒーロー像とは違った要素で、理屈なしに楽しめた魅力溢れるエンタテインメント大作になっていただけに、その続編と聞いて予告編の時点で、期待値が最高潮まで上がったのは仕方ないところだろう。

しかし、どんなに贔屓目に見ても、今回のシナリオは酷い。
この手の映画がテンポを失い、途中で中弛みして、眠気を誘うなんて最悪じゃないか。だらだらと色んなエピソードを絞りきれずに詰め込みすぎて、結局、ウィップラッシュの憎悪や復讐心も、新キャラクターの立ち位置も、トニーの苦悩も、煮え切らないペッパー(グウィネス・パルトロウ)との関係も、長かった割に未消化で、メリハリ無く、呆気なく、何だったんだこれという残念感漂う印象に。

映像的な興奮は、予告編に凝縮されていて、本編より予告のほうが面白いくらいだ。

今回の敵のウィップラッシュに至っては、ストーリー引っ張った割りに、恨みの深さもたいして伝わらず、びっくりするほど呆気なく勝負が付いてしまった気がする。演じるミッキー・ロークがムキムキだけどヨレヨレの酔っ払いにしか見えない有様で、悪役としての魅力に著しく欠けた気がするのも残念。
一方、新登場のスカーレット・ヨハンソンは、俺の眠気を一掃してくれた。いやぁ、「アイアンマン2」は彼女で俺の興味がギリギリ繋ぎとめられてた気がする。
スカーレットのエロオーラと独りマトリックスなアクションシーンを見れただけで、まぁ、良しとするか!と、割り切れるほど彼女のシーンのみ、見ていて飽きなかったのだが、これまた残念なことに登場シーンがそう、多くないんだな(笑)。
調べたら、スカーレット・ヨハンソンが演じてたブラック・ウィドーってのは、マーベルのコミックでは人気のある女スパイなんだね。

これは、まぁ、マーベルのヒーローが大集合して、敵と戦う「アベンジャーズ」へと繋げる伏線が今回も色々盛り込まれた結果のスカーレット・ヨハンソン登場という事の様なんだけど、そんな仮面ライダー大集合みたいな映画はどうでも良いから、まともな「アイアンマン」で楽しませて欲しいもんだ。











2010年6月12日土曜日

アウトレイジ/NARIZO映画レビュー

関東一円を取り仕切る巨大暴力団組織、山王会。池元組組長の池元(國村隼)は本家の加藤(三浦友和)から古参のヤクザ村瀬(石橋蓮司)との関係が本家に背くものだと叱責された。
だが、村瀬と池元は兄弟の盃を交わした仲。池元は、いつも池元からやっかい事を押し付けている傘下の大友(ビートたけし)に、カタチだけの喧嘩を仕掛けるよう命令を下す。
しかし、自体は次第に池元の思惑を超え、血で血を洗う収拾のつかない闘争と、ヤクザ社会の下克上へと発展していくのだった。


久し振りに北野ノワールが帰ってきた。三浦友和、椎名桔平、加瀬亮、國村隼、杉本哲太、塚本高史、石橋蓮司、小日向文世、北村総一朗、中野英雄...早々たるメンバーが全員悪党。
オンナ気ゼロの乾いた暴力と、窮屈で理不尽な縦社会の中で、もがく極道たちのドラマが展開する。
高見の見物で、命懸けのゲームを楽しむかのような会長、古い価値観と新しい価値観の世代交代、そして、我慢の限界にやってくる暴発性の衝動的暴力の連鎖。
キャラクターには誰一人として感情移入は出来ないが、ただ怒声が飛び交っている映画ではない。
全てのキャラクターが屈辱に耐え、我慢を重ねた末に、突然爆発する。この感情と暴力のリアルな描写を映像化することにおいて、日本で今、北野武の右に出るものは居ないだろう。

無常観が支配し、悪が栄える結末も示唆に富んだものになっているが、ドラマとしての完成度で見ると過去の素晴らしい作品群ほどの輝きは残念ながら無かった。
ヤクザの抗争劇として過去の北野作品と比較するなら、「Brother」よりは、かなりマシと言うところ。

それぞれ素晴らしい役者が一癖もふた癖もあるキャラクターを濃厚に演じており、その競演を見ているだけでも興味深い作品だった。
それだけに、もっとドラマティックな展開を期待してしまった俺は、欲張りすぎだろうか。


