2011年12月31日土曜日

宇宙人ポール/イカれた地球人とイカした宇宙人による、SF友情ロードコメディ

コミコン帰りのオタクイギリス人。
SF作家クライヴ(ニック・フロスト)とイラストレーターのグレアム(サイモン・ペッグ)は、アメリカ西部のUFOスポット巡りの最中、自動車事故に遭遇。
軍の施設から逃亡してきたという、英語ペラペラの宇宙人ポールから、ヒッチイクされる。
彼を故郷へ帰すんだ!イカれた地球人とイカした宇宙人による、SF友情ロードコメディ。


2011年を締めくくる1本として、肩の凝らない、ご機嫌馬鹿映画を選んでみました。
伝統的なビジュアルのエイリアンが、想像を超える口の悪さとナイスキャラぶりで、地球人の俳優二人以上に大活躍。ありとあらゆるSF映画をパロディにしつつも、元ネタをまったく知らない観客でも充分笑えます。

この作品は、「ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!」などブラックでシニカルな笑いに定評のある、サイモン・ペッグとニック・フロストが主演と脚本を務めた、びっくりするくらい何も残らない馬鹿映画。
でも、最後にはとても愛おしくなってしまう程にポールが魅力的なので、 女子受けも間違いなし(笑)。
見終えたら、少しだけ幸せなキモチになれちゃいます。


あと、殆ど出オチのシガニー・ウィーヴァーね。
意外と豪華です。


2011年12月25日日曜日

ワイルド7/70年代のバイカーファッションがスゲェ違和感

毒をもって毒を制す。
凶悪犯罪者を抹殺するために飛葉大陸(瑛太)ら選りすぐられた犯罪者たち7人で構成された、超法規的警察組織“ワイルド7”の活躍を描く。70年代に生まれた望月三起也の漫画を映画化。


 飛葉大陸(瑛太)、セカイ(椎名桔平)、パイロウ(丸山隆平)、ソックス(阿部力)、オヤブン(宇梶剛士)、ヘボピー(平山祐介)、B・B・Q(松本実)。彼らの指揮官、草波警視正に(中井貴一)と、偉くバラエティに富んだ配役で、「海猿」シリーズの羽住英一郎監督が、70年代の人気漫画「ワイルド7」を舞台を現代に移して映画化。

初めてこの作品の存在を知ったのは、仕事で出入りしている日テレさんの廊下に貼られた、ポスター。
後述するけど、このポスターから匂い立つ芳ばしい馬鹿映画の薫りに誘われて劇場へ行ってきました。
しかも、これ、シネコンを意識した邦画製作事業をコツコツやって日テレと組むことが多いワーナー配給なのね。(最近だと「デス・ノート」もこの座組だったよね)

最初に言っておくと、この作品を楽しめるかどうかは、現代を舞台にしているのに原作を引き摺って70年代を彷彿とさせる「ワイルド7」達のバイカーファッションや、なんとなくチグハグな配役に覚える違和感を笑ってやり過ごせるかどうかに懸かっている(笑)。
40年以上前のバイオレンス漫画を映画化するという時点で、ある程度の無理は想像つくわけだけど、ワーナーが本国で製作している「バットマン」みたいに、古い原作を現代に蘇らせるにあたって、キャラクターやビジュアルを今風に一新して、再生させる方法論もあったはず。
しかし、キービジュアルにもなっている瑛太の革ジャンに赤いスカーフという出で立ちのサマにならなさに代表されるように、この映画は見ているこっが気恥ずかしくなってしまうカワイイ・イケてなさに溢れている。でも、嫌いじゃないよ。愛すべき馬鹿映画なんだ。

アクションに関しては、現代版「西部警察」(これも古いね。古いけど、ホント、そんな感じ。)みたいだった。ロケ地の北九州市が色々協力して、市街地や道路を使ったライヴのモーターアクションを荒唐無稽に繰り広げ、撃ちまくる。
洋画なら市街地の激しいアクションシーンなんて珍しくも無いわけだけど、都内だったら絶対無理なシーンがかなり出てきて、映画に協力的なんだな北九州市は...と、本編と関係ないところで妙に感心させられた。

まぁ、やはり致命的なのは、ただでさえ線の細い主演の瑛太がナイーヴに見え過ぎるコトと、バイクがまるで似合わないコトなんじゃなかろうか。ファッション含めて。
一応、ヒロイン的に深田恭子も出てきて、(でも、やっぱりバイクとかバイカーファッションは似合ってない)続編作る気満々のラストへ突っ走っていくわけだけど、ゴメン。続きが商業的に成立する気が全然しない。
個人的には記者役の本仮屋ユイカの方が全然良かったんで、彼女はもう少し見たかったんだけどね(笑)。


2011年12月18日日曜日

突っ込みどころ満載/ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル

核戦争による世界の再生を信じるテロリストの手掛かりを追って、ロシアのクレムリンに潜入したイーサン・ハント(トム・クルーズ)とそのチーム。しかし、直後にクレムリンは爆破された。
ロシア側はこの攻撃をアメリカのスパイ組織によるものと断定。イーサンの所属するIMFは解体され、ロシアで長官も暗殺されてしまう。
国と組織の後ろ盾を失い、容疑を掛けられたイーサンは逃亡。黒幕を追い詰め、核テロを未然に防ぐことは出来るのか!

冷戦崩壊後のスパイシリーズとして、すっかりお馴染みになったミッション:インポッシブルの最新作。
毎度、気鋭の監督が起用されるこのシリーズの今回の監督は、「アイアンジャイアント」とか「Mr.インクレディブル」「レミーのおいしいレストラン」など、ファミリー系のアニメばかり撮ってきたブラッド・バードってコトで、どんなになるのかまるで予測がつかなかったが、予告編の時点でクレムリンが爆発しているど派手映像を見て、これは見るしかないなとニヤニヤしてしまった俺。
中身は、突っ込みどころ満載ながらも楽しめる一級のアクション映画に仕上がっている。

正直なところストーリーの起伏や、気の抜けない展開、どんでん返しの面白さ等、どっと疲れるテンションで一気に走り抜けたJ・J・エイブラムス監督の前作「M:i-3」には遠く及ばない気がしたが、ドバイにある高さ世界一の超高層ビル、ブルジュ・ハリファでのスタントとか、砂嵐の中でのアクション、立体駐車場での乱闘シーンなど視覚的な面白さは、流石、このシリーズ。全く飽きさせない。

トム様が走り、トム様が跳び、トム様が撃つ、トム・クルーズ全開のノリからも完全に決別していて、前作同様チームワークで窮地を潜り抜けていく展開も、気に入っているところ。
孤立無援の追い込まれ感を然程、感じないヌルさは何とかして欲しいが、前作が面白かっただけに、脚本のしょうもなさが、ちと気になる。
それでも、このシーズンでスカッとしたアクションを見たければ、やはり外せない作品なんじゃないだろうか。
俺は、これを見て前作「M:i-3」のDVDを棚から掘り返してもう一度見返してみたくなった。
やっぱ、前作は凄まじかったね。

2011年12月11日日曜日

リアル・スティール/ロボットもいいけどキャストが最高

人間の戦うボクシングの時代は終わり、高性能のロボットたちが死闘を繰り広げる“ロボット格闘技”が盛んに行われている2020年。
生きる場所を失ったプロボクサー崩れのチャーリー・ケントン(ヒュー・ジャックマン)は、ロボット格闘技のプロモーターとして業界に何とかしがみ付いているものの連戦連敗でロボットは屑鉄状態。資金は尽き、どん底のすさんだ生活を送っている。
そんな折、赤ん坊の時に別れたきりの息子マックス(ダコタ・ゴヨ)が最愛の母を亡くして目の前に現れる。
最悪の親子関係の始まり。しかし、旧式ロボット「Atom」をゴミ集積場で掘り起こしたことを切っ掛けに、チャーリーは、親子の絆とすさんだ生活から決別して戦う勇気を徐々に取り戻していく。


糞野郎が、実の息子と再会し絆を取り戻す不恰好な「家族愛」の映画であり、スポ根要素も入ったアクション映画であり、何といってもロボット映画。
監督は「ナイトミュージアム」のショーン・レヴィという事で、色んな要素を欲張って入れた割に、馬鹿がつくほど単純明快で気持ちいいテンポに仕上げてくるのはお手のもの。
子供からオトナまで見る人を選ばずに楽しませてくれる正月映画にピッタリのエンタテインメントだ。

当然だけどロボットのアクションシーンは、本当にそこにそれが居て戦っている様に見える。CG技術と役者の演技は、違和感を感じさせることは無いし、ロボット同士の格闘技は試合形式で進行するから、はるかに「トランスフォーマー」なんかよりも見ていて解りやすく、感情移入できる。
言ってしまえば極めてアニメ的なロボット格闘技を実写で見せて、容易に予測可能な親子のドラマで構成した映画。これが安い印象で終わらなかった最大の功績は、素晴らしいキャスト陣の演技にありそうだ。
とんでもない糞野郎でも、愛すべきキャラクターに変えてしまうヒュー・ジャックマンの魅力は光っているし、子役のダコタ・ゴヨもいちいち可愛くてしかも、演技派。
決して派手ではないけど、母性を感じさせるヒロインのエヴァンジェリン・リリーも素敵だ。
そして、別に喋るわけじゃないし、プログラム通りに動く設定でしかないにも関わらず、あたかも感情があるかのようにロボット「Atom」を描く演出も良かった。

とにかく試合シーンは、テション上がるので、難しいコト言わずに、子供に戻って楽しもう。


2011年12月3日土曜日

タンタンの冒険 ユニコーン号の秘密/まだ、終わって無かったよ、スピルバーグは!

少年タンタンが購入した古い帆船の模型。その模型は、17世紀に海上で財宝とともに忽然と消えたといわれる伝説の“ユニコーン号”だった。
模型のマストに隠されていたのは、暗号が記された羊皮紙の巻物。だがその直後から、彼は正体不明の男たちに狙われることに。


全世界80か国語で翻訳され、2億部以上もの売り上げを記録するベルギー生まれの人気コミックとか、そういう商業的売り文句が踊ってはいても、そもそもこのキャラクターのことは、たいして知らなかった。
それだけに正直なところ、俺は全く期待していなかった(笑)。

超話題作でなければ、先ず見ることは無かった気がするけど、それだけに今回は言っておきたい。
騙されたと思って、3Dでこれは、絶対見るべき作品だ。
と言うのも、俺の中でスティーヴン・スピルバーグ監督作品して10年ぶりくらいに、「面白い」と思えた作品だったから。
期待していなかっただけに、その喜びや驚きも大きいのかもしれないが、3Dアニメーションに表現の手法が変わってはいるものの、その展開やアクションシーン、演出は、懐かしの「レイダース」とか、「インディ・ジョーンズ」のシリーズを彷彿とさせるものがあってニヤニヤ出来るし、久しぶりに、躍動感のあるワクワクな冒険活劇を見せてくれる。

ライヴアクションで培われた、演出テクニックが持ち込まれたCG冒険活劇は、アニメであるが故の利点としてカメラアングルや舞台に制約を受けることが無く、その上、全部CGだから3Dの効果も発揮し易いわけで、新しいアニメーション映画の可能性をビンビン感じた。

ストーリーは、スピルバーグの冒険活劇らしく、お子様も安心して楽しめる無害なものになっていて、続編作る気満々で終わっている。
個人的には、この話の続きよりも別エピソードを見てみたいのだけど、兎に角、期待できる新しいシリーズがスピルバーグ監督作品として公開されたのは喜ばしい限り。
父ちゃん、まだ、終わって無かったよ、スピルバーグは。