2010年5月29日土曜日

プリンス・オブ・ペルシャ 時間の砂/NARIZO映画レビュー

ヨーロッパからアジアまでを支配していた古代ペルシャ帝国。ペルシャ王に勇気を見出されたスラムの少年ダスタンは、王の養子として迎えられ、やがて王子となった。15年後、勇者に成長した第3王子ダスタン(ジェイク・ギレンホール)は、兄や叔父ニザム(ベン・キングズレー)と共に、聖なる都アラムートの征服に成功。
勝利を祝う宴の席で、ダスタンは父王にアラムートの法衣を送るが、法衣に塗られた毒で王は絶命し、暗殺者の疑いを掛けられた彼は、アラムートの娘で、神に仕えるタミーナ(ジェマ・アータートン)と逃亡する。
ペルシャ帝国軍と、謎の暗殺者集団ハッサンシンから追われながら、ダスタンは果たして無実を証明できるのか!


「プリンス・オブ・ペルシャ」と言えば、俺が子供の頃に流行ったアクションゲームの名作。
トラップだらけの宮殿に忍び込んで、制限時間以内に姫を助け出すというシンプルな内容だが、これが単なるアクションゲームではなく、トラップを回避したり、敵兵をトラップに誘い込んだりするパズル的要素も満載で、操作性が悪いパソコンのキーボードを叩きながら、夢中で遊んだ記憶が懐かしい。

そんな懐かしのタイトルをディズニーが突然、映画化するという時点で、興味が掻き立てられた反面、プロデューサーがジェリー・ブラッカイマーだし、まぁ、間違いなく馬鹿映画だろうと、中身の出来栄えについては正直、何の期待もしていなかった。

しかし、蓋を開けてみれば監督は元来ドラマを得意とするマイク・ニューウェルだったせいか、派手なだけでペラペラ感満載のしょうもないアドベンチャー映画にはなっていないし、ややマニアックな俳優だった主演のジェイク・ギレンホールは、この作品で一気にブレイクしそうな野性味に溢れたカッコよさ。ジェマ・アータートンのお姫様もエキゾチックな魅力に溢れていて、2時間近い作品を夢中で楽しんでしまった。

キャラクターの性格付けが魅力的である上に、CGIをふんだんに使いながらも、観客を熱狂させるのはあくまでゲームのスピード感、スリル感が蘇るような目まぐるしいアクション。これに加えて、ゲームシリーズから発展させたキーアイテムの「時間の砂」の存在など、原案の魅力を上手に借りてきつつ、娯楽作品として今、求められる要素を手堅く演出したマイク・ニューウェルの手腕は冴え渡っていて、間違いなくこの数年のディズニー制ライヴ・アクションエンタテインメントでは最高にバランスの取れた作品になっている。

しかし、主演の知名度がいまひとつのせいか、ロードショー時のプロモーションがいまひとつパッとしてなくて、こんなにも良作なのに、金曜初日のレイトショーで客席がまばらなのが、凄く気になった。
相手を選ばないテンション高めのデート・ムービーとしてもオススメの「プリンス・オブ・ペルシャ」。

今度の6月1日、「映画の日」に何か1本、気分転換にテンションが上がる映画を薦めるとしたら、俺は迷わずこれを薦める。
「プリンス・オブ・ペルシャ」...これを見逃すのは勿体無い。





2010年5月16日日曜日

グリーンゾーン/NARIZO映画レビュー

2003年、英米連合軍によって陥落したイラクの首都バグダッド。ロイ・ミラー上級准尉(マット・デイモン)は、イラク政府が隠した大量破壊兵器を発見するという任務に就いていたが、一向に兵器を発見できず、情報の正確性に疑問を抱いていた。
やがて実態のない情報提供者の存在や、戦争突入の前に行われたアメリカ政府高官とイラク軍上層部との間の不透明な会合の存在が明らかになる。果たして、この戦争の裏には何があるのか...。


もともと、ドキュメンタリー映像出身のポール・グリーングラス監督は、これまでも911ハイジャックで犠牲となった機内を克明に描いた「ユナイテッド93」に代表されるように、リアリティに溢れた緊迫感のある映像を得意としている。
同様にハードなアクション・サスペンスであるジェイソン・ボーンシリーズもマット・デイモンと2作品撮っていて、どうしても、あのシリーズの主人公である記憶を失った凄腕の暗殺者に主役のイメージが重なりそうになる。
しかし、本作のメインキャラクターであるミラーは、任務に忠実であるが故に、戦争の裏に見え隠れする大きな欺瞞を放っておけない性格の、「ごく普通の兵士」だ。
混沌とした戦場。不確かな情報が行き交う中で、ミラーは疑問を抱いてしまう。果たしてこの戦争は、大義名分のある、本当に正義の戦争なのだろうかと。
圧倒的リアリティで、混乱のバクダッドが描かれ、冒頭から観客もまた、その真っ只中に放り込まれる。
このリアリティのお陰で、一兵士が、大国アメリカの欺瞞を暴こうとするという、いかにも映画的「お話」も、ドキュメンタリーの様に見えてくるのだ。

実際にイラクで大量破壊兵器は見つからなかった。
あの戦争は、誰が起こした、何だったのか....エンタテインメントの切り口から、それに迫ってみせたテーマ性は大いに買いたいのだが、妙にしぼんでしまう尻すぼみなラストを見て、面白かったのに物足りなさを感じてしまった。
しかし、これはこれで良かったのかもしれない。
ラストの混沌は、未だにイラクの地で続いているわけだから。


2010年5月1日土曜日

ウルフマン/NARIZO映画レビュー

1891年、英国のブラックムーア。
兄ベンが行方不明になったことを、兄の婚約者グエン(エミリー・ブラント)の手紙で知らされたローレンス(ベニチオ・デル・トロ)は、25年ぶりに母の死をきっかけに疎遠になった父ジョン(アンソニー・ホプキンス)の住む、生家のタルボット城に帰ってくる。
だが、既に兄は無残に肉を削がれ、亡骸になっていた。
村には、満月の夜に謎の殺人鬼が出没するという伝説が残されており、満月の晩に人を狩る獣の影を目撃したローレンスは、それを追う最中、待ち伏せされて瀕死の重傷を負ってしまう。ジプシーに助けられた彼は、一命を取り留めるが、彼を襲ったものの正体がウルフマンであり、その牙に掛かった彼もまた、満月の夜に変身を遂げる宿命を背負わされた事に気付くのだった。
満月の夜、ローレンスは変身し、凶行に及ぶ。果たして、彼を満月の晩に襲ったウルフマンの正体は何者なのか!
彼は宿命を変えるコトが出来るのか!


 「狼男」を題材に、ベニチオ・デル・トロとアンソニー・ホプキンスという名優二人を主役に配し、現代の映像テクニックを駆使しながら、古典的な要素や伝説の設定に忠実に、正統派モンスター映画を作ったと聞けば、重厚で見応えのあるモンスター映画を期待するのは当然だろう。
事実、この作品は、そこらの3Dアトラクション映画なんかより、よっぽど魅力的だ。
残念ながら劇場の客席は、渋谷だって言うのに満月の夜の森の中の様に人影が無かったが、「狼男でしょ?」と馬鹿にせず、主役の二人のぶつかり合いを見に行くべきだ。この作品は、確かにモンスター映画かもしれないが、ドラマとして充分楽しめる作品になっている。
あと、忘れてはいけないのが、「プラダを着た悪魔」で有名になったエミリー・プラント。客席で、狼男に変身したくなるほど、この作品でも彼女は美しい(笑)。
もちろん、モンスター映画の類が好きなファン、B級映画ファンが楽しめることは請け合いだ。
いま、全盛のVFX技術に加えてSFXと呼ばれていた時代にホラー映画で名を馳せた特殊メイクの達人リック・ベイカー(有名なのはマイケル・ジャクソンの「スリラー」のPVや、「狼男アメリカン」、[Planet Of The Ape(リメイク版の「猿の惑星」)]など)が担当した変身シーンとか、お子様入場規制が掛かってるのが納得の肉片が飛び散るウルフマンの襲撃シーンは必見だし、2匹(人)のウルフマンが対決するシーンは、妙に動きがコミカルだったりしてB級映画ファンのココロも鷲掴んでくれるはずだ。(B級好きの皆さん、監督は「ジュマンジ」や「ジュラシックパーク3」のジョー・ジョンストンだぞw)
美術も、凄く良い雰囲気を出しているんだが、プロダクションデザインは「スリーピーフォロー」のリック・ハインリクス。
何といっても月に向って遠吠えするベニチオ・デル・トロだぞ。これを見ずしてどうする。
早くしないと、不入りで終わってしまいそうだから、この連休中に劇場へ急げ。