俺の周囲も「えっ?タンタン?」って感じで、興味もなさそうだし、テンション全然上がってないけど、これ、子供に戻って楽しめる作品として、オススメ。

インモータルズ神々の戦い/ミッキー・ロークが全てをもっていった

古代ギリシア。
残忍な征服者ハイペリオン(ミッキー・ローク)はオリンポスの神が造った武器“エピロスの弓”を捜し求めギリシアの地を侵攻していく。彼の目的は、封印されていた闇の神「タイタン族」を解放すること。
ハイペリオンの野望を阻止すべく、オリンポスの神の頂点に立つゼウス(ルーク・エヴァンス)が選び出したのは、自らが鍛え上げた人間、テセウス(ヘンリー・カヴィル)だった。


ターセム・シン監督のダーク・ファンタジー。神と人間の距離が近かった古代ギリシャ時代を舞台に、子供(人間)の喧嘩に親(神)が出て(笑)収拾のつかない闘いが繰り広げられていく。
兎に角、派手なアクションシーンと劇画調の演出が目を惹く。
「ザ・セル」(この監督のデビュー作)の頃からずっとこの監督の作品で衣装を担当している石岡瑛子によるユニークなコスチュームの数々も、邪悪だったり、呪術的だったり、キンピカだったりで、作品の世界観に貢献している。
でも、俺にとって最大の見所になったのは、名作「スラムドッグ$ミリオネア」で運命の恋人ラティカを演じていたインド出身、美貌のエキゾチック女優フリーダ・ピントが巫女パイドラという重要な役で登場すること。これは見る前には知らなかっただけに、大収穫だった。3Dで見れば、彼女も画面から飛び出してくるわけで、もう、これだけでも個人的には満足(笑)。
あとは、やはりミッキー・ロークだろう。いかに神々の絶大な力がCGで派手に繰り広げられようと、ミッキー・ロークのイカレ狂人キャラクター振りの前には無力。
映画が終われば、ミッキー・ロークとフリーダ・ピント以外の出演者のコトを俺は何も思い出せないくらい。
あのオヤヂは他の出演者が哀れになるくらい、美味しいところをすべて持っていってしまった。
まさにこの作品は、悪役ミッキー・ローク色なので、イカレオヤヂのファンは、絶対劇場で見るべきだ。

痛そうなシーンが多く、爽快さとは無縁。スタイリッシュで、残酷でマッチョに古代の肉弾戦的な戦いが延々と描かれる。製作チームは「300」のメンバーらしいが、今回は神々まで出てきて「300」に輪を掛けたワルノリが繰り広げられているので、あの手の作品が嫌いなら、絶対にオススメできない。
一方、あのノリが好きだったら、終わっちゃう前に出来れば3Dで是非、見てみていただきたい。(笑)


2011年11月17日木曜日

スポ根ではない! これは経営の映画/マネーボール

メジャーリーグの貧乏球団アスレチックス。プロ野球選手から球団のGMに転身したビリー・ビーン(ブラッド・ピット)は、データ分析が得意なピーター・ブランド(ジョナ・ヒル)と出会い、データを基に“低予算で強いチームを作り上げる”という挑戦を開始。
経験と勘がまかり通ってきた古株のスカウトマンや、アート・ハウ監督(フィリップ・シーモア・ホフマン)らの激しい反発に会いながらも徹底したデータによるチーム改造を行った結果、各球団から低評価の選手ばかりを安くトレードさせて構成したチームは、奇跡の快進撃を始める。


 寄せ集めメンバーの弱小チームが奇跡の快進撃という、スポ根映画は過去に幾らでもあった。しかし、この作品は選手たちの葛藤や成長を描くことは無く、華やかさや、興奮のスポーツエンタテインメントという切り口で大リーグを映画化した作品ではない。

選手たちやチームで采配を振る監督ではなく、勝つためのチームを経営し、チームの人事を握るゼネラルマネージャーが主人公。試合のシーンよりもオフィスのシーンが劇中の殆どを占める。
電話を掛け捲り、商品のように安値でお買い得な選手を買い叩き、これまでの主力選手を高値で放出する。
冷徹なビジネスとして大リーグのチーム経営が描かれ、自分の信念を掛け、激情をぶつける経営者を描いた地味なドラマが繰り広げられる。
派手なシーンは無い。華もない。しかし、どのシーンも非常にエキサイティング。
チームの快進撃を現場ではなくラジオで聞き、あるいはモニターで眺めるだけのゼネラルマネージャーの姿ばかりで試合シーンが構成されているのに、彼にいつしか感情移入してしまった俺のテンションは、いつのまにかだだ上がっていた。

大リーグについて、殆ど何も知らない俺が、ここまで興奮したのだから、選手やチームについての知識が少しでもあったら、これは相当面白いに違いない。なにせ実話である。

最後にキャスティングについて。あまりにも地味な題材だから、主役にブラッド・ピットをもってきたんだと思うけど、これは勿論当たり。
しかし、それ以上に太っちょのデータマンで、GMの片腕として活躍するピーターを演じたジョナ・ヒルが光っていた。
彼は元々コメディアンだということを調べて知ったのだが、彼のこの作品に果たした役割は凄く大きかったと思う。

見応えのある、硬派なドラマ。
オススメ。

2011年11月5日土曜日

ミッション:8ミニッツ/イマジネーションにあふれた脚本と演出に拍手

アフガニスタンで戦闘ヘリを操縦していたはずのコルター・スティーヴンス大尉(ジェイク・ギレンホール)は列車の座席で目覚める。目の前の女性(ミシェル・モナハン)が、親しげに話しかけてくるが、コルターには自分がなぜここにいて、彼女が誰なのかわからなかった。
鏡を覗きこんだ彼の眼に映ったのは、見知らぬ別人の顔。身分証明書には、“ショーン・フェントレス:教師”と記されていた。
やがて、車内で大爆発が発生。
意識を取り戻したのは薄暗い密室。モニターに軍服姿の女性、グッドウィン大尉(ヴェラ・ファーミガ)が映し出され、次第に彼が極秘実験に参加していることが明らかになる。
コルターの意識は今朝発生した列車爆破事件の犠牲者ショーンと繋がっていて死の直前8分間だけを繰り返し体験できるというのだ。
テロリストの次の犯行を未然に防ぐため、最期の8分間でコルターは犯人を探し出すことが出来るのか!!


タイムトラベルとは違う!!今までに見たことのないアイディアで観客はテロ直前の8分間を何度と無く体験する。全く新しいアプローチでパラレルワールドを描いたSF映画の秀作だ。
観客は、主人公同様何の説明も無くテロの現場へと放り出され、あてのないテロリスト犯探しを繰り返すことになる。やがて、驚愕の事実の発覚や、絶望。さらには恋心までが8分間の繰り返しの中で芽生えていく。

人間の精神はプログラムに勝ち、時として運命も変えられる...

多くをここで書くと、ネタばれしてしまいそうだが、この作品の展開はスピーディーで、ときとして強引、美しく、そしてほろ苦く、切ない。
賛否は分かれるかもしれないが、俺はこの作品、好きだった。
イマジネーションにあふれた脚本と演出に拍手。


2011年10月23日日曜日

ホント、タイトルそのまんま/カウボーイ&エイリアン

荒野で目を覚ました男(ダニエル・クレイグ)は、記憶を失っていた。片腕には、メカニカルな腕輪。
ダラーハイド(ハリソン・フォード)という男に支配された町に辿り着いた男は、自分がお尋ね者であったことを知る。身柄を拘束されたその晩、町は空から未知の敵によって攻撃され、多くの人が空へ吊り上げられて連れ去られた。そのとき、片腕の腕輪が突如として動き出し、空からの敵に反撃を繰り出した。
いったい、男は何処から来た何者なのか、そして未知の敵の正体は!!



記憶を失ったならず者と、彼からカネを強奪された町の支配者、そしてインディアン。反目するものどうしが強大な敵を前にして団結。戦いを繰り広げる。
グラフィックのベルを原案に、内容はタイトルそのまま。しょうも無いほどシンプルなアイディアだし、エイリアンは砂漠がよく似合う爬虫類系でデザイン的にも然程の魅力は無い。
でも、エイリアンが戦闘機から、ワイヤーみたいなもので人間を引っ掛けて捕獲していくという演出は、これまでに無いもので、西部劇っぽいね。(笑)

「007」ではジェイムズ・ボンドを演じているダニエル・クレイグが主演。台詞が無いシーンも佇まいだけで持ってしまうキャスティングにホント、救われている作品。そのうえ無駄に豪華にハリソン・フォードを脇役に配し、しょうもない企画をそうとばかり感じさせないレベルにまで押し上げたジョン・ファヴロー監督(代表作と言えば「アイアンマン」シリーズ)は、流石。

あんなにハイテクなのに、裸同然で動き回り、槍で突かれるエイリアンには突っ込みどころ満載で、ある意味、史上最弱の宇宙からの侵略者のような気がしないでもないが、そうでなければカウボーイやらインディアンがエイリアンと戦うなんてどだい無理な話。笑って許してあげよう。

ちょっと中だるみするところもあるし、宇宙船を爆破するくだりで、またこの手のパターンかと、思わせる展開になったりもするが、そんなのも全部まとめて愛すべき馬鹿映画だと思う。

ま、普通の人にとっては、深夜、退屈しのぎにたまたまつけたチャンネルで、ついつい最後まで見ちゃった程度の出会いが、この作品との付き合い方としては理想だと思うけどね(笑)。


2011年10月16日日曜日

やはり62年の名作「切腹」は凄かった/一命

太平の世が続く江戸時代。貧窮した浪人が大名屋敷に押し掛け、庭先で切腹させてほしいと願い出て、面倒を避けたい屋敷側から職や金銭を受け取ろうとする狂言切腹が流行していた。
ある日、名門・井伊家の門前に一人の侍が、切腹を願い出た。名は津雲半四郎(市川海老蔵)。
家老・斎藤勘解由(役所広司)は、数ヶ月前にも同じように訪ねてきた若浪人・千々岩求女(瑛太)の、狂言切腹の顛末を語り始め、半四郎を思い止まらせようとする。
求女は武士の命である刀を売り、竹光に変え、狂言切腹をしに井伊家を訪れたのだという。これ以上、厄介な浪人が押し掛けることを嫌った井伊家は見せしめとしてその竹光の脇差しで腹を切ることを命じ、その最期は壮絶なものとなった。
これを聞いた半四郎は、なおも動じることなく切腹したい旨を申し入れ、介錯人として3名の武士を指名する。しかし、指名された3人は奇怪なことに全員病欠であった。
それを聞いた半四郎は、静かに驚くべき真実を語り出すのだった……。


1962年小林正樹監督の傑作時代劇「切腹」は、武家社会の見栄、虚飾、矛盾と残酷性を描いた人間ドラマの大傑作で、今見ても鮮烈なインパクトは色褪せない。

同じ「異聞浪人記」を原作にして監督・三池崇史、音楽・坂本龍一、主演・市川海老蔵の3D映画でこれをリメイクすると聞けば、興味津々。

四季の移ろい、蝋燭の薄明かりに浮かび上がる屋敷の光景3D撮影されたシーンは美しく、坂本龍一の音楽も陰惨な物語を物哀しく彩る。

少し頬がこけ、眼光鋭い市川海老蔵の迫力もなかなかのものなのだが、現代の最新技術を集めて作ったこの作品を見てしまうと、尚更、62年の「切腹」で半四郎を演じた仲代達矢の得体の知れない凄みと鬼気迫る演技、家老を演じた三国連太郎とのやり取りや、丹波哲郎ら当時の役者陣の熱演。
殺陣のシーンの迫力。陰影深く想像を掻き立てられるモノクロの世界で語られたドラマの高い完成度を再認識させられる結果になった。実際、「一命」は「切腹」を超えるべく、相当、旧作を研究したのではないだろうか。

武家社会のルールや美徳とされてきた概念が、いかに暴虐極まりない上辺だけを取り繕った、見せかけのものにすぎないかをテーマにしたこの作品には、その実、時代を超越した普遍的なテーマが隠されている。
権力が重んじてきた体面や体裁は、大きな危機に瀕したとき、もろくもその実態が露呈する。
それはそのまま、今、日本で進行している事態にも重なって映るように感じられるのだ。


変態的タイツ姿の古典ヒーローをマーベルがリデザイン!!/ キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー

古典愛国心と正義感にあふれてはいるものの病弱なため兵士として不適格とされたスティーブ(クリス・エヴァンズ)は、軍の極秘計画でパワー、スピード、身長等あらゆる身体能力を高められ、別人のような姿に生まれ変わった。
しかし、星条旗デザインのタイツ姿の軍公式マスコット“キャプテン・アメリカ”に仕立てられた彼は不遇の生活を送ることに。
一方、ナチス化学部門ヒドラ党のレッド・スカル(ヒューゴ・ウィーヴィング)は、ヒトラーをも裏切り世界制服を目論んでいた。親友の部隊がレッドスカルの捕虜になったことを知ったスティーブは、無断で仲間の救出に向かう


マーベル・コミックを代表し、最初のアメコミヒーローとも言われる(と、言っても普通の日本人は殆ど知らない気がするけどネ)キャプテン・アメリカの実写映画。
貧弱な体格の主人公が、身体能力を高められて超人に...とは言ってもあくまで生身の人間。空を飛んだり鋼の肉体が銃弾を跳ね返すようなことも無い。ようやく、生まれ変わった身体で自分を認めてもらえるかと思いきや、タイツを着せられて客寄せパンダのような扱いを受けて失意に沈むとか...そういう展開は、なかなかに人間臭くて、俺好みだった。
そんな客寄せタイツ野郎が親友の危機に、実戦経験も無いのに独り敵地に乗り込むなんて展開に、全くリアリティなんてものは無いのだが、序盤の主人公の情けない扱われ方に、そろそろ痺れを切らしてきた観客の心理としては、その反動で大盛り上がりである。(笑)
メカも兵器も、デザインこそクラシカルだが、性能は現代兵器以上じゃないかとか、そういう突っ込みはこの際、置いておこう。
序盤からマーベルヒーローがジャンプ祭り張りに作品を超えて大集結する映画「アベンジャーズ」への繋がりを意識した作りになっていて、キャプテン・アメリカに兵器を提供する企業も、「アイアンマン」のスターク社だったり、トニー・スタークの父ハワード・スターク(ドミニク・クーパー)が大活躍するのも、楽しい。

この手の作品は敵キャラのインパクトやカリスマ性の有無で、成否が決まると思うのだが、レッド・スカルを演じるのは「マトリックス」シリーズで敵役エージェント・スミスとして増殖しまくってたヒューゴ・ウィーヴィング。邪悪かつ陰険度合いで考えて不足なしの布陣だが、なぜか迫力の形相ながら少しばかり間抜けで、まるで東映戦隊ものを見ているようなキモチになってくる。
それから監督が、ジョー•ジョンストンだけに、レッドスカルが世界征服を果すために利用しようとするパワーを秘めた伝説のキューブは、まるで「レイダース」の聖櫃(アーク)みたいで、ニヤニヤ出来る。

原作漫画の変態的なタイツ姿を現代のセンスで、レザー製のミリタリーウェアに変換したコスチュームデザインも、アイディアとして非常にイケてたのではなかろうか。

で、ここんところのマーベル映画は、揃って「アベンジャーズ」への布石を最後の最後でもしっかり入れてくるわけだが、ここまで来ると、あらゆるヒーローを勢揃いさせた馬鹿映画に違いないと知りつつも、見たくなってくるね。
「アベンジャーズ」を。


2011年10月9日日曜日

CGI技術の進化のひとつの到達点/猿の惑星 創世記

SF史上に輝く名作『猿の惑星』の序章とも言える作品。
なぜ、猿はヒトを支配し、高度な知能を有するようになったのか。その謎の一端が描かれる。


この作品の主人公は猿というか、類人猿のシーザー。
研究中のアルツハイマー特効薬の効果で、知能レベルが極めて高いものに進化する。
ところで、シーザーはじめ、この作品に出てくる猿はことごとくCG。「アバター」の様に想像の世界の生き物ではなく、みんなが知っている「猿」たちを表情豊かに、長篇の主役がはれるほどのクオリティでCG化して、見事に人間の役者と競演させている。
ある意味、CGI技術の進化のひとつの到達点みたいな作品になっている。

ストーリーはと言えば、もう、この予告編が全てのような内容なので、驚きも無ければ、落胆するほどのコトも無かったが、このクオリティで再構成された現代の「猿の惑星」シリーズを見てみたい!!
続きが早く見たい!!と思わせるだけの内容にはなっていたと思う。

しかし、CGIとは言え、モーションキャプチャで猿の動きに演技を付けた役者さんたち、凄いなぁ、その形態模写っぷり。



無性に、ほっこりと日向ぼっこがしたくなった/ツレがうつになりまして。

高崎晴子(宮崎あおい)の家族は、夫・幹男(堺雅人)、そしてイグアナのイグ。幹男は仕事をバリバリこなし、毎朝お弁当まで作る超几帳面なサラリーマン。
そんな幹男がある朝、真顔で「死にたい」と呟く。病院での診断結果は、仕事の激務とストレスを原因とした、うつ病(心因性うつ病)。
幹男の変化に気付かなかった晴子は、幹男に謝りながら、「会社を辞めないなら離婚する」と告げる。


これ、正直なところ宮崎あおいが主演してなかったら見ることは無かったであろう作品。

だって、暗くなりそうだし...と題材だけでイメージすると考えてしまいそうなんだけど、凄く可愛い(宮崎あおいがね。)予告編を見て、俄然、見たくなった次第。
完全に、宣伝の思惑通りにチケットを買ってしまった。

しかし、スクリーンの前に身を置くことになった理由がどうであれ、うつ病に対する世間の過剰にネガティヴなイメージにこの作品は、一石を投じる力を持っている。
欝であることを認め、情けないキモチや何も出来ないもどかしさも、笑いに変えて夫婦としての成長を遂げる「ほのぼの」ドラマは、家族や結婚の理想のカタチを見せてくれた。
ずっと自分を支えてくれた幹夫のピンチに、家計を支え幹夫を支えようと一年発起する春子の姿が、可愛くも逞しい。

頑張り過ぎない。...良いコトバだ。
それから映画を見て、無性に、ほっこりと日向ぼっこがしたくなった。



女優陣を捉えるカメラワークは、まんまオトコの視線の動きを踏襲(爆)/映画「モテキ」

金なし夢なし彼女なし。31歳の藤本幸世(森山未來)は、キュートな雑誌編集者・みゆき(長澤まさみ)、清楚で素朴な年上OLるみ子(麻生久美子)、ガールズバーの美人店員・愛(仲里依紗)、Sキャラ先輩社員・素子(真木よう子)の中で翻弄される。

草食系男子が様々なタイプの女性の間で揺れ動くという題材で、比較的最近の曲から30代の観客が聴いて育ったような懐かしの曲をサウンドトラックに入れて心象風景をJ-POPに載せて見せ、サブカルチャーに彩られ、タイアップだらけ、嵐のようなプロダクトプレイスメントによるマーケティングの薫りを漂わせつつも、この作品は、それだけで終わらない。情けなくて痛くて面白い恋愛エンタテインメント映画だ。

テレビ版で話題になったPerfumeの「Baby cruising Love」を使用した長回しのダンスに始まり、カラオケのシーンまでもをミュージカル的に演出してみせたり、Youtube+Web調のデザインでエンドロールを作ってみたり。単に流行のエッセンスを追いかけただけのスカスカな印象に堕ちないように、そこかしこにアイディアを盛り込んでコミックを原案としながらも映画としての「オリジナル」を追求。

それから、カメラワークが良い。
女優陣を捉えるカメラワークは、まんまオトコの視線の動きを踏襲している(爆)。
あんなに願望や欲求に素直なカメラワーク。笑ったわ。


ポップさと、映画だから可能となったシモネタ表現も含めて、これこそ漫画原作、テレビドラマ発映画企画の王道なんじゃネ?とか、思わず小躍りして勘違いしちゃいそうなパワフルさにあふれている。

キャスティングも素晴らしい。ヒジョーにイケてた。
キャスティングの妙で、かなりこの作品の魅力度は上がっていると思う。

森山未來は顔立ちは綺麗だけど、相変わらずちゃんと、イケてない感が全開で演じているし、女優陣がそれぞれ持ち味を発揮して、全員魅力的。

長澤まさみは、この作品、代表作のひとつになるんじゃないかなぁ。
オトナ代表としてはリリー・フランキーの演じる人でなしな編集長も、スゲェいい味だしね。

ひとつ不満を言うならば、俺としては、仲里依紗の出番がもっと欲しかった。いや、単純にもっと見たかっただけだけど。(笑)

最期に、あれは「モテキ」って言う状況なのか?
いや、根本的な話で申し訳ないけど(笑)。




2011年9月29日木曜日

まだまだ終わらせるつもりナシ?/ワイルド・スピード MEGA MAX

前科者のドミニク(ヴィン・ディーゼル)と、彼を脱獄させた元FBI捜査官ブライアン(ポール・ウォーカー)。
指名手配され追われる身となった彼らは、ブラジルの裏社会に身を隠していた。
やがて二人は、逃亡生活から抜け出し、永遠の自由を得るために、裏社会を牛耳る黒幕から1億ドルを奪う計画を立てて動き始める。


危険なカースタントシーンがウリのこの作品も、いつの間にやらシリーズ4作目。
相変わらず滅茶苦茶なストーリーとど派手なカーアクションの連続で、ストレス解消にピッタリの作品になっている。
今回は、1億ドル強奪がメインのストーリー。それを実現するために集まった懐かしの顔ぶれや、「永遠の自由」を得るための最後の仕事なんて台詞が飛び出ることもあって、シリーズ最後の作品か!!なんて宣伝も行われているようだったが、いやいや。
詳しくは書かないものの、製作陣はこのシリーズでまだまだ儲けたいようだ。

とにかく、この作品の見所はしょうもないストーリーではなく、カーアクションの数々。
CGも多用しながらではあるけれど、悪乗りとしか言いようが無い、滅茶苦茶なアクションの数々で、おびただしいパトカーを横転させ、街の建物をなぎ倒す。
こんな作品こそ、3D向きかもしれないな、なんて思ったけど、これ3D映画ではありません。
久々にヴィン・ディーゼルの姿を拝んで、何も考えずにスカッとしたいなら、オススメです。




昔の映画の薫りがする洒落っ気の効いた、サスペンス/ミケランジェロの暗号

ユダヤ人画商のカウフマン家は、失われたミケランジェロの絵を密かに所有していた。
ある日、一家の長男ヴィクトル(モーリッツ・ブライブトロイ)は、親友ルディ(ゲオルク・フリードリヒ)に絵の在りかを教えてしまう。
しかし、ナチスに傾斜していたルディは、軍で昇進するためにそれを密告、イタリアとの同盟維持の材料にムッソリーニに絵を贈ろうと画策したナチスにより、一家は絵を奪われ収容所へと送られる。
しかし、それはこの日を予期していた父が描かせた贋作だった。
息子に謎のメッセージを残して収容所でこの世を去った父。
本物を探すナチスに対し、ヴィクトルは絵の在りかも分からぬまま、母の命を救うための危険な駆け引きに出る。


ユダヤ人画商の一家が主人公だが、この作品は陰惨なホロコーストを描いたこれまで多くの映画とは異なる視点で、新しい形のコンゲーム(confidence gameの略で相手を信用させて詐欺をはたらく)として大いに楽しませてくれる。
冒頭の輸送機の墜落シーンから、時間が巻き戻されて語られるストーリーはまさに二転三転。
輸送機の墜落を利用して主人公のヴィクトルがナチス将校に成り代わる展開などは、まさしく「映画」の痛快さ。ルディはじめナチス側のキャラクター達も、ちょっと抜けていて憎めない。
父親の残した謎のメッセージは、観客にもおおよそ察しが付く様なもののため、ラストの展開は色んな意味で読めてしまう。
それでも絵の在り処に気付かない振りを装ったヴィクトルがそれを取り戻す過程は見ていて楽しかった。
詳しくは、ここでは書かないので本編を是非、ご覧いただきたい。
昔の映画の薫りがする洒落っ気の効いた、サスペンス。
地味ながら小粋で映画らしい映画だった。

2011年9月18日日曜日

世界侵略 ロサンゼルス決戦

突如として地球に迫る無数の隕石。それは各地の海岸線15キロの水域に落下し、やがて海岸線から未知の生命体が各地の都市に上陸し始める。
危機迫るロサンゼルスでも、侵略者の侵攻は予想を超える勢いで瞬く間に市内を制圧しつつあった。
郊外の最前線基地では、空軍による一斉反攻のプランが練られ、マイケル・ナンツ曹長(アーロン・エッカート)の海兵隊2-5小隊に、既に敵に征圧された地に取り残された市民の救出命令が下された。


宇宙からの侵略という古典的テーマを最新技術で描いたこの半年間の新作の中で、間違いなく一番テンションが上がったのがこの「ロサンゼルス決戦」だ。
原題の「Battle: Los Angeles」のままで良かっただろと突っ込みいれたくなる、ダサい邦題になったのは悔しい限りだが、予告編の段階から凄く楽しみにしていた作品。本来、春の公開予定だったものが、都市が丸ごと壊滅させられる話ということもあり、東日本大震災に配慮して公開が秋まで延期されたといういわくつきの作品でもある。

この作品のエイリアンの侵攻は、極めて迅速。よくありがちな、ホワイトハウスのシークエンスなんて全く無いし、科学者が異変に気付くような描写も、殆ど無い。
突如として平和な日常に、在り得ない脅威が迫り、為す術も無いまま姿もろくに判らない敵に、一気に攻められる。
前半は、パニックの大きさに対して殆どエイリアンの姿が登場しない。
どうでも良い政治家や軍の高官の会議シーンが無い代わりに、海兵隊員たちのそれぞれのエピソードに観客は結構な時間、つき合わされる。ここは、狙いなのかもしれないが、ちょっとばかりイライラするところだ。

しかし、この作品の主題はその小隊の兵士たちを中心に描かれるエイリアンとの死闘と地獄の戦場だ。
現場では、全体の戦況がまるで判らず、その場その場の決断が生死を分ける。あたかも「ブラックホークダウン」の宇宙人侵略版と言いたくなる様な、リアルで埃っぽい戦闘シーンが延々と続く。

心に傷を負って退役するつもりだったナッツと、彼に不信感を抱き続ける部下たちが、戦闘を通じてまとまっていくストーリー展開は、敵がエイリアンだというだけで典型的なミリタリー映画だ。

「コンバット」や「プライベートライアン」を見ているような気にさせられる位、そこに力点を置いているので、その手の作品が好きならエイリアンはチョッと...と思っていたとしても絶対楽しめるだろう。

一方、エイリアン映画らしいエンタテインメント性についてもきちんと持ち合わせていて、王道と言って良い展開を見せるあたりバランスも取れている。
もっとも、そのせいかSFファンを喜ばせるような新しさは殆ど無いのだが、大きくがっかりすることも無い。
ちゃんと、最終的にはエイリアンを撃退するカタルシスも味あわせてくれるし。
戦闘シーンの、カット割やカメラの構図が凄くイケてたと思う。
お気に入りは編隊飛行するヘリコプターのシークエンス。アニメ的な構図をCGでやっている感じだけど凄くよかった。


2011年9月1日木曜日

衝撃、笑劇?の超絶パニックムービー/ ピラニア 3D

毎年恒例の春フェスタが開催されているアリゾナ・ビクトリア湖は、マリンスポーツや享楽にふけり馬鹿騒ぎを繰り返すパーティピープルたちであふれ返っていた。
その頃、湖底を震源とした地震が発生。地割れから地底湖の口が開くと、そこには太古に絶滅したと考えられていた獰猛な肉食魚の大群が棲息していた。
獲物を求める太古のピラニアたちは何も知らずに馬鹿騒ぎするパーティーピープルや、水着美女の尻やら乳やらを目掛けて今まさに襲い掛かろうとしていた。


70年代のカルト的パニック映画「ピラニア」をなんと、立体でリメイク。
とうとう、出てきた3Dの歴史に刻まれるであろう飛び出すエログロ馬鹿映画。
手掛けたのはフランスのスプラッタ映画界の急先鋒、アレクサンドル・アジャ監督。ぶっ壊れてます。

3Dメガネを掛けると、見事な乳とか尻とかが画面から飛び出て大はしゃぎ。ピラニアの大群も飛び出て、大騒ぎ。そして、馬鹿騒ぎするアメリカ人を踊り食いするピラニアさんたちの映画。
ストーリーなんて、ホントそんだけ。

あまりにブラックで、しょうもない残酷シーンって笑えてしまうんだよね。「ピラニア3D」は久しぶりにそういう感覚を味わえる映画。歴史に残る名作になると思う。

とにかく馬鹿を徹底的に追求し、徹底してワルノリしまくるこの作品。最初の犠牲者はあの名作「ジョーズ」のリチャード・ドレイファスだったり、ピラニアの正体を究明する魚博士が「バック・トゥ・ザ・ヒューチャー」でドクを演ってたクリストファー・ロイドだったり、カメオ出演の脇役が先ず、とんでもなく豪華。
そんでもってケリー・ブルックはじめ、ゴージャスな水着美女たちはマジで目の保養。
パニックシーンは、もう呆気にとられるほどハチャメチャで真っ赤っか。
千切れたチン○ンをピラニアが奪い合うという、馬鹿映画の映像史に残るであろうワルノリまでやってのけ、R15指定の限界に挑戦。
しかも、これで終わるわけが無いお約束のラストシーンは、期待を裏切らないというか、ある意味期待以上。
そりゃ、天下の東宝洋画系でもレイトショーでしかやれないわ(爆)。



2011年8月21日日曜日

アザー・ガイズ 俺たち踊るハイパー刑事!

正義への熱意は人一倍だが頭にすぐ血が上る、テリー・ホイツ(マーク・ウォルバーグ)と、つまらないデスクワークに熱中し、PCの前を離れようとしない会計課出身の相棒アレン・ギャンブル(ウィル・フェレル)の刑事二人が巨悪に挑む馬鹿映画。

ヒーローの陰で引き立て役に徹してきた「その他大勢」の中でも、飛び切りうだつが上がらない駄目刑事二人が、巨悪に挑む。
何処にでもありそうな先の「読める」ストーリーを奇想天外なキャラ設定で、馬鹿馬鹿しいコメディに染め上げてしまったのがこの作品。
しかし、マーク・ウォルバーグ老けたね、そして太ったね。
あまりにキャラが地味すぎて、変態ぽさが薄れ、全然誰だか気付かなかったけど糞真面目刑事は「俺たちフィギュアスケーター」でキモキモな笑いをとったウィル・フェレル。その妻には超絶セクシーなエヴァ・メンデス。

全編悪乗り悪ふざけで、ストーリーなんてどうでも良い感じの作品ではあるが、馬鹿コメディらしからぬアクションシーンも盛り沢山で、見所もいっぱい。
退屈キャラのアレンの本性が、次第に明らかになる過程は爆笑の連続だが、この辺りウィル・フェレルがコメディアンとしての本領を発揮、日本人でも腹を抱えて笑えるコメディになっている。

とはいえ、個人的には、「俺たちフィギュアスケーター」の下品さ、インパクト、キモキモ具合と比較してしまうとどうもパンチ不足。誰でも安心して見られるコメディとしては秀逸なんだけどね。



2011年7月31日日曜日

トランスフォーマー ダークサイド・ムーン/3D映像にねじ伏せられた

1969年7月20日、月面着陸に成功したアポロ11号には、月に不時着したトランスフォーマーの宇宙船の探索という極秘任務が課せられていた。そして現代。地球の植民地化を狙うトランスフォーマー、ディセプティコン司令官のメガトロンは、人類と盟友関係にあるオートボットのオプティマス・プライム等を陥れ、忘れ去られていた月の宇宙船に隠された装置を蘇らせて地球を侵略しようとしていた。

「アバター」以降、急激に進化を遂げる3D映像革命。そのひとつの到達点になりそうな作品が、この「トランスフォーマー ダークサイド・ムーン」だ。
今回も、トランスフォーマー(変形するロボット生命体)が善と悪に分かれて、スクリーン狭しと大暴れ。
3D映像でCG主体のアクションシーンの見せ場は増え、飛び出る立体映像のアクションの連続に、ねじ伏せられたかのような疲労感に包まれた。

今回のキャストはお馴染のシャイア・ラブーフに、ヒロインはモデル出身の超絶美女、新鋭のロージー・ハンティントン=ホワイトレイ。そのうえジョン・マルコヴィッチに、実際にアポロで月面に降り立った宇宙飛行士バズ・オルドリンまでカメオ出演させたものの、印象として人間たちはロボットたちの圧倒的な戦いの渦中に身を置き、為す術も無い。

もはやされるがままの人類は置いておいて、ひたすらトランスフォーマーのケレン見たっぷりの戦いぶりを楽しむのがこの作品との正しい付き合い方だろう。



2011年7月25日月曜日

アイ・アム・ナンバー4/続きが見てみたくなる新シリーズの始動にまずは、拍手

地球人に成りすました宇宙人の二大勢力の争いを、美男、美女が出演するハイ・スクールの青春ドラマ+ど派手アクションで描いた傑作馬鹿SFシリーズの序章。
俺としては大好物の突っ込みどころ満載なエンタテインメントに大興奮だった。
実際、応援したくなる要素ばかりなのだ。この作品は。
先ず、コミック原作などではなくオリジナルで製作されたシリーズになっていること。
最近のハリウッド映画としては実に珍しく、実際、アメコミ原作のそこらの作品よりも面白い。
ヒロインのサラを演じるディアナ・アグロンにせよ、ナンバー6を演じるテリーサ・パーマーにしろ、将来が期待できる若手美人女優がスクリーンを彩っているのも素敵だ。
高校を舞台にエイリアンが死闘を繰り広げる。お馬鹿青春映画としては王道の恋+友情+アクション満載。
何も考えずに楽しめる。
ペットが意外な大活躍をするなど、SFファンを喜ばせる仕掛けが散りばめられているのも良い。
続きが見てみたくなる新シリーズの始動にまずは、拍手。


2011年7月18日月曜日

ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2 / 3Dで必見のシリーズ大団円

ハリー・ポッター(ダニエル・ラドクリフ)たちとヴォルデモート卿(レイフ・ファインズ)との最後の戦い。
全ての謎が解き明かされる。


このシリーズが始まったのは、もう11年前?
すっかりオトナ顔になった、ダニエル・ラドクリフ、ルパート・グリントにエマ・ワトソン。そりゃ、俺も歳をとるわけだ。(笑)

やたらと尺が長くて、ときに退屈で、何度と無く次は見るのをやめようと挫折を味わいそうになってきた現代を代表するファンタジー映画の超大作もいよいよこれで完結。

今回、タイトルからもお分かりのとおり、シリーズ最終作は2部構成。
熱心な原作ファンでも無い俺は、前作のことなど綺麗さっぱり忘れて劇場のシートに座っていたのだが、これまでのおさらいなんて一切なしで突っ走るため、最初の20分くらい、話がまぁ、解らないワカラナイ。(爆)
これから見る方には、前作を復習してから劇場に行くことを強くお奨めしたい。
間違っても、今まで1作も見たこと無い人は、いきなりこれから見ちゃ駄目。
「ハリー・ポッター」は、どれ見ても同じ「寅さん」みたいな映画とは違うから。やっぱりシリーズを順番にときに苦痛に耐えつつ、見てからこの作品を楽しむのが正しい楽しみ方だと思う。

とは言え物語が終焉に近づくにつれてのシリーズ数作品は、子供向けにはダーク過ぎるカラーが強まり、いよいよお先真っ暗感漂う前作を見たからには、この作品を見て締めくくりたくなるのはもはや必然。

シリーズ最終作にして前作で断念した3Dでの上映にも対応し、正直な話、ここ数年のシリーズの中では間違いなく最高。かなり上手くまとまってたんじゃないだろうか。

鑑賞したのは品川プリンスシネマのシアターZERO(旧IMAXシアター)だったのだが、大スクリーンに映し出されたこの作品の3D効果は、かなりのクオリティで、3D映画を見ていることを忘れさせる位の自然な立体効果。
3D演出ばかりを売り物にしている最近の作品と比較して、その映像美や演出は、3Dデジタル時代の新たな「高み」を感じさせる傑作になっていたと思う。

2011年7月12日火曜日

ハングオーバー!! 史上最悪の二日酔い、国境を越える

スチュ(エド・ヘルムス)の結婚式に出席するためタイに向ったフィル(ブラッドリー・クーパー)、アラン(ザック・ガリフィアナキス)、ダグ(ジャスティン・バーサ)。
式の前日に軽く一杯、呑むだけだったはずが、翌朝目が覚めると、そこはバンコクの薄汚いホテルの一室。
全員がひどい二日酔い。
ステュの顔面には身に覚えの無いタトゥーが入っていて、アランに至っては髪の毛もない!? 
さらに悪いことに、スチュの義理の弟で秀才肌のテディは、千切れた指だけを残して行方不明。
その代わりに、部屋で暴れまわるのはベストを着たサル!
果たして、結婚式までの間に、彼らはすべての謎を解き、失われた記憶とテディを発見することができるのか!?