2010年4月29日木曜日

オーケストラ/NARIZO映画レビュー

共産主義時代、ユダヤ系の演奏家たちを守ったためにボリショイの主席識者の座を解雇され、今は劇場清掃員として働く中年男アンドレイ・フィリポフ(アレクセイ・グシュコブ)。
ある日、清掃中にパリのプレイエルへの出演依頼のFAXを見つけた彼は、かつての仲間を集めて偽のオーケストラを結成、ボリショイ交響楽団代表としてパリに乗り込むことを思いつく。
モスクワの片隅でかろうじて生計をたてている元団員のほとんどが、アンドレイの荒唐無稽な誘いを二つ返事で承諾。演奏曲はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、ソリストは若手スター、アンヌ=マリー・ジャケ(メラニー・ロラン)を指名。
パスポートも、ジプシーのヴァイオリン奏者が24時間で全員の偽造品を調達。遂に寄せ集めオーケストラはパリへと旅立った。彼等がジャケを指名した理由...そこには彼女の出生の秘密があった。


 フランスで大ヒットしたクラシック音楽映画が日本に上陸。単館上映ながら。なかなかの評判という事で、劇場へ。
本家ホンモノのボリショイのオーケストラを解雇されたかつての団員が「成りすまし」で、パリに渡り公演を成功させてやろうという、非常に面白そうなストーリーに、コメディだよねと、興味をひかれた俺。

しかし、共産主義下のソビエトで体制に反抗した天才指揮者が、清掃夫に落ちぶれてるあたりとか、笑いがとれそうな不遇の設定は意外にも淡白に描かれ、その「時代」に対する理解が無いと、イマイチ共感できない感じの序盤。
かつての仲間をひとりずつ訪ねて、企みに引き込むシーンも、団員のキャラや背景を描くのに格好の展開に出来そうなはずが、イマイチ活かしきれず、中盤、パリに渡っての彼等オーケストラの自由奔放な、だらだら振りをそれこそ、だらだら見せられて、いったい何を見せたいんだこの映画は...と、その独特のペースに多少、やきもきさせられた。

しかし、若手の天才ソリスト、アンヌ=マリー・ジャケを演じるメラニー・ロランが出てきた辺りで、ぐっと面白くなっていく。とにかく、あまりにも彼女は美しく、続いて、何だかワケありな背景がありそうな展開をみせ、ダメダメだなと思っていた内容にぐっと興味が沸いてくる。
そしてラストの演奏シーンは、ここまでで呆れるくらいに低くなっていた自分のテンションの反動もあって(笑)、クラシックの演奏シーンでありながら泣きそうになるほどのカタルシスを感じさせてくれた。演奏家達が演奏を通じて心を通わせ、語らずとも全てが理解しあえてしまうという究極の演奏シーンが、台詞はなくても愛が語られているシーンが、そこにあった。
ああ..この15分のために俺は2時間を我慢してて良かったと、そう思える、それは素晴らしいシーンだった。

だったら、この手前の部分までのドラマをもっと、上手く作ってくれよと思わずには居られない演奏シーンの後、とってもシアワセに大団円を迎える。
終わってみれば、これってコメディではなかったねという音楽ドラマ(笑)。
「のだめ」も良いけど、クラシックの本場が作ったクラシック映画の凄み、ここにありという演奏シーンは、何度も言うけど必見。



2010年4月25日日曜日

タイタンの戦い/NARIZO映画レビュー

神と人類が共存していた時代。神に対して、人間の王が反旗を翻し、人類の創造主で、神々の王であるゼウス(リーアム・ニーソン)は、激怒。ゼウスの弟でゼウスに恨みを持つ冥界の王ハデス(レイフ・ファインズ)は、この機を逃さず、人間達を恐怖で支配しようとしていた。
一方、ゼウスには、人間であるアルゴス前国王アクリシウスの妻を姦通して生まれた息子ペルセウス(サム・ワーシントン)がいたが、彼はおのれがゼウスの子である事をまだ知らなかった。
ハデスによって育ての親を殺されたペルセウスは、戦士たちとともにハデスと対決するため立ち上がった。

80年代の前半に公開されたオリジナル版の「タイタンの戦い」は、ハリー・ハウゼンによるストップモーションアニメの怪物たちと人間が入り乱れた、なんとも魅力的なファンタジーで、子供の頃は何度もビデオを繰り返してみるほどお気に入りの作品だった。

あれから30年。
現在の映像技術を活かし、3D対応して、かつて大好きだった「タイタンの戦い」が帰ってくると聞いて、期待するなという方が無理だろう。

しかし、アクション畑のルイ・レテリエ監督と、アバターの主演で一躍有名になったサム・ワーシントンの「タイタンの戦い」は、映像が派手な一方、残念なくらい内容が薄く、せめて3D版を鑑賞して大スクリーンから飛び出してくるのを見なければ、本当に何の記憶にも残りそうに無かった。