二日酔いの男たちが記憶を飛ばし、前日の出来事を手がかりを元に探っていく。
従来にない全く新しいミステリー+コメディとして世間をアッと驚かせた「ハングオーバー 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い」。
その続編である本作は、舞台を異国タイに移し、馬鹿さ加減を増量しつつ、前作で打ち立てた「昨晩の自分探し」フォーマットを踏襲。
安心して馬鹿笑いし、あきれ返れるすさまじく陽気で下品な馬鹿映画になっている。

エンドロールは昨晩のランチキな所業を映し出したお約束のスライドショー。
全てはそのエンドロールで用意されたオチのためだけにある、壮大な前振りだ。

昨晩のおぼろ気な記憶を頼りに、記憶をさかのぼっていく「謎解き」の馬鹿馬鹿しさは、酒を愛する酔っ払いなら誰しも少なからず共感できる。
むしろ4人と一緒に馬鹿騒ぎしているかのような不思議な一体感を味わえるのがこの作品。

男は幾つになっても、どこかコドモで、愛すべき馬鹿なのだ。
きっと。


2011年7月10日日曜日

マッチョ系北欧神話世界を笑って受容れられるか次第/マイティ・ソー

神の世界アスガルドの王オーディン(アンソニー・ホプキンス)の息子ソー(クリス・ヘムズワース)は、その傲慢さから、氷の巨人の世界へ身勝手に攻め込み、平和を乱す。
怒ったオーディンはソーの力とムジョルニアを奪い、地球へと追放。
地球に堕ちたソーは、天文学者ジェーン(ナタリー・ポートマン)と出逢い、慣れない人間生活を送るなかで次第に痛みや弱さを学び、彼女と恋におちるのだった。
一方そのころ神の世界では、そーの義弟ロキ(トム・ヒドルストン)が王位簒奪を狙い、陰謀を企てていた。ホーガン(浅野忠信)、ヴォルスタッグ(レイ・スティーヴンソン)、ファンドラル(ジョシュア・ダラス)の三銃士は、国家の危機をソーに伝えるため地球へやってくる。しかしロキは、破壊者デストロイヤーを地上に放ち、ソーの抹殺を謀るのだった。


昔の漫画、聖闘士星矢に出てきたような北欧神話の世界をマッチョにしたような作品。
追放された駄目な神様が力を失って、反省し、復活して悪をくじくという、もの凄く判りやすいアメコミ原作の作品をいつもならシェイクスピア劇なんかの重厚なコスチューム・プレイを得意としているケネス・ブラナー監督が、思い切りハメを外して作った馬鹿アクション映画。
なんと、ヒロインはナタリー・ポートマン。彼女も、ホントに仕事を選ばないね。
神の世界の三銃士の一人として、浅野忠信が出ていたりするんだが、3Dの高い料金を払ってまで見たいかは、微妙だった。
全ては、マッチョ系北欧神話世界を笑って受容れられるか次第。
ココロを広く持てる馬鹿映画ファンなら、おさえておいて損はないかな。(笑)



2011年6月30日木曜日

エンドロールが一番楽しい/SUPER 8 スーパーエイト

1979年の夏。
オハイオの小さな町で保安官の父と暮らす少年ジョー(ジョエル・コートニー)は、ある夜、仲間たちと家を抜け出し、郊外の駅へ8ミリ映画の撮影に出かける。だが、その撮影中に偶然、米軍の貨物列車の大事故に遭遇。アメリカ政府が極秘にしていた“何か”を撮影してしまう。


当たり外れが大きいJ・J・エイブラムズが監督。
スティーヴン・スピルバーグ製作のもと、「E.T」みたいな話じゃないかとか、「スタンド・バイ・ミー」みたいだとか、色々な憶測を呼びつつ、公開まで極端に秘密にされてきたこの作品。
結果、感想としてはそれらのどれとも似ていない。半端なヒューマンドラマが織り込まれた、単なる退屈モンスター映画というのが、この作品の正体。
見終えてしまえば、徹底された情報統制の意味がわかるような気がした。

そりゃ、秘密にもするわ。だって、つまらないもの。

可愛い子供たちのドラマにして、何とかつまらないストーリーを持たせているような展開。
子供は夢見る、子供は素直、正義感が強い、意外とたくましい。だから...なに?
エイリアンは得体が知れない、帰巣本能、凶暴、動きが早い。だから...なに?

俺はこの監督のモンスターに、もう飽きてしまっているんだいい加減。
そして、広げすぎた風呂敷の乱暴な放棄をまた目にさせられて、「お片付けはちゃんとね」と言いたい気分だ。

エンドロールに子供たちが劇中で撮影していた手作り感満載の自主映画が流れる。
カネをかけたシーンの数々よりもはるかに、これが一番面白いという時点で、終わってると思うんだこの映画。


2011年6月19日日曜日

吸い上げるだけじゃなくて惹き込ませてくれ/スカイライン 征服

ロス上空から降り注ぐ青い閃光。吸い上げられる人間たち。空を覆う巨大な飛行物体。それは人類絶望の3日間の始まりに過ぎなかった。

人間が吸い上げられる...何のために?って、展開のユニークさはあれど、巨大な飛行物体も、ぬるぬるしたエイリアンも、何処かで見たようなヴィジュアルで真新しさは殆ど無い。
地上を高速で動き回る巨大生物なんて、まるでウ○コみたいな印象だったけど、大丈夫か?(笑)

しかし、美女がいて、水着シーンもあるし、圧倒的な宇宙生物と斧で戦おうとしたり、実は家族を守るというテーマがあったりと、もう少しやりようによっては、面白く出来たであろう要素が散りばめられていただけに、終わってみればコンピューターゲームのCGムービー部分を1時間半も見せられた様な気になるこの作品の仕上がりが残念で仕方ない。
どうせなら、「クローバー・フィールド」もどきではなく、愛せるB級映画であってほしかった。
あの手の作品は、初めてだから斬新なのだ。いまさらやられた所で、とても見られたものじゃない。

そしてラストのあの消化不良な感じ。
「第9地区」みたいな斬新な宇宙人映画を目指したのだろうか。
もう、全然、意図が解せずに残尿感が残った。
この手のSFアクションで、半端なことはしないで欲しいね。続きがあっても見る気がしない。
こんな画を作りたかったぜ、低予算でも作れるぜ、凄いだろってのは充分伝わってきたんだが、もう少し、まともな脚本とか、アイディアがあれば、吸い上げるだけじゃなくて、ちゃんと観客が惹き込まれるSFに出来たかもしれない。




127時間/面白おかしく生きてる男が初めて「生」と向かい合う感動作

陽気で自信家のアーロン・ラルストン(ジェームズ・フランコ)は、その週末も自分の庭のように慣れ親しんだブルー・ジョン・キャニオンで一人、ロッククライミングを楽しんでいた。
そんな彼を突然、落石が襲い、右腕を挟まれた彼は谷底から一歩も動けなくなってしまう。
あらゆる手を尽くして岩を撤去しようとするが、ガッチリと挟まった岩はピクリとも動かず、助けが来るあても無い。死をも覚悟した彼は、極限の状態で初めて、今まで省みることが無かった自分の人生と向き合い、生きる事への執着に目覚めるのだった。そして127時間後の彼の決断とは...。


 ロッククライミングこそしないものの、深く物事を考えることなく、毎日面白おかしく生きているアーロンの姿に、思わず自分が重なった。(笑)
実話を基に「スラムドッグ$ミリオネア」のダニー・ボイル監督が極限の状態に追い込まれた青年の苦悩と、再生を描くこの作品。劇中の殆どのシーンは、主人公が岩に挟まれた状態で進行。回想と後悔と妄想とが入り混じったアーロンの心象風景が、監督お得意のテクニカルな映像手法とテンポのよい編集で畳み込まれるように展開する。
ただ、片腕が挟まっているだけの退屈な画に終わることなく、観客は、アーロンとともに彼の人生を見つめ直す。そして大切なものに気付くプロセスを共有することになる。

谷底にひと時注ぐ暖かい陽射し。遠くに開けた青い空。キモチよさそうに飛翔する鳥。
しかしそれは、美しいだけでなく絶望的なまでに自由への遠さを感じさせる。
次第に湧き上がる「生への執着」。
ポジティヴに、諦めることなく、彼が選択した手段は、死を待つことではなく、片腕を落としてでも生きることだった。


リアリティいっぱいの切断シーンは、映像の衝撃度以上に観客に「痛み」を共感させる。

まさに極限状態を共感する「127時間」。それを印象付けるのはポジティヴさだった。
彼が失ったものと引き換えに得た「生」への喜びにテンションが上がりつつ、エンドロール。
俺まで歓喜して、ちょっと目頭が熱くなった。

よし!
俺も明日からの生き方について、少し毎日を大事に考えてみよう。
いや、今までもそのつもりだったけど、それ以上に。

しかし、なんだろう。
時間が経つにつれ、痛そうだった切断シーンのインパクトしか思い出せなくなってくる。
あれれ...どんな映画だったんだっけ?(笑)


2011年6月13日月曜日

最大の見所は、素人のオヤヂ主役で1本撮ってしまったこと/さや侍

無断で脱藩し、追われる身となった野見勘十郎(野見隆明)は、一人娘のたえ(熊田聖亜)と共に幾度と無く殺し屋に命を狙われつつも流浪の旅を続けていた。
ある日遂に多幸藩の追っ手によって捕らえられた野見勘十郎。
そして殿様(國村隼)が勘十郎に処したのは「三十日の業」。
それは母君を失った悲しみで笑顔をなくした若君を、一日一芸で三十日の間に笑わせられたら無罪放免、できなければ切腹というものだった。


ウケない芸人が手酷い罰ゲームを喰らう。
そんなバラエティ番組にありがちな設定を時代劇に持ってきた。
乱暴に言ってしまえば、そういう代物だ。

ただし、この作品は観客の想像や期待を良くも悪くも、小さいところから大きなところまで裏切り続ける。
バラエティ番組の脱力したお笑い感覚を残しつつ、バラエティではかなわぬ表現を実現したのも事実なら、見ているこちらが恥ずかしくなるような演出をしれっとしてのけたりもしている。

ひとつの価値観に囚われた不器用な侍と、その娘の「愛情」を描くストーリーはオリジナル。
原作無き映画を制作することが、すっかり困難になった最近。その一点においては、間違いなく快作だろう。

そして最大の見所は、バラエティ番組「働くおっさん劇場」で発掘した素人の野見隆明で1本映画を撮ってしまったところ。これに尽きると思う。
不安げで余裕の無い、汚らしいオヤジが、いつしか愛おしく、ときにカッコ良くさえ思えてしまう。
まるで松本人志の分身のように感じられるシーンもあるが、しかし、松本は出なくて正解だったのかもしれない。松本には決して出せないであろう野見の表情の素晴らしさ、キャラクターの強烈さにこの作品は救われている。

2011年5月29日日曜日

ブラックスワン/生理的に痛い精神自壊映画

バレエダンサーのニナ(ナタリー・ポートマン)に、「白鳥の湖」のプリマを演じるチャンスが訪れる。
だが演出家は優等生的な彼女が得意とする純真な白鳥の女王役だけでなく、邪悪で官能的な黒鳥を演じることも要求。そのプレッシャーに次第に押し潰されていく。
奔放な新人ダンサー、リリー(ミラ・クニス)が代役に選ばれたことで、さらに追い詰められたニナは、黒鳥を完成させつつも、精神的に自壊していくのだった。



「白鳥の湖」と言えば、あまりにも曲が有名なのでついつい知っている風な気になっていた俺だけど、あれ、あの話に黒い鳥なんて出てきたっけ?と不思議に思ってたら、なんと俺の頭ん中「醜いアヒルの子」と物語がゴッチャになっていた(笑)。

そんな残念な俺だけど、この作品が描くのはプレッシャーに押し潰されるプリマの話。その緊張感はバレエなんて知らなくても共感できる世界。

壊れていくナタリー・ポートマンの演技は凄い。ダンスのみならず際どいシーンも含め、かなりの体当たりだけど、確かに彼女自身の課題なのかと思っちゃうほど、どんなシーンでもあまり、官能的な感じが無い。

とにかく観客が共有させられるのは「不安感」。
縦揺れ激しい手持ちカメラが動きまくるカメラワークで冒頭から嫌な感じではあるんだが、本格的に病みはじめてからは指の付け根までササクレがめくれる妄想とか、生理的にイメージ可能な痛い描写のつるべ打ち。

観客も何が現実で何処までが妄想なのか、次第に分からなくなっていく。

とにかく、ナタリー・ポートマンの病みっぷりは半端ない。怖いくらいだ。
緊張でご飯が食べれなくなるとか、眠れなくなるとか、もうそういう次元じゃない。

黒鳥は拍手喝采で完成に向かうも、とにもかくにも破滅的。
これはこれで、デートで見ても見終えた後、ある意味話題が盛り上がりそうなレベル。
でも、スーパー・ネガティヴシンキングが主人公なだけに、自分のテンションが堕ちてるときにはこの映画、お奨めしない(笑)。

あと、ウィノナ・ライダーがすっかり年老いててビックリ。
まぁ、「レオン」に出てたナタリーがこんなに大人になるんだから、当然だけどね。


2011年5月21日土曜日

パイレーツ・オブ・カリビアン 生命の泉 /NARIZO映画レビュー

永遠の生命をもたらすという伝説の“生命の泉”をめぐり、キャプテン・ジャック・スパロウ(ジョニー・デップ)と史上最恐の海賊“黒ひげ”(イアン・マクシェーン)と、かつての恋人、女海賊アンジェリカ(ペネロペ・クルス)、英国海軍に寝返った宿敵バルボッサ(ジェフリー・ラッシュ)さらにはスペイン国王までが乗り出して、激しい争奪戦が繰り広げられる。

 ジャックが3Dになって帰ってきた。前作は馬鹿映画を愛する俺といえども、全く好きになれなかった呪われた駄作。それでも、続編といわれれば思わず劇場に足が向いてしまうのは、勿論、ジョニー・デップ演じるキャプテン・ジャック・スパロウの魅力によるところが大きい。

今回も、弱い脚本ながら3Dと彼の魅力でこれをカバー。前作に比べれば、はるかに楽しめる娯楽作品になっている。
特筆すべきは、人魚役で登場するスーパーモデルのアストリッド・ベルジェ=フリスベの美しさ。
俺は、高いこの3Dの映画チケット代の半分は彼女に、もう半分はジョニー・デップに捧げるね。(笑)


2011年5月19日木曜日

「岳 ガク」 小栗旬の当たり役! /NARIZO映画レビュー

世界中の巨峰を登り歩いてきた島崎三歩(小栗旬)は、北アルプスの山岳救助ボランティアをしながら山で生活する変わり者。北部警察署山岳救助隊の隊長・野田正人(佐々木蔵之介)を先輩として慕いつつ、遭難者の救助に手を貸している。そんな中、山岳救助隊に配属されたばかりの新人、椎名久美(長澤まさみ)は、能天気にさえ見える三歩の姿勢に反感を覚えつつも、遭難救助を通じて多くを学び、成長していくのだった。
ある日、北アルプスを爆弾低気圧が襲い、多重遭難が発生。雪山の脅威を前に、久美や三歩は果たして遭難者を救えるのか!


俺は山に登らないんだけど、山好きの呑み友達があまりに絶賛だったので、鑑賞。
確かに美しい空撮シーンの数々や、雲の上の頂、一面に広がる澄んだ空と広大なパノラマには目を見張るものがあった。

主人公の三歩を演じるのは小栗旬。
どんなに過酷な状況でも、どポジティヴに天然な雰囲気を発しつつ、冷静な判断力と、熱い情熱を秘めたこのキャラクターを好演。今後、当たり役として演じ続けていくことになりそうな予感漂う魅力的な演技に、心掴まれた。しかも、なんと彼、高所恐怖症だったらしい。

物語は、自然の美しさ、恐ろしさを淡々と描く。
遭難した人が亡くなる描写も多く、単に「ヒーローの映画」にはなっていない厳しさがある。
そんな中で、全く何で生計を立てているのか判らない三歩の存在には興味をかき立てられるものがあり、原作の漫画を読んでみたくなった。
そう。この作品は、映画を見て原作を読みたくなる効果を生んでいるのだ。珍しいことに。(笑)

しかし、なにより実はこの作品で一番、俺が気になったのは長澤まさみの熱演。
雪山なので、もこもこに厚着だし、彼女の役柄は恋愛するというより成長するところに重点を置かれたキャラクターだから、女優さんが美しく華麗にスクリーンを彩るようなシーンは皆無と言って良い。
しかし、泥まみれになりながら、必死で成長しようとするその姿もまた、実に魅力的だった。

山の美しさと恐ろしさ、その両面を描いて「山へおいでよ」と語りかけてくるこの作品。
しかし、山はやっぱり相当のココロの準備と装備が必要なのね。と、登山への心理的ハードルが、これのせいでまた、一段上がった気がする。
この景色の続きは、映画第2弾で味わいたい。


2011年4月17日日曜日

セーラー服に日本刀 ! アニメ的ヴィジュアルの洪水/エンジェルウォーズ

養父の陰謀で精神病院に送られたベイビードール(エミリー・ブラウニング)は、想像の世界の中で自由を求めて戦うことを決心する。
彼女はそこでロケット(ジェナ・マローン)、ブロンディー(ヴァネッサ・ハジェンズ)、アンバー(ジェイミー・チャン)、スイートピー(アビー・コーニッシュ)らと出会い、ワイズマン(スコット・グレン)の援助を受け、自由を求めて、サムライや悪魔が襲いかかる幻想的想像世界の中の戦いに挑んでいく。
戦いに勝利して自由を勝ち取ることを夢見て。


「300(スリーハンドレッド)」のザック・スナイダー監督初のオリジナル作品は、まさに精神病院で繰り広げられるセクシーでバイオレンスな「不思議な国のアリス」だ。
現実逃避のように見える想像世界の中で、ベイビードール率いる少女たちは戦い、希望を見出そうとする。

ブロンド女子+セーラー服+日本刀(笑) まさに日本のサブカルチャー、アニメ的な虚構世界をザック・スナイダー仕込のバイオレンスとヴィジュアルの洪水で、料理した、混沌としたエンタテインメント。
そして主演のエミリー・ブラウニング、ジェナ・マローン、ェイミー・チャン...みんなそろってエロ可愛い!

現実と虚構が入り乱れ、皮肉が利いていて、到底ハッピーエンドとは言い難い、ハリウッドのメジャースタジオが喜ばなさそうな陰鬱なテーマを、幻想世界だから何でもありとばかりに、ど派手に破壊しまくり、セクシー美女に大暴れさせる事でエンタテインメントにしてしまった強引な作品。

真新しさは無いものの、アニメ的構図で実写化されたアクションを見るのは、非常に楽しい。
俺はこっちのダークな「不思議な国のアリス」の方がディズニー製より好きだった。

しかし、原題の「SUCKER PUNCH」がどうして「エンジェルウォーズ」なんだか。
これじゃ、まるでレンタルの片隅に置いてあるビデオストレートのB級映画みたいじゃないか。
その路線ギリギリの作品として確信犯でタイトルつけてたりして(笑)。

それから、殆どの上映館が何故か日本語吹き替え版。
幸い俺は、品川プリンスシネマが近いから、字幕版で鑑賞できたけど、ブロンドのセーラー服が日本刀持って暴れる作品が吹き替えなんて、どこまでもアニメ的過ぎる。

子供向け作品ではないので、絶対にオトナを意識して編成されているものと思われるんだけど、これはアニメファンに、アニメ的に見て欲しいというワーナーの狙いだったりするんだろうか?(笑)。




2011年3月31日木曜日

爽快感の無い西部劇/トゥルー・グリット

14歳の少女、マティ・ロス(ヘイリー・スタインフェルド)は、父親を雇い人のならず者トム・チェイニー(ジョシュ・ブローリン)に無残にも撃ち殺された。
犯人に罪を償わせることを心に誓った彼女は、大酒飲みの連邦保安官ルースター・コグバーン(ジェフ・ブリッジス)に犯人追跡を依頼。
さらに議員殺害容疑でチェイニーを追っていたテキサス・レンジャーのラビーフ(マット・デイモン)も加わり、インディアン居留地での危険な追跡が始まった。

コーエン兄弟による西部劇は、ジョン・ウエインがかつて主演を務めた「勇気ある追跡」のリメイク。
そちらは未見なので何とも言えないが、この作品は、今よりもはるかに善悪がはっきりしない時代を舞台に、アメリカ人の考える「侠気」を描いたかのような作品だ。
子供ながらに復讐に執念を燃やす娘も14歳らしからないし、登場する大人たちも曲者揃い。善人とはいえない様な連中しか出てこないのだ。

そして描かれるのは、何処までもリアルな現実。ファンタジーとしての西部劇とは一線を画す内容だ。
都合よく事態が好転したりはせず、ときに無謀にのっぴきならない事態に立ち向かっていく。
そして、静かにノスタルジーを感じるラストシーンまで。
驚くほど地味な話で、華も無く、マティを除くと年寄りとオヤジたちばかりしか出てこないが、最期まで飽きることはなかった。

爽快感の無い西部劇。
ただし、人生のほろ苦さには溢れている。

2011年3月16日水曜日

聖人のような迷惑武神登場!/ 「イップ・マン序章」「イップ・マン」

ブルース・リーの師匠イップ・マンの半生を描いたこのシリーズ。どうゆうわけか、日本では、2作目が先に公開され、映画ファンの要望を受けて、1作目(そういうオトナの事情のせいで1作目は「イップ・マン序章」という苦し紛れなタイトルに改題されてる)を公開するという可笑しな順番になった。

2作を通じて、誠実で道理に合わないことを好まないイップ・マン(ドニー・イェン)は聖人の様に描かれ、ある意味、彼の「融通の利かなさ」や「空気読めない感じ」のお陰で美しい嫁や、周囲が、とんでもないトラブルに巻き込まれていくという展開。
そんな風に説明するとコメディみたいだが、これが意外にも真剣な映画で全く笑えない。