ところどころ、オリジナル版のファンを喜ばせるようなオマージュシーンも登場するにはしたのだが、なんか、手応え無かったんだよなぁ....。

2010年4月19日月曜日

アリス・イン・ワンダーランド/NARIZO映画レビュー

婚約者のプロポーズから逃げ出したアリス(ミア・ワシコウスカ)は、懐中時計を持った白ウサギの後を追って穴に転がり落ちアンダーランドと呼ばれる不思議の国へ。
アリスはすっかり忘れてしまっていたが、そこは、幼い頃彼女が訪れた事のある不思議の国だった。
しかし、いまやアンダーランドは独裁者、赤の女王(ヘレナ・ボナム=カーター)が君臨する暗黒時代。
そこに伝わる“預言の書”には、なんと、救世主アリスが現れてこの暗黒時代を終わらせると書かれているのだった....。


 ディズニーで製作されたティム・バートン監督の最新作は、あの「不思議な国のアリス」の続編として構成されたオリジナルストーリー。
ティム・バートンといえば、無邪気な悪趣味。笑えるブラックさと、可愛さ、妖艶さと不思議さが同居するなんとも魅力的な名作の数々を産み出してきた鬼才。
今回も、彼の作品では欠かすことの出来ないジョニー・デップをマッドハッター役に起用して、果たしてどんなアリスが見られるのかと大きな話題を呼んでいた。

しかし、この作品は、良くも悪くもディズニーだった。
立体メガネを装着し、冒頭の3Dになって輝くシンデレラ城のディズニーロゴから先、まさにその108分は3Dで体験するディズニーのアトラクションそのものだった様に思う。
キャラクターの造形、美術、あらゆるビジュアルにティム・バートンらしさは感じられた。
チョッとした毒や、不気味だがどこか可愛い雰囲気ももちろん、あった。
しかし、それはどこまでもお子様にも安心してお楽しみいただけるレベルのディズニーアトラクションの枠の中にちょこんと収まっているようにしか見えなかった。
ストーリーも、判り易いがいつものバートンを期待していると肩透かしを食らった気になってしまう。
禁忌的なものに挑戦するような冒険なんて当然無い。
なにせディズニー製作で、あの有名な「アリス」を借りてきて作ったストーリーなのだ。
自ずと、限界はあったのかもしれない。

それでも、誤解なきように言っておくと、これは3Dメガネで見る立体映像アトラクションとして、文句ない出来栄えの作品だった。
ディズニーランドの延長線上的に、とにかく子供が見ても安心で、コドモに飽きられるほど長尺じゃなく、興奮したり、笑顔になれたりする話題の立体映像映画を1本、今、薦めろといわれれば、俺は「アバター」ではなく、こちらを薦めるだろう。


しかし、アトラクション的過ぎる楽しいだけの立体映画には、客単価の高い立体映像作品が、またしても単なる一過性ブームに終わりかねない匂い、ちょっとした残念さを感じてしまったりもするのだ。
特にそれが、大好きな監督の最新作だったりすると。





2010年4月13日火曜日

1/6スケールフィギュア アイアンマン・マーク3(バトルダメージ版)/ HOT TOYS

今日は、オタクネタ。
俺の好きな馬鹿メカアクション大作「アイアンマン」シリーズから、スゲェ豪華じゃん!!これ。と、予約して楽しみにしていたHOT TOYS製のアイアンマン・マーク3(バトルダメージ版)1/6スケールフィギュアがとうとう先日、自宅に届いた。
そこで、早速、ブログで見せびらかしてみようと思う。(笑)




目や胸部のアーク・リアクター、両手のリパルサー光線発射部はライトアップ機能を搭載。
なかなかのプロポーションで、見ていて飽きない。胸部のライトアップスイッチは、場所を探すのに一苦労だった。正解は右肩後ろの羽の部分。ここにスイッチがある。



部屋を暗くしてみると、発光部分の明るさが際立つ。うーん。実にSFな感じじゃないか。w

肩の部分のエアフラップを開いたところ。劇中のギミックはかなり細かいところまで再現されている。細かくて薄い部品が多いため、うっかり転倒して割れたり折れたりしないか、心配になってしまうほど精巧。


脚部のフラップも開けて立たせてみた。スペックでは全身36箇所稼動。リボルテック程とはいわないが、かなり自由度が高い関節部分により、様々なポージングが可能。ただし、腕の部分が、中々イメージどおり動かなくてイライラ。しかし、写真の様な自立は全く問題なくこなせる。

ダメージ版のパーツに変更。胸と頭の部分を取り替える。肩のミサイルランチャーは肩を開閉してセッティングする。
「メガネ、メガネ...」とよたよた歩き回るイメージでポーズを付けてみた。
マスク部分を外すと、なにやら不服そうなロバート・ダウニーJrが現れる。


ロバートダウニーJrにコマネチをやってもらった。「コマネチっ!」「コマネチ!」.