序章では、イップ・マンを武術の達人と認めた日本軍の将校 三浦(池内博之)と空手で対決。
池内は中々の好演だし、副官を演じている日本の役者は、いかにも中国映画に出てくる鬼畜な日本軍人そのもの。最後に怒り爆発のイップ・マンが、三浦をボコボコにしたせいで、家族が命からがら逃げる羽目になるというストーリー。
見所は空手道場で10人の軍人を相手に、空手対カンフーで圧勝するシーン。どっちかというと、後半は残念な感じに尻すぼみだ。

続いて日本では最初に公開された方の「イップ・マン」。
こちらは、戦後の英国領香港で、中国人にも中国武術にも敬意を払わなかった英国人ボクサーのチャンピオンを異種格闘技で、イップ・マンがボコボコにする話。
正直、見所は「序章」の方が多いくらいだが、ボクサーに殴り殺される有名師範ホンをサモ・ハン・キンポーが演じているのが美味しいところ。だって、彼のことウーロン茶のCFだか以外で見るのは久しぶりでしょ?(笑)

で、こちらも、あっけに取られているうち終わる。
カンフーが好きな方にはお奨め。
でも、これより面白い香港映画は、正直、幾らでもあるね。悔しいから2本とも劇場で見たけどさ。(笑)



2011年2月27日日曜日

全ての観客の母性本能を刺激?/英国王のスピーチ

ジョージ6 世(コリン・ファース)は、幼い頃からの「どもり症」が原因でコンプレックスを抱え、人前に立つことが多い王族でありながらも全く自分に自信を持てずにいた。
彼はコンプレックス克服のために在りとあらゆる専門家に頼るのだが、常に惨めな結果に終わる毎日。そんな中、ジョージの妻のエリザベス(ヘレナ・ボナム=カーター)は、スピーチ矯正の専門家・ライオネル(ジェフリー・ラッシュ)のもとを訪ねる。彼は、診察室では私たちは平等だと宣言し、奇妙な秘密のセラピーが始まった。


 「どもり症」の王様が、一世一代のスピーチを前にそれを克服するというだけの極めて地味な実話。
しかし、この作品は時として可愛く、時として可笑しく、哀しくて、そして暖かく、ホロリとさせる要素でいっぱいの、まさしくドラマを観客に見せてくれる。

弱音を吐くことを許されない中、プレッシャーを抱えた悩める一人の男としてジョージ6 世は描かれる。
一番の悩みを克服するために、症状の背景にある心理的な原因を取り除いていくライオネルのセラピーは、映像としては地味でもドラマとして実に面白い。
やがて真の友人として、身分を越えた友情が二人の間に芽生えていく過程は、なかなか感動的だった。

コリン・ファースが演じる人間味あふれる国王は、全ての観客の母性本能を刺激しそうだ。
短気でコンプレックスを抱えつつも、国民のために必死に期待される王族で居ようとする健気な感じは、たまらなく魅力的。

一方、ジェフリー・ラッシュも、ライオネルを快演。
時に王をからかいながらも、確実に彼の心の扉を開放していくという役柄を渋く、そしてユーモアたっぷりに演じている。

ラストの見せ場がスピーチという、変わった作品だが、まるでライオネルになったかのように、国王のスピーチを観客はハラハラと見守ることになるだろう。
久しぶりに見た誰にでも薦めたいドラマの名作誕生に心躍った。


香港ノワールの薫りを味わえる貴重な作品/男たちの挽歌 A BETTER TOMORROW

北朝鮮から脱出を試みた家族の兄ヒョク(チュ・ジンモ)は脱北に成功して武器の密売をしながら弟チョル(キム・ガンウ)を探し続けていた。やがて脱北者の中から見つかったチョルだったが、彼は家族を見捨てて脱出した兄を憎悪していた。やがて彼は警察に入り、兄と対峙する道を選ぶ。

「男たちの挽歌」と言えば、ジョン・ウーを一躍有名にした香港ノワールの代表的シリーズだ。
義理と人情を重んじ、東洋的倫理観が根底に流れて、匂い立つくらいに男臭いストーリー展開。
当時のハリウッド映画にはなかった様式美に貫かれたアクションシーンの数々。
そのエッセンスは、ジョン・ウーがハリウッド進出を果たして後、今や各国のアクション映画に影響を与えている。
つまりこれは、ストーリーからアクションまでリアリティに貫かれたシリーズではなく、ガン・アクションに彩られたファンタジーと呼んで良いものだった。

そんな「男たちの挽歌」をプロデューサーにジョン・ウーを迎えて韓国映画界がリメイクしたのが、この作品。
描かれるのは兄弟、そして義兄弟の熱い人情ドラマ。
しかし、中身は役者が新しくなって、映像が若干スタイリッシュになっただけ?
初めて見たときに、そのアイディアに痺れたガンアクションも今や新鮮味はないし、真新しいのは兄弟を韓国社会で阻害されている脱北者にした事くらいだったりする。

やっぱり、ジョン・ウー御大自らにメガホンを取ってもらって、正統派の新シリーズを見てみたいという想いが強まってしまった結果になった。
決して悪くはないにしろ、なんなんだ、この残念な感じは。(笑)
それでも、最近さっぱり見なくなった香港ノワールの薫りを味わえる貴重な作品であることは確かなので、この手の作品が好きな方は、是非。


残念にもドラマなき戦争映画/戦火の中へ

1950年。朝鮮戦争は、開戦わずか3日でソウルが陥落。北朝鮮軍の侵攻の前に韓国軍は敗走を続け、最終防衛ラインの洛東江に残存兵力を集結させていた。そのような危機的状態の中で軍司令部が設置された浦項女子中学校の守備に残されたのは、戦闘経験がほとんどない71人の学徒兵だった。

朝鮮戦争で命を落とした少年兵が母親につづった手紙を基に、制作された戦争ドラマ。
話題になっていたのは韓国映画史上空前の火薬量で再現されたリアルな戦闘シーンと言う事だったが、素人同然の学生兵が多勢に無勢の戦いに挑み、北朝鮮軍に手痛い損害を与えるという内容を描くにあたって、肉片が飛び散る戦場の描写を裏付けられる説得力を持ったストーリー展開には残念ながらなっていない。

予算が投じられていそうなリアリティのある戦闘シーンは、ストーリーの本筋部分にはなく、むしろ本来リアリティが必要なクライマックスの篭城戦には、あまりリアリティが感じられない。
本来、学徒兵を描きたいのであれば、力の入れ方は逆でもよかったはずだが、中盤の派手な市街戦が撮りたいがための口実に、学徒兵の悲劇を題材にしたのではないかとさえ思ってしまうほど、作品の力点は分散してしまっている。

映画が着想を得ているのは、あくまで一兵士の残した「手紙」であり、学生だけが多勢に無勢で戦ったかのような映画的誇張と演出によって描かれる戦場の中で、肝心のドラマのリアリティが失われてしまったのは残念だった。

映画の中でプロの軍人たちから放置された学徒兵達が、不安の中でどのように心をひとつにまとめ、数に圧倒する敵と対峙するのか...という、題材に対して見所となるはずのドラマや説得力が得られるようなプロセスを殆ど語ることなく、イケメンキャストたちは、それぞれの主張と価値観をバラバラとぶつけている。それでもなんとなく、まとまって戦って、悲劇でしたとばかりに死んでいってしまう。
劇場のシートに唖然とする俺を取り残して。

学徒のリーダーを演じたチェ・スンヒョンや、反発する不良のクォン・サンウが好演しているだけにドラマの中途半端さと演出の迷いが実に勿体無い作品だった。



2011年2月22日火曜日

喋らなければ画になってた/映画 「あしたのジョー」

昭和40年代。東京のドヤ街で喧嘩に明け暮れた生活を送っていた矢吹丈(山下智久)は、元ボクサー・丹下段平(香川照之)にボクサーとしてのセンスを見出された。
やがて少年院へ収監されたジョーは、プロボクサー・力石徹(伊勢谷友介)と運命の出会いを果たし、反目しあいながら少年院のボクシング試合で対戦。クロスカウンターパンチによるダブルノックアウトで引き分ける。
ライバルとして惹かれ合うようになった二人は、プロボクシングでの再戦を誓い、決戦のリングを目指してひた走る。


 邦画ブームはとうとう、名作「あしたのジョー」の実写映画化を実現させた。監督は「ピンポン」の曽利文彦。本作の凄いところは、40年代のドヤ街を再現したリアルな美術や、CGがかすむほどに肉体改造をして望んだ主演二人の本物の迫力にある。

当初、ジャニーズ映画で「あしたのジョー」なんて、止めてくれよとしか思えなかったのだが、予告編の段階で、線が細いだけのイメージだった山下智久がボクサー体型になっているのを確認できたし、伊勢谷友介に至っては、佇まいに力石の風格を感じる凄みが漂っており、香川照之の丹下段平は、まんま劇画から抜け出たみたいなインパクト...と、本編を見ずには居られない、好奇心に駆られる作品の1つになっていた。

 ビジュアルは良いものの元来「棒読み俳優」と言って良い山下がメインのキャラクターを演じている時点で、想像付く結果ではあったが、演技はチョッと残念な感じで、原作からもってきた芝居がかった台詞などは完全に浮いてしまい、イタい事になっている。

その中にあって演技派の香川の好演が、光っていて、実際のところこの作品はかなり、香川の段平に救われている。
伊勢谷の力石も魅力的だ。

実際、肉体を改造して望んだ主演二人が漂わせているオーラには、スクリーンの雰囲気を支配する「迫力」があり、台詞を喋らなければ実に画になっていた。

少なくとも、原作に対しての深い愛情を感じさせるほどに忠実に演出されたこの実写版は、終映後に椅子を蹴り上げて帰りたくなるような作品ではなく、劇画やアニメのジョーにもう一度会いたくなるような、そんな作品に仕上がっている。
判ってはいても、力石の最期は熱かったし、続きが見たくなったのも事実だ。


2011年2月19日土曜日

太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男/NARIZO映画レビュー

太平洋戦争の激戦地サイパン。総攻撃後の山中で、200名の民間人を守り、47名の兵士を統率して16ヶ月間。ゲリラ戦で米軍を翻弄し続け、「フォックス」の異名で畏れられた大場栄大尉(竹野内豊)の実話を映画化。


テレビ局主導の邦画大作といえば、ドラマ発やコミック原作ばかりという状況の中で、元米軍人が書いたドキュメンタリー小説を原作として、日米の視点から太平洋戦争を描いたこの作品は、間違いなくかなり挑戦的なプロジェクトだ。
監督には「愛を乞う人」の平山秀幸と、アメリカから「ブラックレイン」や「トランスフォーマー」で助監督を務めたチェリン・グラックを迎え、日米の役者のシーンをそれぞれで撮り分ける手法で制作。
タイで撮影された戦闘シーンも、迫力がある。

主演の竹野内豊は、芯の通った信念をもちつつも寡黙で、誰からも慕われる武人であり、リーダーとしての大場大尉を熱演。ヒーローとして描くのではなく、淡々と日米のエピソードを重ねていくことで、過酷な戦場のドラマを成立させようとした。

スキンヘッドのヤクザ兵隊を演じた唐沢寿明をはじめとして脇を固める日本人の役者たちや、敵ながら大場を畏敬し、何とか投降させようと尽力するハーマン・ルイス大尉を演じたショーン・マクゴーウァンの好演など、よい部分は色々あった。

しかし、これだけドラマチックな好材料と、キャスティングを揃えても、あまりに淡々としすぎていて、伝わるもの、迫るものが少なかったのは何とも残念だ。
日米どちらにも寄らず、公平に描くことに注意を払った演出には評価できる部分も大きい。しかし、この作品はドキュメンタリー的手法で当時を明らかにしようというアプローチではなく、あくまでドラマだ。
日米それぞれの将校の気持ちはスクリーンのこちらにも伝わるのに、感情移入して見る事が出来ない結果に終わってしまったのは、非情に残念だった。

食料弾薬が乏しく、米軍キャンプからこれらを奪いながら民間人を守り、16ヶ月に渡り部下を統率して抵抗し続けたという題材。その事実自体は確かに「奇跡」みたいな話のはずだし、こんなにも極限状態のエピソードを題材にしているのだから、観客としてもっと、エモーショナルな人間ドラマを期待してしまうのは当然なんじゃなかろうか。

この手の骨太なテーマを真摯に描いた姿勢と、そのプロダクション力は、近年の邦画の中にあってキラリと光るものがあるのは間違い無かっただけに、この物足りなさが何だかとても残念だった。



2011年2月5日土曜日

ウォール・ストリート/NARIZO映画レビュー

ウォール街の若き金融マン、ジェイコブ・ムーア(シャイア・ラブーフ)の会社は、風評を切っ掛けとした株の空売りにあい、突然破綻した。心の師である経営者は自殺。それが金融業界の黒幕ブレトン(ジョシュ・ブローリン)の陰謀だと知ったジェイコブは、最愛の恋人ウィニー(キャリー・マリガン)の父親がインサイダー取引の罪で服役し、刑務所を出たばかりの元大物投資家ゴードン・ゲッコー(マイケル・ダグラス)だと知り、復讐のために彼に助言を求める。
ゲッコーは絶縁状態のウィニーとの仲を取り持つことを条件にジェイコブと手を組むことに同意。ウォール街を舞台に復讐のマネーゲームが始まった。



オリバー・ストーン監督&マイケル・ダグラス主演の「ウォール街」の続編が23年の歳月を経て、公開された。
アメリカの不動産バブル。サブプライム問題など、現代のマネーゲーム事情を盛り込み、マンハッタンのビル群のシルエットを株価変動のグラフに見立てたシーン冒頭から、いかにも経済ドラマな展開を予感させる作品だった。

ゲッコーを演じるダグラスは、台詞無用の存在感で、佇むだけでカリスマ性や危険漂うオーラを感じさせる。
この作品が、ギリギリ駄作にならずに踏みとどまっていられるのは、ほぼマイケル・ダグラスのお陰だ。
だって、2時間を越える映画で、結局語られるのは「復讐」の話と「断絶した父娘」の話。
これを語るのに小難しい経済用語の嵐が必要だったとは思えない。「復讐」を語る上で、マネーゲームをどう描くかは重要だったはずだが、これが何とも半端で、ただ筋を追っているだけの様な展開には、エキサイティングな要素がまるで感じられない。ハラハラするような駆け引きとか、水面下の工作とか、この作品だからこそ期待していたそういう演出があまりにも緩慢で、肩透かしも良いところだった。

そう考えると、同じような題材ならNHKがドラマから初映画化した「ハゲタカ」の方が、社会派エンタテインメントとしては、はるかに優れていたと思う。


2011年1月31日月曜日

RED レッド/NARIZO映画レビュー

年金係のサラ(メアリー=ルイーズ・パーカー)と電話でおしゃべりをすることを何よりの楽しみとしている引退したCIAエージェントのフランク(ブルース・ウィリス)。彼の平和な生活はある日、特殊部隊の急襲によって崩壊した。引退したかつての仲間たちのところにも刺客は送り込まれ、知り過ぎた老スパイたちを抹殺しようとしていた。フランクはかつての上司、ジョー(モーガン・フリーマン)や同僚のマーヴィン(ジョン・マルコヴィッチ)を訪ね、反撃を決意する。

前にもスタローンが往年のアクションスターを集めて無敵の傭兵軍団のスカスカな馬鹿映画を撮っていたけれど、この作品は、似て非なるもの。いや、圧倒的に面白い。

そもそも、アクションスターが集まって悪をボコボコにしたところで、初めこそその豪華な顔ぶれに驚きこそすれ、意外性は皆無だ。しかし、「RED」には、意外性の魅力があふれている。
引退したスパイたちの顔ぶれは、ブルース・ウィリスはまぁ、良いとして(笑)、モーガン・フリーマン、ジョン・マルコヴィッチ、ヘレン・ミレンと個性あふれるいずれも演技派揃い。
筋肉りゅうりゅうってワケじゃないし、到底、凄腕のスパイには見えないけれど、そんな彼らが、ブチ切れて、キレまくる、そのギャップが既に可笑しい。ツボなのだ。

特に威厳ある女王陛下なんかをいつもなら重厚に演じる名女優ヘレン・ミレンが、マシンガンを嬉しそうにぶっ放す画のイッちゃってる感。
いや、彼女に限らず、爺さんたちも、みんなが元気で、やたらと活き活きしている。
かつての敵は今日の友と、ロシアの老スパイまでもが手を貸して、現役世代に嬉々として対峙する。
老人特有ののんびりした可愛さと、激しいアクションのギャップ。友情と、愛。そして、ほとばしる馬鹿。

原作は僅か60ページばかりのグラフィックノベルらしいが、あの老人たちが暴れまわる続きを出来れば俺は、もう一度、見てみたい。

2011年1月22日土曜日

ソーシャル・ネットワーク/NARIZO映画レビュー

世界最大となったSNS“Facebook”を作ったマーク・ザッカーバーグ(ジェシー・アイゼンバーグ)は、かつての親友であり共同創立者だったエドゥアルド・サベリン(アンドリュー・ガーフィールド)とウィンクルボス兄弟との間で、それぞれ大きな訴訟を抱えていた。ハーバードの学生時代。
ガールフレンドのエリカ(ルーニー・マーラ)と別れた晩に腹いせと悪戯心でマークが立ち上げたサイト“フェイスマッシュ”はハーバード中の女子学生たちの写真を並べてランク付けするというものだった。そして、それが全ての始まりだった。


監督は「セブン」のデヴィッド・フィンチャー。彼が今回題材に選んだのは、世界最大のSNSの創業者で史上最年少で億万長者の仲間入りを果たしたマーク・ザッカーバーグのエピソード。登場するのも実在の人物たちだ。
ここで誤解する人も居るかもしれないが、これは、IT業界やインターネットサービスについて描いた作品ではない。まだ若く未熟さを残しながら、僅か数年で成功の階段を駆け上がった青年の苦悩を描いたドラマだ。
むしろ、“Facebook”やSNSについて何も知らなかったとしてもこの映画は楽しめるものになっている。

作品は終始これまで見たことの無いテンションで貫かれ、早口で膨大な量の台詞が飛び交う。その殆どのシーンは会話で、画的に興奮させるようなアクションは殆ど何も無いにもかかわらず、そのテンポに飲み込まれた観客は、あたかもその場に居合わせたかのような興奮を体験するコトになる。
まさに新しいアイディアが形になり、サービスとして成長していく過程の熱量が描かれる。
しかし、その反面の虚しさ、孤独も同じくらい強く描かれ、リアルで見応えある人間ドラマが展開する。
この辺り、デヴィッド・フィンチャーの卓越した演出センスが冴え渡っている。

若くして成功をおさめ、富を手中にし、世界最大のソーシャルネットワークを築いたはずのマークが、実は誰よりも友達が少なく、孤独で、全く幸せそうに見えない...真実はともかくとして、この作品の彼は一貫して孤独だ。
変化と成長の過程で何かを見失い、置いてきてしまったかのような、虚しさと寂しさで溢れている。
それが何なのか、一番、美しく描かれていたのがかつて、気まずく別れたガールフレンド、エリカであり、成功者となった彼がその彼女に友達申請を送るのをためらう、そんなシーンひとつとっても、これは間違いなくネット全盛世代のほろ苦くて痛い、青春映画なのだと思う。


2011年1月10日月曜日

アンストッパブル/NARIZO映画レビュー

ペンシルバニア州の操車場。運転士の操作ミスにより大量の可燃性化学薬品を積んだ貨物列車が無人のまま暴走を始めた。同じレールを機関車1206号で走っていたベテラン機関士のフランク・バーンズ(デンゼル・ワシントン)と若い車掌のウィル・コルソン(クリス・パイン)は、間一髪で正面衝突を回避。しかし、積載貨物の重量と、列車の速度で凶器と貸した機関車を停止させようとする鉄道会社の策は次々と失敗。機関車1206号の二人は暴走機関車を追跡し、最後尾に連結して、1206号のブレーキで停車させる最期の賭けに出る。2001年にアメリカで起きた列車暴走事故を題材に、「トップガン」のトニー・スコット監督が映画化。

 実話の映画化。文字通り、息をつく暇も無い99分。
熱い男気、カッコいいおっさん達、家族の絆、ライヴアクションに徹底的にこだわった映画史上初、実車両での転覆脱線シーン。間違いなくトニー・スコット監督、近年の最高傑作になったと思うのがこの「アンストッパブル」だ。

とにかく、その重量、圧倒的存在感と、迫力で、さえぎるもの全てを破壊し、暴走する機関車のすざまじさは、かつて経験したことの無い映像体験を与えてくれる。

リストラ直前のベテラン機関士と、家庭に深刻な問題を抱える新米車掌という、なんとも華の無い境遇のプロフェッショナルが、反目を乗り越えて暴走機関車を身体を張って止めに行く。
会社のためではなく、自分の大切な家族が待つ街を救いたいために無謀とも思える奇策の実行を決断する。

この作品が素敵なのは、キャラクターが魅力的で、かつドラマが適切に描かれていた点だと思う。
単に二人をヒーロー扱いするのではなく、むしろ問題を沢山抱えた普通の人間が危機を救うことになった、その背景となるエピソードをバランスよく盛り込んだ脚本の成果は大きく、感動的な「家族」の映画になっている。

加えて、見る者を選ばずに、熱くさせる演出からは、アクション映画の大家として知られる監督の経験と力量の大スパークを感じさせる。
色気は無いが、プロフェッショナルの格好良さが、題材だけでなく作り手からも伝わってくるような素晴らしい大作映画だ。
ライヴアクション万歳。



2011年1月1日土曜日

キック・アス/NARIZO映画レビュー

コミックヒーローに憧れる冴えないオタク高校生のデイヴ(アーロン・ジョンソン)は、とうとう自前のスーツを身に着け、身体を張ってヒーローになりきり始める。何の特殊能力も武器も持たない彼が、ボコボコにされながらも悪に立ち向かう姿はいつしか、ネット動画でヒーロー「キック・アス」として有名になっていった。
やがて、街の犯罪王フランク・ダミコに復讐を果たすため、犯罪と戦う父娘デュオ、“ヒット・ガール”(クロエ・グレース・モレッツ)と“ビッグ・ダディ”(ニコラス・ケイジ)に出会った彼は、本当の戦いへと巻き込まれていく。


 冴えない高校生が活躍し、成長する童貞コメディのオタクヒーロー版。設定の妙もあるが、展開もアクションもB級コメディとして甘く見ていたものが、いつの間にか真剣に見入ってしまうほどの素晴らしい出来。
キャスティングの方も、ブラッド・ピットがプロデュースしているだけあって、ニコラス・ケイジがまるでバットマンみたいな「ビック・ダディ」を演じていたりと、中々豪華。特に、「ヒット・ガール」を演じた若干13歳のクロエ・グレース・モレッツの殺人天使の様なキュートな凶暴性には目を釘付けにされた。勿論、特に目だった特徴も無い主人公のイタさや、かっこ悪さをコメディとして笑えるレベルで魅せつつ、終盤に向けて成長させることに成功した主役のアーロン・ジョンソンの自然体にもキラリと光るものかあった。
もしかしたら、この作品は5年後の映画スターをいち早くキャスティングしたコメディ映画として、記憶され続けることになるかもしれない。

冴えない駄目な少年が、判り易くとてつもない犯罪組織に立ち向かっていく極めてシンプルなストーリー。
作品は、アメコミへの愛とオマージュに貫かれつつも、余計な部分は一切なく、テンポも気もちよくて、判りやすい。久しぶりにブラックに味付けされた笑いと残酷の同居。リアルな痛さが笑いを誘う。
117分は、あっという間だ。
そして、アクションシーンは、アイディアからカット割まで完璧にカッコいい。
ヒーロータイツを履いたキモオタクのコメディ映画という偏見を捨てて、一級のアクション映画として広く多くのアクション映画ファンに見て欲しい。
そんな映画だった。