2010年4月11日日曜日

第9地区 /NARIZO映画レビュー

28年前、正体不明の巨大宇宙船が突如、南アフリカ共和国に飛来。
宇宙船に乗っていたのは不衛生で弱り果てたエイリアンの難民だった。
彼らはヨハネスブルグにある第9地区の難民キャンプに隔離されたが、言葉も通じず、野蛮で不潔なエイリアンたちと一般市民との対立は激化する一方だった。
エイリアンの管理事業の委託を受けた軍需企業マルチ・ナショナル・ユナイテッド社(MNU)は彼らの強制移住を決定。ヴィカス・ヴァン・ダー・マーウィ(シャルト・コプリー)を現場責任者に指名する。
しかし、第9地区内の小屋を調査している際に、ヴィカスは謎のウィルスに感染。変容を遂げて行く彼の身体に、高い価値を見出したMNUは、ヴィガスを人体実験にかけるために追跡する。


 SF映画でありながら、今年のアカデミー賞は「アバター」が美味しいところをさらった。そのイマジネーションに溢れた世界観と、3Dで眼前に広がった異世界の映像に世界中の観客は圧倒され、賞賛の拍手をおくった。作品の内容には、他人の生活に土足で踏み込み、争い続けて来た人類の歴史を彷彿とさせるところがあって、風刺的な要素が含まれてはいた。しかし、「第9地区」と比較すると「アバター」は甘い印象のSFファンタジーにしか見えてこない。

 つまり、今、作品として俺が是非見て欲しいと他人に薦めたいSFは、作品賞にノミネートされながら、賞に届かなかったこの「第9地区」の方だ。
3DやVFXの技術進化の到達点として、「アバター」は今後も語り継がれるかもしれないが、この「第9地区」は、痛烈な社会風刺をSF映画の形を借りてエンタテインメントにする事に成功した作品として、その衝撃的な内容が、長く語り継がれる事になると思う。

監督は南アフリカ出身のニール・ブロンカンプ。
長く人種隔離政策が続いていたこの国の出身監督が、描くドラマは、まるでアパルトヘイトの再来のようだ。
世界に溢れる難民問題や、そこから生じる、摩擦、犯罪の数々、そして時として流血の惨事に発展する衝突。こういった、今、ニュースで目にする、デリケートな様々な問題を「エイリアン」が難民として飛来する話に置き換えて、この作品は問題提起している。

手持ちカメラを多用した、ドキュメンタリータッチの映像は、SF映画であるコトを忘れそうなリアリティを持っている。作品冒頭で、エイリアンについてのインタビューに答えているのは、実際のヨハネスブルクの住民達。彼らに難民や、不法入国者(エイリアン)について語らせた映像をそのまま挿入して、飛来したエイリアンたちについてのインタビューシーンを作ってしまうなど、風刺や皮肉を利かせながらもリアルにテーマを追求した強烈な演出が全編で炸裂。3D映画の様に飛び出しはしないが、画面に釘付けになる緊迫感に溢れている。

 中盤以降は、何か得体の知れないものに感染するというアクシデントにより、追うものから追われるものとなった主人公を通じて、汚くて野蛮だが正直な「異星人」よりも、醜悪な存在としての「人間」が描かれる。
失った全てを元通りに取り戻すため、つまりあくまで自分のために、決心をして困難に立ち向かうヴィガスが、やがてエイリアンとココロを通わせていく。

この映画には、全てを綺麗に解決させてくれるようなハッピーエンドは無い。
これは「ファンタジー」よりも「現実」に近い21世紀版の「E.T」であり、「未知との遭遇」なのだ。

2010年3月22日月曜日

マイレージ、マイライフ/NARIZO映画レビュー

 年間322日、出張して誰かにリストラを宣告するのがシゴトのライアン・ビンガム(ジョージ・クルーニー)。モットーは、“バックパックに入らない人生の荷物はいっさい背負わない”。あらゆる面倒を背負わず自由に生きてきた彼の目標は、マイレージ1000万マイルの達成。
そんな彼に会社は、出張を廃止し、テレビ電話でリストラを告げる改革案を提案した新入社員のナタリー(アナ・ケンドリック)の教育係を任命。二人の出張が始まった。


 小粋で笑えるが、ほろ苦くて考えさせられるオトナ映画。残念ながらアカデミー賞は逃してしまったけど、「リストラ宣告人」を主人公に、誰かの人生を変えてしまう面接をフェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションで繰り返してきたプロフェッショナルと、マニュアル通り、テレビ電話越しにそれをこなして、出張経費を節減しようと提案する優秀な現代っ子の二人を「出張」させる展開は、時代を捉えている。

ナタリーは目の前でリストラを告げられ、動揺し、激高し、または激しく落ち込む人々の姿を目の当たりにして、衝撃を受け、挙句、皮肉にも恋人からメール一つで別れを告げられてしまう。
ITの力でコミュニケーションは効率化し、様々なメリットを世界にもたらした一方、あえて直接会って話しをすることの「意味」、「価値」は、より大きくなっている。そもそも、人間社会の中で効率化してはいけないコミュニケーションがある事が、説教臭くないカタチで語られる。

ブライアンのエピソードでは、価値観が似ていて、出張で全国を飛び回っているアレックス(ヴェラ・ファミーガ)に、セックスフレンド以上の感情を持ち始めていく様が描かれる。ひとりは自由で気楽、しかし、いつまでも、それで良いのか...という、これまたリアルな葛藤の芽生えは、30過ぎで悠々自適に独身生活を送るビジネスマンのひとりとして、中々イタいところを衝かれた気分で、複雑に共感してしまった(笑)。

主役が、それは駄目だろって要素も含め、可愛げな雰囲気で中年独身を演じられるジョージ・クルーニだったから、余計に良かったというのはあると思うけど、ほろ苦くて、チョット痛い、「よい年」のオトナたちが織り成すドラマは、日頃、考えてそうでそんなに真剣に向き合っていない(向き合わないようにしている?)生き方や価値観について、改めてどう思う?と、問いかけてくる。

監督・脚本は、俺の大好きな「サンキュー・スモーキング」や「ジュノ」など、ユーモアの中で風刺の効いたドラマを作るのには定評があるジェイソン・ライトマン。だから絶対面白いだろうなぁ..という期待はあったんだけど、期待通り。いま、激しくオススメの1本。



2010年3月14日日曜日

シャーロック・ホームズ/NARIZO映画レビュー

貴族でありながら秘密結社を結成し、魔術で世界を操ろうと企むブラックウッド卿(マーク・ストロング)は、絞首刑の後も、墓場から復活し、逆らうものを黒魔術で死に至らしめ、ロンドンを恐怖に陥れていた。
名探偵シャーロック・ホームズ(ロバート・ダウニー・Jr)と、相棒のジョン・ワトソン(ジュード・ロウ)は、ブラックウッドの秘密を暴き、野望を食い止めるために彼を追う。


 推理小説の名作「シャーロック・ホームズ」のキャラクターを借りて、ガイ・リッチー監督がアクションエンタテインメントとして再構築。ここに描かれているのは全く新しい「シャーロック・ホームズ」だ。
ガイ・リッチー版のホームズは、不潔で、駄目なオヤジだが、原作同様、武術の達人。原作にあるような沈着冷静素敵紳士ぶりは皆無だが、ロバート・ダウニー・Jrって、やっぱオモシレぇよね。ってキャラクターになっている。ホームズというより、ハッキリ言って、どこまでも、ロバート・ダウニー・Jr。

そんな彼を放っておけない常識人ワトソンをこれまた魅力いっぱいにジュード・ロウが演じ、これに絡んでくる「ルパン三世」だったら不二子ちゃんみたいなアイリーン(レイチェル・マクアダムス)や、悪のカリスマ、ブラックウッド卿(マーク・ストロング)など、周囲のキャラも中々面白くて、ストーリーそのものよりも、キャラクター設定とキャスティング勝ちで、楽しいエンタテインメント作品になっている。

ホームズといえば宿敵はモリアーティ教授だが、今回は彼の影のみ登場。
しっかり、次回作に繋げる気、満々で終わるわけだが、本作は、キャラに頼りすぎてストーリーや謎解きは薄っぺら過ぎた気がする。
キャラのユニークさだけで引っ張るのが辛い次回作こそ、アクションとキャラクターに加えて、ストーリーや謎解きも、本格的に楽しめる作品を期待したい。

2010年3月8日月曜日

ハート・ロッカー/NARIZO映画レビュー

2004年夏、イラクのバグダッド郊外に駐留するアメリカ軍。爆発物処理班のチームリーダーとして赴任したウィリアム・ジェームズ二等軍曹(ジェレミー・レナー)は、まるで死を恐れないかのように無謀な判断を繰り返し、爆弾を解除する任務にあたっていた。彼を補佐するJ・T・サンボーン軍曹(アンソニー・マッキー)とオーウェン・エルドリッジ技術兵(ブライアン・ジェラディ)は、徐々にジェームズへの不安を募らせていく。ブラボー中隊の任務明けまで、あと38日……。果たして彼らは無事に生還できるのだろうか。

 監督のキャスリン・ビグローはジェイムス・キャメロンの元奥さん。
今年のアカデミー賞はキャメロンの「アバター」と、この「ハート・ロッカー」が賞レースで一騎打ちとなり、本作は、作品賞・監督賞など6部門を制す圧勝を収めた。
この結果が明らかになる前日に、俺はなんとか、この話題作を見る機会にありつく事が出来た。

偶然だろうか、賞を争った2作品には大きな共通点があった。
「アバター」が想像の産物である異世界を立体的に描き出した、新しい形の体験型SFファンタジー映画だとしたら、「ハート・ロッカー」もまた、現実に今も誰かが命を落としているイラクの戦場を生々しく描き出した体験型の作品だったのだ。
扱うテーマこそ大きく異なるものの、そこに身を置いているかのような感覚は、この2作品に共通する要素だ。
ただし、視覚的な画面の奥行きで、新しい映像体験をもたらし、史上最も成功した3D映画となった「アバター」に対して、この作品のそれは、死と隣り合わせの緊張感。兵士達の抱えるストレスを観客が共有するカタチで進行する。

この作品で描かれる戦場は、わかり易く敵同士が対峙して、撃ちあってくれる様な世界ではない。たいていそこに広がるのは、一見平穏そうに見える風景で、突如として群衆の中の誰かが発砲したり、足元のゴミ袋が爆発するかもしれないという、一瞬足りと気の抜けない場所に、観客は冒頭から叩き込まれるのだ。

主人公の兵士達は、そこに身を置き、任務として連日、殺傷兵器の爆発解除にあけくれている。
冷静な精神状態を保てという方が無理だろう。気の狂いそうに張り詰め、病んだ世界が、この映画を支配している。
ジェレミー・レナーをはじめ、主要キャストに誰一人有名な役者を配していないところが、リアルさに磨きをかける。誰が死んでもおかしくない。そういう緊張感の持続は、キャスティングの時点から練られていたのかもしれない。
そして、ドキュメンタリー映像の様に、兵士達と一緒に動き回る手持ちカメラで撮影されたシーンの数々。


これは反戦映画なのだろうか。明確にどちらの立場に立つわけでも、誰かを殊更ヒロイックに描いたり、アメリカNo1と、阿呆みたいに叫んだり、説教するわけでもなく、ただただ淡々と、妙に突き放したタッチで、緊張感たっぷりに、しかし誰に感情移入できるでもなく.....これが2時間を越えて続くのだ。

終わって残るのは疲労感と、言いよう無い虚しさだった。



2010年2月28日日曜日

Six cafe Octobre 中延の隠れ家Cafe

朝からの冷たい雨が上がって、日差しが降り注いできた日曜の午後。
地元、品川区 中延の駅前アーケードの中に昨年10月にオープンした隠れ家カフェ「Six Cafe Octobre」へ。



中延アーケード街「スキップロード」の中程。額縁屋の脇にある、油断すると見落としてしまいそうな路地。このアーケードの雑踏とはまるでテンションの違う、洒落た路の先がカフェの入り口だ。
通路にはいろんな写真が額縁に飾られている。

路の行き止まりで階段を昇れというコルクボードの貼り紙。ここで靴を脱ぎ、スリッパに履き替えて二階へ。そう。このカフェは額縁やさんが自宅の一画を改造して造った「おうちカフェ」。まさに隠れ家だ。


うあっ、なんともお洒落で気持ちの良い空間が、そこには開けていた。
特に陽光降り注ぐ窓際席は心地よく、ちょっとした天国。

牛肉のワイン煮500円。ビール(ナッツ付)600円、200円でパンを付けてみた。




いつまでも居られそうな、気持ちの良い空間。

営業時間

[日・月・木]
11:30~20:30
[金・土]
11:30~23:30  火曜日、水曜日定休

詳細ページ